Category Archives: 狭山事件

狭山事件: 石川さんが国連の委員会で証拠開示を訴え

「狭山の風」メルマガによると、狭山事件の容疑者として逮捕され、無期懲役の刑を受けた石川一雄さんが、スイスの国連自由権規約委員会において「日本政府に『証拠開示』をするよう勧告してほしい」という訴えをしたそうです。

石川さんは現在、無期懲役の仮釈放という形で日常生活をしています。刑を終えて自由になっているわけではなく、保護観察下に置かれている上に、今後罰金刑以上の刑罰を受けた場合には無期懲役で刑務所に逆戻りということになります。ご本人の言葉を借りれば「見えない手錠」がついたままの状態ということです。同じ理由でパスポート取得や海外旅行はできないと言われており、石川さんサイドもあきらめていたのですが、今年9月になってパスポート取得が認められ、今回の国連自由権規約委員会への参加という話になったそうです。

これまで何度か触れたように、狭山事件に関して、積み上げると高さ2mにもなる証拠が検察に未開示のまま保管されているとのことで、中には弁護側が何度も開示請求したにも関わらず裁判所と検察が一体となって拒否してきたものもあります。そういった証拠類をすべて開示して欲しいというのが石川さんが今回国連の委員会で訴えたことで、ある意味で日本の司法行政の問題点を浮き彫りにするものです。以前も説明したように、刑札・検察は国民の税金を使って大量の人員を動員し、捜査権を持って証拠集め(時には証拠ねつ造(笑))をしますから、集めた証拠はすべて(弁護側の請求がなくても)開示するのが筋というものでしょう。これに対して弁護側は捜査権も人員も予算もない中で資料集めをしなくてはならないという制約があります。本来は、この証拠集めに関する非対称性を補うのが推定無罪の原則(いわゆる「疑わしきは罰せず」)なのですが、日本においてはそれが守られずにえん罪が生み出され続けているという状況です。

状況はそれとして、このブログ的な本題である狭山事件の真犯人捜しの観点から開示してほしい証拠として、下記のようなものがあります。

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狭山事件: 被害者の後頭部の傷

被害者の後頭部1被害者の後頭部の写真 『狭山事件公判調書 第二審』より

被害者後頭部その2被害者後頭部その2

ようやくPCが戻ってきました。まる1ヶ月以上更新が滞ってしまいましたが、今後できるだけ更新していきたいと思っています。

さて、先日殿丘駿星さんのメルマガ「コラム・ゆりかもめ」において、狭山事件被害者の後頭部に残された傷について指摘がありました。とりあえず当該の写真をうpしておきます。上の写真はふつうにスキャンしたもの、下の写真は、頭の上に置いてある目盛りが見えるようにコントラストを上げたものです。この目盛りについて、1目盛りの大きさは明記されていませんが、頭の大きさ(16歳女子なので頭の幅は15~20cm程度でしょう)から考えると一目盛りは1cm、従って傷の大きさは1.5cmというところと思われます。後頭部に1.5cmというのはかなり大きな傷であり、殿岡さんが指摘しているように生前に受けた傷であればここから相当量の血液が出たと思われます。しかし、裁判における弁護側の再三の証拠開示請求にもかかわらず裁判所と検察は「殺害現場」の血液反応検査結果を開示していません。日本で初めてルミノール液による血痕反応の検査が行われたのは昭和24年の下山事件の捜査でしたので(ある意味(笑))、昭和39年の狭山事件当時には当然のように「現場」(「殺害現場」だけでなく、一時的に死体を隠していたという「芋穴」や、その途中の運搬経路とされる農道を含めて)のルミノール検査は行われたはずです。このようなかなり基礎的な事項についても裁判所と検察が証拠開示を行わないという事実が、狭山事件が「暗黒裁判」と言われる一つの大きな要因になっています。

2008年12月23日追記: 後頭部の傷は、公判調書で公表された鑑定書(五十嵐勝爾埼玉県警技師医師作成)によると長さ1.3cm、幅0.4cmとのことです。こちらもご参照ください。

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狭山事件: OGの死因

『犯人を追う科学-完全犯罪に挑戦する科学捜査』『犯人を追う科学-完全犯罪に挑戦する科学捜査』

本日の画像は、ブルーバックスの『犯人を追う科学―完全犯罪に挑戦する科学捜査 (1965年)』という本の一節です。この本が出版されたのは昭和40年3月20日ですので、狭山事件が起こった昭和38年から2年足らず、まだ記憶も生々しい時に書かれた本ということになります。また、一審で死刑判決が出た後、二審に入って石川さんが否認に転じた後ということになります。

その死体を検視しただけで死因を農薬中毒と決めたのは、あの当時としては問題であった。死体を外から観察しただけで、農薬中毒の診断を下すことは不可能である。たとえ死体のそばに農薬の容器があったとしても、果たしてそれを飲んだか、また飲んだことが原因で死亡したかということは、死体を解剖検査して、化学的に農薬を検出し得て後に始めて(ママ)可能となる。後に死体の口中を拭った脱脂綿についての検査依頼があって、分析の結果たしかに塩素含有の農薬を証明することはできたが、それだけでは、死因、自殺の線に直接に結びつけるのには無理がある。
しかし実際問題としては犯罪を疑って司法解剖にする根拠はなく、監察医制度の行われていないところだから死因確定のための行政解剖にするわけにもいかない。

