Category Archives: 津山事件

津山事件: 中島病院

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中島病院旧本館(現・城西浪漫館)

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現在は喫茶室として一般公開されている

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中島琢之医師。おそらく睦雄を診察した

今回も以前訪問した際の写真のお蔵だしです。

都井睦雄は、当初は加茂の万袋医師や只友医師の診察を受けていましたが、津山の中島医師の診察も受けていました(診断は肺尖(カタル))。そのことは睦雄の親類(おばやんの甥)である寺井元一の証言にも出てきます。当時、肺病の人は診断や治療に納得がいかず医師を転々とする人が多かったとのことで、睦雄もそのご多分に漏れなかったようです。

中島琢之氏は津山出身で東京帝大医科大学を卒業し、請われて郷里に戻っていったん病院を開設したものの、最新の医学から取り残されるのをおそれて再び東京へ出たい意向を洩らしていました。すると、友人でもあった地元の銀行家が中心となって、この建物(中島病院旧本館)とレントゲン装置などを含む当時最新の医療機器を揃えて引き留めたため、引き続きこの地で診療を続けることになったとのことです。
そのような経緯から設備・医師とも当時のこの地方では最高峰の評判が高かったようで、睦雄がセカンドオピニオンを求めにわざわざここまで来たのもそれが理由でしょう。

中島病院は現在も津山市内にあり、構内に旧本館がそのまま保存されていて「城西浪漫館」として公開されています。上記は先日立ち寄った時の写真です。どこが診察室だったかわかりませんが、こんなところまで睦雄が来ていたかと思うと感慨深いものがあります。

 

津山事件: 冬コミ告知 その3

すいません。全然原稿進んでいません。このままだと付録だけで出すことになるかも。

…逆に付録だけの方が喜ばれるかもしれませんが(笑)

前回の続きでいろいろ調べてみると、戦前の「銃砲火薬類取締法」は、基本的に業としての銃砲火薬類の製造販売・輸出入を取り締まる法律であって、個人の銃器所持を取り締まる法律ではありませんでした。少なくとも私が調べた昭和8年版六法全書に掲載されている銃砲火薬類取締法ではそうなっています。そういう意味ではWikipediaの記述は結構適当だなあ、と改めて確認した次第です。

結局のところ、戦前には個人の銃器所持を取り締まる法律は存在しなかったようです。火薬に関しては狩猟法に規定があり、狩猟免許を所持していない者に販売してはいけないことになっていましたが、それも抜け道が多かったようです。睦雄も、警察の手入れで狩猟免許とすべての銃器・火薬を任意で提出した後も、隣村の狩猟免許保持者に依頼して火薬を買ってもらっていました。銃については偽名を使って購入しており、「津山事件報告書」でもそれは問題にされていません。要するに、銃自体の購入には身元確認が必要なかった、ということでしょう。

睦雄に依頼されて火薬を購入した男は、罰金20円という当時としてはかなりの厳罰を食らいました。
重大事件の原因を作ったことで厳罰になったという見方もできるでしょうが、司法当局が同様の犯罪を防ぐ目的で恣意的に重罰を科した、という印象を受けます。このあたりは、市井で話題になった事件には妙に厳罰が下る現在の司法状況と同じニオイを感じます。

他方で、津山事件の後、津山警察署長(警視)と西加茂駐在所を管轄する警部補は退職しました。警部補については、睦雄の親類からの訴えで睦雄の家を家宅捜索したことについて、「大げさすぎる」と現場の巡査を叱責したことが問題になったようです。その一方、駐在所の巡査は異動になったものの退職はしていません。この点においては、当時の警察はまだ健全であった感じがします。現在の警察・検察であれば、まず間違いなく現場の巡査をクビにして、署長や上司は戒告あるいは減給程度で済ませるところでしょう。村木問題で前田検事にすべての罪をかぶせてケリをつけようとしているように。

 

津山事件: サムハラ神社 奥の宮

いつも大阪に出張したときに泊まるホテルのそばにサムハラ神社があることに、先日気が付きました。「サムハラ神社」は、弾避けに霊験あらたかということで戦前・戦中にかなり広まった宗教です。

「サムハラ」は本当はUnicodeに入っていない漢字(「神字」だそうです)を書きます。こちらのブログにある画像をご参照ください。なにしろPCでは出せない字なので以下「サムハラ」と記述します。

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津山事件: 冬コミ告知 その2

冬コミ用の原稿を書き始めています。

概説的な文章を書くことで、初めて気が付いたことがいくつかあります。

  1. 筑波昭さんは臨場感あふれる襲撃シーンを書いています。しかし、実は、「津山事件報告書」でも都井睦雄が襲撃した家の順番は確定できていないようです。大阪毎日新聞が襲撃順を推定していますが、筑波本とは違う順番です。当時の地図と筑波本の襲撃順を照らし合わせると、筑波本で記述されている襲撃順はあっちへ行ったりこっちへ行ったりと、かなり無駄が多いことがわかります。
  2. Wikipediaでは、明治時代から日本では銃の所持に許可が必要であったように書かれています。しかし、少なくとも昭和13年当時は銃と実弾は狩猟免許なしでも購入できたようです。狩猟免許を呈示しないと購入できなかったのは火薬だけで、免許を取り上げられた睦雄は隣村の知人に依頼して火薬だけ購入してもらっています。

