狭山事件: 『46年目の現場と証言』 その2

「狭山事件を推理する」サイトの方で、著者インタビューの第二弾が掲載されています。

前回(インタビュー其の一)と併せて、インタビューの中で明かされている内容と本サイトでこれまで検討してきた内容についていくつかコメントさせていただきます。

  1. 少しだけ明かしますが、残念ながら相澤先生には取材に応じて頂けませんでした。

    本件について、以前にも書きましたが、私(管理人)も相澤先生のご自宅にお電話したことがあります。その時の奥様の口ぶりでは、「当時のことについて、本人の記憶もはっきりしておらず、答えるのは難しい」というようなことをおっしゃっておられました。はっきり書くことは憚られるのですが、ご高齢でもあり「取材等に応じていただくことが難しい状況」なのではないかという推測を私(管理人)はしています。推測ですので間違っている可能性はもちろんあります。

  2. 今回調査してみて分かったことなのですが、過去に著作を出した方のほとんどは全く取材をやっていないんですよ。亀井・荻原氏のほかは、文珠社の方たちと野間氏が若干行っている程度。

    これはかなり同意です。例えば野間氏にしても、「元堀兼中学校は、現在狭山東小学校となっている」といったような、ちょっと調べればわかる間違いを書いています。また、このブログで繰り返し「○○については亀井本ならびにそれを参考にした下田本にしか出ていないので……」という内容のことを書いていることでおわかりいただけるかと思いますが、私は基本的に亀井本だけにしか出ていない話は信用しないことにしています。今回の新しい本でそのあたりが一部検証・修正されるようなので、出版後に改めて確認したいと思います。

  3. ですから、善枝さんの下校直後の行動に関していえば、「授業終了後すぐに第二ガードに向かい、その後一旦学校に戻って時間をつぶしてから第一ガードに向かった」という以外の説はほとんど成り立つ余地が無いんです。

    これは私(管理人)が当時の新聞記事を検討して得た結論とほぼ同じです。ただし、一部スレ(笑)で「事件ブログ管理人と今回の本の著者は同一人物じゃないか」みたいな書き込みがありましたが、んなことあるかい、と先方の名誉のためにも明言しておきます。とてもじゃありませんが、あそこまでいろいろな人にインタビューを申し込むほどの行動力はありません。

  4. それから、亀井本には「長女・喜代子は事件前年に家を出ており、家族とは以後没交渉」と書かれてありましたが、喜代子さんが家を出たのは事件の8年前です。父親とは不仲でしたが、他の家族との仲は良好で、ずっと連絡も取り合っていました。

    これはたぶん初めて出た情報だと思います。長女が事件の8年前に家を出ていたのであれば、このエントリで書いた「10年以上家業を手伝っていた長女が事件の前年に家出同然に東京に出ていった」というのはあてはまらないことになります。長女が家を出たのが昭和30年(1955年)とすると、ちょうど次女が15歳、中学を卒業した年になりますので、次女が家事手伝いを始めたのをきっかけに家を出たものと推測することも可能です。

ちと長くなってきましたので、以下次回に続きます。

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です