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最初にお断りしておくと、今回のエントリは本ブログのテーマである「事件」とは全く関係ありません。ただ、同じようなことで悩んでいる方もいるのではないかと思い、自分の備忘録の意味もこめて記録しておきます。

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狭山事件: 狭山市駅前の再開発

狭山市駅西口狭山市駅西口(2008年2月8日撮影)

狭山市駅西口2「すずや」(薬屋の向こう側):まだ営業している模様(2008年2月8日時点)

狭山市駅 駅ビル狭山市駅東口駅ビル(2008年3月20日で閉鎖)

現在、狭山市駅周辺の再開発が進んでいて、石川さんが「自白」の中で牛乳とアイスクリームを買ったことになっていた「すずや」周辺を含めた西口一帯は完全に作り替えられるようです。 また、東口の駅ビルもいったん閉鎖して、駅自体を東西自由通路がついた高架駅に作り替えるとのこと。詳しくは狭山市の西口開発整備事業HPに掲載されています。

既に狭山市駅西口から中央図書館・狭山准看護学校(旧川越高校入間川分校)へ行く道の両側にある商店はほとんどが閉店しており、一部では工事も始まっていて、おそらく今年(2008年)中には事件当時の面影が全くなくなってしまうものと思われます。事件に興味があって現地を訪問されたいという方は、早めに行かれた方がいいかもしれません。

狭山事件: OTくんの目撃証言 その3

毎日新聞 昭和38年5月8日付朝刊毎日新聞 昭和38年5月8日付朝刊

OTくんの目撃証言続報です。
刑札の発表によれば、時間が合わないのでOTくんの証言の「信頼性は低い」で片付けられています。しかし、先のエントリで「女性自身」誌にOT君が告白している状況などから考えると、目撃したこと自体を否定することは行き過ぎなのではないかとも思います。以下、状況を検証します。

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狭山事件: OTくんの目撃証言 その2

毎日新聞 昭和38年5月6日付夕刊毎日新聞 昭和38年5月6日付夕刊

OTくんの証言に関する当初の報道です。OTくん自身の証言は下記の通りです。

  1. S自転車店近くで被害者がうつむきかげんに自転車に乗っているのを見た
  2. そのとき、OTくんは午後1時から西中学で開かれている「学徒総合体育大会」の応援に行く途中だった。(斜体部は原文ママ)

まず、OTくんが目撃した被害者は自転車に乗っていたということは特筆に値するでしょう。同じように3時前後に被害者を目撃したと証言しているA先生は自転車に気がつかなかったと言っていますので、その点で矛盾していることになります。

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狭山事件: OTくんの目撃証言 その1

女性自身 昭和38年6月24日号女性自身 昭和38年6月24日号

今回の記事の主人公は、以前から話題に上っているOTくんです。

たしかにYさんとすれちがった。別に言葉はかわさなかったが、同窓の一年先輩だった彼女を見あやまるはずがありますか、と彼はいう

彼女はもちろん、彼もふだんは通ったことのない“沢の道”で、あの日以外に出会ったなんて絶対考えられない

OTくんは5月3日に級友に「沢の道で被害者を見た」と言っていて、5日に刑札に届け出たものの、時間が合わないことで責め立てられた結果、7日には「勘違い」ということで撤回しています。しかし、一応撤回した後も上記のように当日被害者を見たことは間違いではないと主張しています。「気は弱いけど頭はいいし、ぜったいにウソなんかつけるやつじゃない」というクラスメートの評価(「五十人の級友の一致した意見」と断言してますが、本当に50人全員に取材したんでしょうか(笑))や、写真を見た感じでもマジメな中学生という感じで、事件直後に届け出ていることもありその証言には一定の信憑性があるのではないかと思います。

追記:前々回のエントリで事実誤認がありました。詳細についてはお手数ですがコメントをご参照ください。

狭山事件: 「プロファイリングで解く重大事件」 その5

「実話ナックルズ」2008年4月号の「ミステリーの交差点」で、苫米地氏のプロファイリング最終章として本橋信宏氏が記事を書いています。記事(テキスト)のほぼ3/4は帝銀事件関係で、狭山事件については先月の記事の反芻と時代背景の説明程度でそれほど目新しい視点は提供されていません。一応ご参考まで。

狭山事件: 当時の狭山市内の中学校

狭山市詳図狭山市詳図(1966年、人文社刊)

前回のエントリの記事で「入間川中学」という名称が出てきました。ところが、文献によっては当日試合があったのは「入間川東中学」になっています。いずれにしても、現在の狭山市立入間川中学校とは別の、現在の狭山市立入間川東小学校の場所(線路沿いの第一ガードそば、川越高校入間川分校や駅からも歩いて5分ほど)にあった中学校であることは間違いないようです。 このあたり、学校の名称と位置について当時と現在ではかなり変遷があり、通称などもあるようで様々な文献や当時の新聞記事ですら混乱が見られます。

そのため、当時に近いと思われる地図で確認しました。以下まとめです。なお、「現在の」という注釈を入れない限り、当時の名称・場所を指すものとします。また、お手数ですが現在の地図(例えばGoogle Map)などを参照していただいた方がわかりやすいかと思います。

(3月8日注記:その後の調べで、以下の記述は全体的に間違いが多いこと、上に掲げた地図は表記が古いことが判明しました。現時点での私(管理人)の考えをコメントに記載しましたのでそちらをご参照下さい)

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狭山事件: 被害者の足取りと野球の試合

東京新聞 昭和38年6月1日付朝刊東京新聞 昭和38年6月1日付朝刊

事件当日(昭和38年5月1日)の被害者の足取りについてはいくつかの証言があります。詳しくは狭山事件を推理するのサイトの方にわかりやすくまとめられていますので、そちらをご参照下さい。ここでは、これまであまり採り上げられてこなかった証言をご紹介します。

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狭山事件: 「プロファイリングで解く重大事件」 その4

『狭山事件 無罪の新事実』『狭山事件 無罪の新事実』

前回のエントリへのコメントで、「狭山事件を推理する」サイト管理人さんより、さのヤに犯人が来たときにA先生もPTA会長と一緒に次姉に付き添っていたという話の出典をご教示いただきました。ありがとうございます。 確かに、上で引用したように、『狭山事件 無罪の新事実』の244ページに

(被害者)の中学の英語担任の(A先生)教諭の参加も大目に見たのもそういうわけである。

という記述がありました。

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狭山事件: 「プロファイリングで解く重大事件」 その3

前回のエントリで論じたとおり、野間宏『狭山裁判』にある先生自身の証言を信用するなら実話ナックルズの説は荒唐無稽で済ませられるのですが、いろいろな証言を総合するとそうもいかないのではないか(可能性として考察する価値は十分にあるのではないか)という気がしてきてしまいます。

最も大きな問題として、A先生が試合のために引率していたと証言している堀兼中学野球部は、事件当日の5月1日には試合がなかったのではないか、という点があります。

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