事件関係者で、まず最初に「自殺」したのがOGです。OGは、被害者の葬式が行われた5月6日の朝に、農薬を飲んで実家の庭にある空井戸に飛び込んで自殺しました。このOGは、下記のような理由で事件への関与を疑われています。
- 中学卒業後に被害者宅で作男として住み込みで働いた経験があり、被害者と顔見知りだった。
- 翌日、5月7日に結婚式を控えていたにもかかわらず6日に「自殺」した。ちなみに、遺書には「病気に負けた。すまない」と書かれていた。
- 被害者宅で作男をした後、PTA会長の兄(「しょうじ」氏)の家で作男をしていたこともある。
- 事件当時はS通運(運送会社)に勤務していた。その営業所は、被害者が人を待っているような姿を目撃された第一ガードのそばにあった。
- S通運では、被害者の遺体に付随していたタオルや手ぬぐいの配送を取り扱ったことがあるという話がある。ただし、取り扱っていないという話もあるので確定ではない。
- 事件翌日、5月2日頃からノイローゼ状態となり(医師の診断があるわけではなく周囲の人の評)、5月4日(被害者の遺体が発見された日)は会社を無断欠勤した。5月5日は日曜日&こどもの日で元々休みで、6日は月曜日で出勤予定だったが出勤前に「自殺」した。
- 筆跡について、脅迫状の筆跡と似ている点と似ていない点が五分五分と刑札から発表された。筆跡鑑定の詳細やOGの筆跡そのものは、石川さんの裁判の中で弁護側から裁判所に何度か正式に証拠開示請求されたがすべて却下されており、公開されていない。
- OGの血液型はB型で、被害者の体内に残されていた精液と同じ血液型だった。
- 遺体発見現場の近く(200~300m程度の距離)に新居を建築中で、9割方できあがっていた。この新居に被害者の遺体を隠匿していたのではないかという推理もある。
飛び込んだ井戸は底の方がじめじめしている程度の空井戸でしたが、刑札の公式発表では死因は「溺死」とされました。
OGの自殺を受けて、「こんな悪質な犯人はなんとしても生きたままフンつかまえてやらねば…」と当時の篠田国家公安委員長がコメントを出しています。
埼玉新聞昭和38年5月7日付朝刊
このコメントを受けて、刑札は「生きた犯人」をフンつかまえるべく強引な見込み捜査を開始し、数々の証拠捏造に手を染めることになります。その意味で、石川さんの冤罪を(間接的に)生んだ犯人はOGという言い方もできるでしょう。
OGについては他にも同性愛説などいろいろな説が流れています。というかOG同性愛者説は私(管理人)が言い出したんですが(笑)。リンク先でも書いたように、OGが純粋な同性愛者と仮定すると、被害者と殺害直前に性交したのはOGではないということになり、必然的にOGが関与しているとしても複数犯ということになります。この辺は「入門」編にはふさわしくないので、リンク先を読んでください。
OGのアリバイについて。刑札は5月1日当日、午後5時頃から7時頃まで実家で親類(イトコと親)と酒盛りをしていたことをアリバイと認定しています。これがアリバイとして通用するのであれば、「家族と一緒にTVを見ていた」という石川さんの話もアリバイとして認定してよさそうなものですが、刑札にとっては話が違うようです。逆に言えば、OGのアリバイは親類の証言しかないので、存在しないも同然という言い方もできるわけです。さらに、OGは午後7時以降、時間は不明ですが新居(死体埋没現場のすぐそば)に戻って寝たとされています。ただし、新居に戻って寝たというのは亀井本(『狭山事件』)の記述に基づいているため、「事実」であるかどうかは不明です。
結論として、OGはあからさまに「ぁゃιぃ」。主犯であるかどうかに疑問は残りますが、被害者の呼び出しなど、なんらかの形で事件に関わっていた可能性は高いのではないかと私(管理人)は考えています。
追記: OGについては、下記の記事もご参照下さい。
管理人様 OG氏の写真、初めて見ました。う〜ん、確かにホモと言われればそのような雰囲気がないでもないですね。ゴツイ顔立ちだけど、どことなく気が弱そうで、眉も細くしているみたいにも見えます。改めて事件後の行動を見ると(主犯ではないにしろ)関与は確実だと思いますが、警察も一度は疑いながら、自殺の原因などに疑問を持たなかったのかしら? 遺書にあった(病気)が何だったのか家族は知っていたのかしら?身体的な疾病なのか、精神的なものか、あるいは性癖を指すのか、家族に向けて遺書を書き、実家の井戸で自殺をしたのだから、もし体調が悪かったら一言くらいは家族に相談したことはなかったのか…誰にも相談していないとすれば、人に言えない性癖…性愛嗜好や盗癖などの可能性は高いですね。当時、誰か疑いを持って調査を続けた人がいなかったのでしょうか?記者とか、普通の知性があれば必ず疑問が湧くはずです。OGが作男を辞めた後もN家とは交流があったのかしら?N家の兄姉達とは年齢も近いけれど、友交はあったのでしょうか?
