狭山事件: 『46年目の現場と証言』 その4

狭山事件を推理するサイトの方に、『46年目の現場と証言』著者の方からの私が書いた内容に対するコメントが掲載されています。

被害者の後頭部の傷の大きさや抵抗の跡が無いことからみれば、失神状態の時に姦淫された可能性が一番高いでしょう。ただ、私はやはり例え弱いものであれ、初め被害者は足も拘束されていた状態であったと考えています。あの傷はおそらく体を硬直させ、それこそ棒のようになって真後ろに倒れた時のものと思われますが、善枝さんは16歳バリバリのスポーツウーマンですし、両手を後ろに縛られただけであれば、普通そのような倒れ方はしないのではないでしょうか?犯人が足の拘束を最終的に解いたのは、おそらく性行為の際に邪魔になったためと思います。

なるほど、という感じです。しかし、足を縛られて意識がある状態で、前から押されて後ろに倒された場合には、特に女の子であれば尻餅をつくのが先で、後頭部に傷が付くような「棒のようになって真後ろに倒れる」という状態にはならないのではないかとも思います。個人的には、後頭部の傷は何か角材のようなもので殴られてできたのではないかという気がしています。この辺は主観の問題なので、これが絶対だと主張するつもりはありません。

ただし、角材のようなもので殴られたと仮定した場合、2つの問題があります。

  1. 後頭部の傷の写真を見ると、後頭部に向かって左上から右下に向かって傷がついています。通常、右利きの人間が角材のようなものを持って殴りかかった場合には右上から左下に向かって傷が付くので、犯人が左利きでない限りこの傷の付き方はおかしいことになります。
  2. 傷は、ほぼ後頭部の真ん中についています。真後ろから右利きの人間が角材を振り下ろした場合、被害者の右側頭部に傷が付きそうなものなので、これも傷の位置がおかしいことになります。

後頭部の傷については、コラム・ゆりかもめでの殿岡駿星さんの議論もご参照ください。

それから「事件関係ブログ」には、相澤先生が現在の状態を理由にインタビューを拒否された話が出ていましたが、実はあの方は大変元気です(笑)。私は今回の取材でそのあたりも確認してきています。とにかく、先生はもう相手が誰であれ取材は絶対お断り、ということのようですね。

この件については私がうがちすぎました。失礼しました。

当時の中高生の男女交際は一般的にどんなものだったか

このあたりは異論ありません。私が書いたのはあくまでも「可能性」としての話なので、常識的には被害者がそういう、男女関係に足を踏み入れていたことはないだろうと思っています。

「登美恵さんが家事手伝い始めたのをきっかけに長女が家を出た」との推測について

これはむしろ逆でしょう。長女が家を出ることになったため、登美恵さんは進学を諦めざるを得なくなったのだと思います。

このあたりはニワトリタマゴで、どちらが原因でどちらが結果ということでもないような気がします。「家事手伝いを始めたのをきっかけに」という書き方が悪かったかもしれませんが、時期的に一致しているというだけではないかというのが私の推測です。

長女が1949年に中学を卒業して高校に進学せず家事手伝いを始めてから6年後の1955年、次女が中学を卒業する際に一悶着あったのかもしれません。そして、結果的に長女は家を出て、次女が長女に代わって家事手伝いを始め、事件が起こった1963年まで8年間。次女としては「私が8年ガマンしたんだから次は四女()の順番(三女は3歳で夭逝)でしょ」という思いがあったことは想像に難くありません。しかし、四女である被害者はなぜか高校進学を許されました。裁判資料を信用する限り、次姉の縁談がまとまったのは狭山事件が起こった後(昭和38年秋頃)のようであり、次姉としては事件当時は「このまま実家で家事手伝いを永遠に続けなくてはならないのではないか」という危惧もあったのではないでしょうか。そういった鬱積が根底にあったために被害者の日記にあるような口論が起こっていたとしても不思議ではありません。

長女にも次女にも許されなかった高校(たとえそれが専門学校扱いの「花嫁学校」であったとしても)への進学が被害者に認められた理由が、本当に「時代の流れ」だけだったのかという点に関しては、個人的には多少の疑問をいまだに持っています。例によって深読みしすぎなのかもしれませんけれども。

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6 thoughts on “狭山事件: 『46年目の現場と証言』 その4”

  1. これらの件については貴ブログの記事への話ですので、今後はこのブログに直接コメントしていただこうかと思います。そのほうが読者にとっても話が解りやすいでしょう。

  2. コメントありがとうございます。
    そうですね。是非そのように。もしオフレコ(公表不可)の話であればそのように書いていただければ非公表扱いとさせていただきます。あるいはメール(アドレスはこちらをご参照ください)でお願いします。

  3. 近日「46年目の現場と証言」を出版する予定の者です。
    今回のご意見に対して、若干コメントさせて頂きたいと思います。

    ☆後頭部の傷について

    確かに被害者が足首を縛られただけの状態であれば、押し倒されても
    尻餅をつくような格好になるでしょうけど、ただもし太ももまで縄が巻き付
    けられている状態であったとすれば、やはり「棒のように」昏倒すること
    になるかと思います。まあ、もちろんこのあたりのことは想像でしかあり
    ませんし、「そういう可能性もある」というだけの話に過ぎないのですが。

    ☆善枝さんの「中年男との交際」説について

    ブログ管理人さんもこれについては否定的なようですが、一応ブログ読
    者のうちの若い方向けにちょっとだけ書かせて頂きたいと思います。

    今の時代であれば、「中年男が女子高生を殺害・・・」なんて事件が起き
    ても全く不思議では無いのですが、しかし女子高生と中年男が接点を持
    つようになったの20~25年位前にテレクラやら伝言ダイヤルやらが登
    場し、「援助交際」なんて言葉が生まれてからのお話です。昭和30年代
    であれば、中学生や高校入学直後あたりの年齢で中年男と交際している
    少女なんて、おそらく全国でも数人いるかいないかでしょう。たぶんそれは
    、ジャンボ宝くじ1枚買って1等に当選するよりも遥かに低い確率だと思い
    ます。ですからそのようなところから考え始めても、正しい推理を行うのは
    まず不可能ではないでしょうか?