まことにごもっともなことですが、根本的な問題として、OGの死因は「溺死」とされていたはずです。この本の著者である渡辺孚氏は事件当時、科学警察研究所科学捜査部長という科学捜査の最前線にいた当事者であったにも関わらず、OGの死因を「農薬中毒」と認識していることになります。このような混乱が発生しているのは解せないところです。

また、最後の方にはこういう記述もあります。

幸いにもその後間もなく真犯人があがったから、その意味では自殺男の解剖はしなくてもよかったといえるようになった。

なってませんってば。きちんと解剖して死因を確認しなかったことで、OGに関する疑惑が白とも黒ともつかないままずっと残ってしまったことを考えると、OGの解剖をしなかったことも刑札の大きな落ち度の一つといえるでしょう。

狭山事件に関する本はこちら

狭山事件: 洋裁生殺し事件 その3

北海道新聞 昭和37年11月22日付北海道新聞 昭和37年11月22日付

すいませんまた間が空きました。

「洋裁生殺し」の概要ならびに狭山事件との関連性については、以下の記事も参照してください。

  1. 洋裁生殺し その1
  2. 洋裁生殺し その2

今回の画像は、事件が起こった地元の北海道新聞で、犯人が妻と心中した直後に出た記事です。

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狭山事件入門: TN

朝日新聞 昭和38年5月13日付朝刊朝日新聞 昭和38年5月13日付朝刊

狭山事件において、2番目の変死者が5月11日に「自殺」したTN(当時31歳、狭山市柏原新田在住)です。

TNの「自殺」の状況は下記の通りです。

  • 5月11日午後8時すぎ、台所で夕食の後片付けをしていた奥さんがうめき声がするので奥の間に行ってみると、TNが鶏を殺す時に使う刃先が三角形にとがったナイフで胸を一突きにしてうつ伏せになって死んでいた
  • TNのすぐ横にはもうすぐ2歳になる子供が眠っていた
  • 隣の部屋ではTNの父が茶を飲みながらテレビを見ていた
  • ナイフはもともと台所にあったもので、奥さんはいつ持ち出したか気がつかなかった
  • 通常、刃物で自殺する際にはためらい傷が見られることが多いが、そのようなためらい傷は一切なかった
  • 胸を刺す際にはナイフをうまく横にして入れなければ肋骨に引っかかってしまって心臓まで刺さらないが、一突きで心臓を刺し貫いていた。
  • 新聞には、刑札の捜査結果として「市議選問題でさる1日ごろから悩み神経衰弱気味だった」と書かれたが、家族の証言ではそのように選挙に深入りしていたことはなかった

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狭山事件入門: OG

東京新聞昭和38年5月7日付朝刊より東京新聞昭和38年5月7日付朝刊より、OG近影

東京新聞昭和38年5月7日付朝刊より、OG新居東京新聞昭和38年5月7日付朝刊より、OG新居

事件関係者で、まず最初に「自殺」したのがOGです。OGは、被害者の葬式が行われた5月6日の朝に、農薬を飲んで実家の庭にある空井戸に飛び込んで自殺しました。このOGは、下記のような理由で事件への関与を疑われています。

  1. 中学卒業後に被害者宅で作男として住み込みで働いた経験があり、被害者と顔見知りだった。
  2. 翌日、5月7日に結婚式を控えていたにもかかわらず6日に「自殺」した。ちなみに、遺書には「病気に負けた。すまない」と書かれていた。
  3. 被害者宅で作男をした後、PTA会長の兄(「しょうじ」氏)の家で作男をしていたこともある。
  4. 事件当時はS通運(運送会社)に勤務していた。その営業所は、被害者が人を待っているような姿を目撃された第一ガードのそばにあった。
  5. S通運では、被害者の遺体に付随していたタオルや手ぬぐいの配送を取り扱ったことがあるという話がある。ただし、取り扱っていないという話もあるので確定ではない。
  6. 事件翌日、5月2日頃からノイローゼ状態となり(医師の診断があるわけではなく周囲の人の評)、5月4日(被害者の遺体が発見された日)は会社を無断欠勤した。5月5日は日曜日&こどもの日で元々休みで、6日は月曜日で出勤予定だったが出勤前に「自殺」した。
  7. 筆跡について、脅迫状の筆跡と似ている点と似ていない点が五分五分と刑札から発表された。筆跡鑑定の詳細やOGの筆跡そのものは、石川さんの裁判の中で弁護側から裁判所に何度か正式に証拠開示請求されたがすべて却下されており、公開されていない。
  8. OGの血液型はB型で、被害者の体内に残されていた精液と同じ血液型だった。
  9. 遺体発見現場の近く(200~300m程度の距離)に新居を建築中で、9割方できあがっていた。この新居に被害者の遺体を隠匿していたのではないかという推理もある。

飛び込んだ井戸は底の方がじめじめしている程度の空井戸でしたが、刑札の公式発表では死因は「溺死」とされました。

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狭山事件入門: 被害者の家族 その2

サンケイ新聞昭和38年5月23日付夕刊より 長兄の手記サンケイ新聞昭和38年5月23日付夕刊より 長兄の手記

コメントで、被害者の家族がみなポエムのような文章を残しているというご指摘をいただきました。確かにそういう感じなので、既に「狭山事件関連資料」サイトの方に掲載した資料ばかりで恐縮ですが一応ここにまとめておきます。

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