現時点で私は、筑波本はノンフィクションではなく実在の事件を元にしたフィクションであると考えています。そう考えるようになったのは今年に入って「津山事件報告書」の実物を入手してからですが、筑波本のほとんど全てが鵜呑みにできない、再確認が必要な状況ではないかと思います。

ちょっと仕事も多忙になっているため冬コミに間に合うかどうかわかりませんが、折角の機会なのでできるだけ頑張ってみようと思います。

 

その他: 冬コミ告知 その1

試しに冬コミに申し込んでいたら当選してしまいました。3日目(12月31日)東Q-50bです。3日目ですがエロはありません(笑)。

津山事件関係でコピー本を作ろうかと思っています。「付録」の方が分厚くなりそうで、その分かなりお高くなると思いますが、ご期待に沿える物を作るべく頑張りたいと思います。今後、詳細決まり次第この場で告知しますので、よろしくお願いします。

津山事件: 『あの事件を追いかけて』

ちょっとまた、海外・国内出張が重なっていて更新が滞っています。申し訳ないです。

今回も軽めの内容です。

『あの事件を追いかけて』という本で、津山事件が採り上げられています。オフィシャルブログはこちら

津山事件に関してはページ数も少なく、取材も「地元の人に話を聞いたが話してくれなかった」という程度の内容ですので、津山事件関係で期待してこの本を買ってもあまり満足は得られないと思います。鎌田慧さんも時評を寄せていますが、津山事件に関してはおそらく筑波昭氏の創作である阿部定事件と睦雄との関係に終始しており、こちらもそれほど見るべきものはありません。
さらに、秋葉原無差別殺人などの記事もいかにも表面的な取材と、オタク文化に対する無理解を晒しています。

しかし、著者が一番メインで追いかけているホテルニュージャパン火災現場跡地の写真はさすがに圧巻です。「高級ホテルの証だったビデ」などの考察も充実しており、一読に値します。他にも埼玉愛犬家連続殺人や山口組田岡三代目の襲撃現場の取材などでは、取材した方の熱の入り方が伺えます。

全体として、事件ごとに取材の浅深が極端で、ツッコミが浅い事件は「興味ないんだろうなあ…」というのがありありとわかります。反面、それだけに、突っ込んで取材している事件はかなり面白く読める本です。自分(本ブログ管理人)自身の、事件ごとの熱の入れようやツッコミの深さについて反省もさせられました。
最近の単行本高騰の中で税込み1000円という良心的な価格でもありますので、昭和の様々な事件を概観したい方、ホテルニュージャパン火災事件に興味がある方にはお勧めします。

ちなみにここの出版社は、池田大作より他に神はなしというアブない連載をブログに載せている点で大変度胸というか志のある出版社ではないかと思います。(…一応誤解がないように書いておきます。この連載の意図がわからない方は、このエントリがアップされた日付、ならびにコメント欄のやりとりをよ~くお考えください)

今後いろいろな意味で、この出版社には注目していきたいと思います。

津山事件: 当時の加茂町

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『目で見る美作の100年』より

本日の写真は、昭和初期の加茂町小中原です。キャプションにもあるように、当時の加茂町には家畜市場があって市が立つときはかなりの人出があったようで、写真を見る限りでは失礼ながら今の小中原よりも格段に活気があるように見えます。ちなみに、小中原というのは塔中と並ぶ加茂の中心地です。

大きな地図で見る

都井家は一時期塔中に住んでいましたし、貝尾から小中原までは徒歩でも1時間内外(4km程度)です。そういう意味では、「人里離れた山奥の山村の一青年」というイメージは、睦雄にあてはまらないのかもしれません。そのあたりは、事件後に現地を訪問した中垣清春予備検事の文章(筑波本にも引用されています)にも現れています。

私は犯人都井の住む此の村が陰惨な山間僻地で文化にとり殘され、豊かな生活も阻まれた寒村であると想像してゐた。
そしてそれが此の事件の發生に何パーセントかの影響を與へてゐるものと固く信じてゐた。それが見事に裏切られた。陽氣の加減もあつただらうがあの東北の冷害地方を知り、四時雪を戴く信飛の高原地帶を見てゐる私には、山國とは云へ尚豊饒な農家生活を営み得る餘裕を此の土地に見い出した。土地の氣候、風土等が犯人都井にどれだけ作用したかは大いに疑つて見ねばならぬ問題となつた。

 

その他: 徒然草

世にかたりつたふる事、まことはあいなきにや、おほくはみな虚事なり。あるにも過ぎて人はものを言ひなすに、まして年月すぎ、境も隔たりぬれば、言ひたきままに語りなして、筆にも書きとどめぬれば、やがてまた定まりぬ。

(徒然草)

世間で語りつたえる事は、ほんとうの事実はつまらないのか、たいていはみなでたらめだ。人は、事実以上にものごとを言いたてるうえに、まして年月もたち、場所もかけ離れたところだということになると、言いたいほうだいにでっちあげて、文章にまで記録してしまうと、それでもう事実ということになるのだ。

小西甚一『古文研究法』(上記・徒然草の文章の現代語訳)

学生時代の参考書を読み返していたら、非常に含蓄のある言葉が目に付いたので、今更ですが書き留めておきます。狭山事件でも、下山事件でも、津山事件でも、この言葉に当てはまる本や人が容易に思い浮かびます。

「年月すぎ、境も隔たりぬれば、言ひたきままに語りなして、筆にも書きとどめぬれば、やがてまた定まりぬ」
この言葉は、本ブログを続ける限り心に留めておきたいと思います。