これまで「文春秋谷鑑定」とその問題点について見てきました。実は、これまでに、真正の「秋谷鑑定」の内容が一度だけ公になったことがあります。
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下山事件: 「秋谷鑑定」 その5
先のエントリまでで見てきたように、この「秋谷鑑定」と称するものは東大裁判化学教室の秋谷教授が書いたものではないと考えます。では、誰が書いたものでしょうか。
そのヒントになる記述が、「文春秋谷鑑定」の冒頭(その前にある文章は松本清張氏の紹介文で、網掛けの囲みのところからが「文春秋谷鑑定」の本文になります)にあります。「尚以上の鑑定並びにこれに付随する物件の調査…(中略)…については地検、警視庁捜査二課或は化学関係監督官庁の協力活動が行われた。」となっています。
下山事件: 「秋谷鑑定」 その4
以前のエントリで引用した「文春秋谷鑑定」に関する疑問の続きです。当該の「文春秋谷鑑定」において、「D51-651油は少し値数が高いので鉱油であるか否かを鹼化値測定によって判断した。その結果はわずか一・八で現れ0に等しいことを認めた」という記述があります。当方も化学の専門家ではありませんが、いろいろな書籍を見る限り鉱物油であれば鹼化値は0、植物油であれば100~200という数値になるのは確かなようです。
下山事件: 「秋谷鑑定」 その3
では、実際のところ蒸気機関車の下にはどの程度の油が存在するのでしょうか。
佐藤一氏が実際にとりあえず5台のD51(下山総裁を轢断したのと同型)の下に実際にもぐりこんで、布で抑えてしみだした油だけをとる方法で抽出した油の量でも51~97gであり、これだけでも明らかに「文春秋谷鑑定」の「4.5cc」がウソであることがわかります。また、この方法では下面にべっとりとついた油を含んだ泥の塊は拭き取っていないため、そういった油泥に含まれる油まで考慮すると、「車輛底部のあらゆる個所」を拭いて得られる油の総量は「おそらく『4.5cc』(約4g)の200倍をはるかにこえる量」、つまり最低でも1リットル程度と推定しています。
下山事件: 「秋谷鑑定」 その2 4.5ccって…
「文春秋谷鑑定」で最もわかりやすい疑問点が、「蒸気機関車であるD51の下面にはどれほどの油が存在するか?」 という点です。
「文春秋谷鑑定」では、「車輛底部のあらゆる個所を拭いて得た油量」が「4.5cc」と傍点付きで強調されて明記されています。この「4.5cc」という数値は、左上でも「轢断車でつき得る車輛油はD51-651の車底から採取した量4.5ccで判る通り、すこぶる微量である」と再度強調されていることから、ミスプリや勘違いではなく、この「文春秋谷鑑定」の著者(前回書いたようにこの「文春秋谷鑑定」自体がかなり怪しいので、あえて「秋谷教授」と書きません)が本当に4.5ccと考えていたことがわかります。
下山事件: 「秋谷鑑定」 その1
下山事件の自殺・他殺論争において、重要な論点の一つとなっているのが「秋谷鑑定」です。他殺説論者が「物的証拠」として持ち出すことが多い「下山油」「緑色の色素」の詳細は大抵この論文(?)を論拠にしています。
この「秋谷鑑定」とは、事件当時東京大学裁判化学主任教授だった秋谷七郎氏の「鑑定書」とされているものです。しかし、実際には、下山事件は裁判にはなっていませんので、検察が秋谷教授に依頼して提出してもらったという「秋谷鑑定」は一般には公表されていません。では、現在下山事件論争において「秋谷鑑定」とされているものは何かというと、文藝春秋(週刊じゃなくて月刊の方)の昭和48年8月号に「機密文書 下山事件捜査報告」として掲載された物を指しています。(もし「そうじゃない。秋谷教授が検察に提出した鑑定書が存在する」という方がいらっしゃれば、是非ともご教示下さい)
2008年9月1日注記: 昭和39年6月26日の衆議院法務委員会に資料として秋谷教授が提出した鑑定書が提出されており、その内容が『資料・下山事件』に掲載されていました。詳しくはこちらのエントリをご参照ください。
ところが、この文藝春秋に掲載された「秋谷鑑定」(以下「文春秋谷鑑定」と呼びます)には、あまりにも疑問点が多いのです。