    ☆長女の独立と登美恵さんの家事専念との関連について

    私の調査では、長女は1951年堀兼中学校卒、事件当時27歳です。当
    時、狭山の農村での結婚は9割以上が見合いで、相手も親が決めるケー
    スが大半でした。また、農家では女手が不可欠なため、女性の結婚は極
    めて計画的に行われていました。ですから、おそらくは中田家でも、長女
    ―次女―善枝さん―健治さんの嫁、といった順で家事をバトンタッチしなが
    ら、一人ひとり結婚していく予定になっていたと思われます。実際、登美恵
    さんなどは山下氏と入籍した後も、「兄が結婚するまで」ということで実家に
    留まっています。そう考えてみると、もし長女がいきなり実家を飛び出しさえ
    しなければ、登美恵さんにしても“花嫁教室”(入間川分校)くらいは行かせ
    て貰えていたのではないか、という気がしますね・・・。父・栄作さんにしても、
    分校への進学まで反対する理由は無かったと思います。
    (※この件については「狭山事件を推理する」サイトにも、同様の内容で掲
    載して頂く予定となっています)

  4. 詳細なコメントありがとうございます。また、新しい本、楽しみにしています。

    ご指摘の点はほぼ同意です……最初の後頭部の傷についてはいずれにしても推測の域を出ないということで(笑)。

    この事件において、いきなり殺されてしまった被害者を除くと、次女が一番「かわいそう」な感じがありますね。長女が家を飛び出したために中卒で家の手伝いに入らざるを得なくなって8年、やっと妹と家事を分担できると思ったら妹が高校へ行かせてもらったためにさらに2年家のことを一人でやらなければならない状態が続くことになる。その妹が誘拐されて、身代金(に見せかけた紙束)を持って行かされて犯人と会話させられる。あげくに妹は殺されて死体で発見される。ようやく嫁入り先が決まったと思ったら、1年後にノイローゼになって自殺。

    ちなみに、長兄がいつ結婚したか(より具体的には、次姉の自殺時点で、長兄の結婚時期は決まっていたか)についての情報はあるでしょうか?次姉のノイローゼ→自殺の原因について、単純に「いつまで私は実家で家事手伝いをしなくてはいけないんだろう。妹もいなくなってしまったし、兄もいつ結婚するかわからないし」という思いが高じてということはないのかなあ、と考えています。いずれにしても、次姉の自殺を受けて、急いで(女手の確保のために)長兄が結婚したであろうことは想像に難くありませんが。

    もしご存知であれば(そして、出版される本で書かれている内容のネタバレにならないのであれば)ご教示いただけると幸いです。

  5. 私もどの本で見たのかちょっと記憶が無いのですが(←今度また図書館で調べてみます)、確か長兄は半年~1年後ぐらいで結婚が決まっていたはずです。ですから、自殺の原因が、「いつまで私は実家で家事手伝いをしなくてはいけないんだろう・・・兄もいつ結婚するかわからないし」という思いが高じて、ということはまず無いはずです。
    そもそも、当時の狭山の農村では結婚することは、ある意味凄く“簡単”でもありました。現代において「婚活」している人達から見れば仰天の世界でしょうけど、当時あの付近などでは、親たちの「うちの息子ももういい年だし、そろそろ嫁でも取るか」「じゃあ、××さんとこの娘さんが年齢的にも家柄的にも釣り合うからあれにしましょう」「そうか、じゃあそうしよう」といったやり取りで大概の話はまとまっていたんです。特に長男、家で唯一の女性の場合だと、「家をいかにして守るか」が最優先ですから、本人の意思やら相性が合うか合わないかなんぞ二の次三の次の話。逆に言えば「結婚はいつでもできる、計画的にできる」ということなんですね。「アブレ」が有り得ず、どんなダメ人間でも結婚できましたから、今から考えれば良い時代だったのかもしれませんが(笑)。このケースだと、おそらく健治さんが先に嫁を迎える予定だったものの、先方の都合か何かで若干それが延び、登美恵さんの嫁入りにとりあえず「待った」が掛かった、という状態だったのではないかと思います。

  6. 長兄の結婚の件と次姉の自殺理由の件についてのご意見、ありがとうございます。そうなると、次姉の自殺理由はそういう単純なことではなさそうですね。

    ただ、私としてはやはり、一般的に言われている「次姉はさのヤでの会話から真犯人を知っていたので、石川さんに死刑判決が出たことを気に病んで自殺した」という推理は、この写真から考えて成立しないと考えていますので、
    ・石川さん逮捕時には次姉は犯人を知らなかった(=さのヤでの会話では犯人がわからなかった)
    ・そこから死刑判決までの間に真犯人を知った
    ・真犯人は次姉が告発するわけにはいかない立場の人であった
    ということになるでしょうか。

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