OGについて、亀井トム氏(ならびにその周辺で取材をしていた文殊社)はかなり濃い疑いを掛けていました。しかし、本人が自殺してしまったこともあってあまり詳しい取材はしていなかったようです。
「病気」について。堀兼診療所の医師が亀井トムならびに山上弁護士に話したところによると、「彼はインキンの治療に来たことがあった」という程度で、特に深刻な病気だったという証言はなかったようです。インポテンツだったために結婚を嫌がっていたという話と含めて、私(管理人)は下記のような推理をしています。
ただし、いずれも単なる仮説で確定した説ではありません。他人の妻を見て「おれのおっかあの方がいい」とのろけていたという話もありますので、「同性愛者説」自体が間違っている可能性も多分にあります。
OGと被害者宅との交流については不明です。歳が近いと言っても長兄とは5つ違いで、本家の跡取りと元使用人という立場から考えても「友だち付き合い」という感じではなかったのではないかと推測します。
あと、本文に筆跡と血液型の情報を追加しました。
OGさんと芳江さんは顔見知りだったという話が多いんですが、OGさんがN家で作男をしていたのは、事件が起きる15、6年前の昭和22、23年の頃で、芳江さんは生まれたばかりか、やっと1才。OGさんの記憶が、あるわけありません。OGさんが、その後もN家を頻繁に訪れるような関係でもないかぎり、顔見知りにはならないし、親しく言葉を交わすことは、さらにないのではないでしょうか。OGさんとお互いに顔見知りだったのは、E作さん、長兄、次兄、次姉であって、芳江さんはOGさんのことを、まるで知らない可能性もあったんじゃないでしょうか。それから15、6年前に働いていた家の構造を、はっきりとは覚えていないのではないでしょうか。
善枝さんがOGと面識があったか(記憶していたか)、交流があったかなどについては今のところまだ不明です。
OGが中田家で作男をしていたのも、「事件11年前からの2年間」とする説と「14年前からの2年間」とする説があって、これも未だはっきりしていません。前者だとすると善枝さんが5―7歳、後者の場合は2―4歳の時期となるわけで、いずれにしても善枝さんのOGに関する当時の記憶はごく僅かなものであったと思われます。
ただ、OGはN家で2年間働いていますし、N家周辺には小・中学時代の同級生や知人も複数いましたから、その後も家族たちと交流が続いていたとしても何ら不思議ではありません。
なお、OGの場合はN家に住み込みで働いていました。N家はその後事件に至るまで改築はされていませんから、OGがN家家屋や邸内の構造について熟知していたのは確実です。
警告です。
エル=陥=クメラ=忿竪=ランティ=匿名 様へ
コメント投稿をいただけるのはありがたいのですが、同一IPからハンドル(名前)を変えて投稿することは世間一般的には「荒らし」と見なされます。貴方の場合文体が独特なのでおそらく読んでいる方も同一人物だと思っていると思いますが、いずれにしてもあまりほめられた行為ではないと思いますので今後はできるだけ同一のハンドルでの投稿をお願いします。
今見ても興味深いです
リンクが切れてるのが悲しいですね