狭山事件: 長兄の手記 その2


サンケイ新聞 昭和38年5月23日付夕刊 神奈川県立図書館蔵

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サンケイ新聞 昭和38年5月23日付夕刊 国会図書館蔵

私(本ブログ管理人)もつい最近まで存じ上げていませんでしたが、『狭山事件を推理する』(本の方)の著者である甲斐仁志氏がWebページを開設し、そこで『狭山事件を推理する』の内容をほぼ全て公開されているようです。
 リンクはこちら: 狭山事件を推理する ホームページ復刻版

著者で上記ホームページ復刻版の管理人である甲斐仁志氏に、伊吹隼人さんがコンタクトされていくつか新しい情報を得ています。当方からも甲斐さんにコンタクトを試みていますが、現時点でまだご回答をいただいていないため、ちょっと取扱に迷っている部分があります。とりあえず、甲斐氏ご本人の了承なしで書ける部分をいくつか取り上げたいと思います。

今回判明した事実で最も重要なのは、甲斐仁志さんは石川一雄さんの支援団体に関係したことがあり、『狭山事件を推理する』の中でこれまで根拠が不明だったいくつかの記述が、実はそういった支援団体の調査に基づくものであったということでしょう。
私(本ブログ管理人)も、他の本で裏付けが取れない甲斐本の記述は、単純に事実ではないと考えていましたが、いろいろな状況を考えるとそうとも言い切れないような気がしてきています。

最もわかりやすい例として、長兄の手記の「犯人たるおまえに…」の記述があります。一応改めて問題となる記述を引用しておきます。

犯人たるおまえに なぜ善人に戻って呉れなかったのか、悪に取りつかれたおまえでさえ戻るのみの善をおまえはもって居た筈であり、その善は今日のこの日を待っては居なかった筈なのに……

私(本ブログ管理人)は、この記述が甲斐本以外に見当たらないことから甲斐氏の創作であろうと判断していました。しかし、甲斐氏によれば、これは実際に長兄の手記に書いてあった内容であったとのことです。本日の画像はその検証です。どちらもサンケイ新聞昭和38年5月23日付夕刊の、長兄の手記が掲載された紙面です。

上の画像は、神奈川県立図書館で閲覧したものです。下の画像は、国会図書館で閲覧したものです。いずれも縮刷版ではなく、当時配達された新聞を、神奈川県立図書館は実物の新聞のまま、国会図書館はマイクロフィルムで閲覧し、コピーしています。どちらも「第4版」になっているにもかかわらず、長兄の手記の画像が微妙に異なっています。具体的に言えば、上の画像では「お願ひ致します」と「苦しかった事だろう」の間に空白行があるのに対して、下の画像は「苦しかった事だろう」以下が「お願ひ致します」の行に寄せられていて、全体にコンパクトにまとめられています。

常識的に考えると国会図書館蔵の記事の方が神奈川より時間的に後の版であると考えられ、それは国会図書館版の方が地の文が増えていることでもわかります。そのスペースを捻出するために「苦しかった事だろう」以下を詰めて掲載したという推測も可能です。ただ、いずれにしても、サンケイ新聞による長兄手記の変造がこれだけ明らかに示されている以上、甲斐氏による「もっと早い版には『犯人たるお前に…』の記述があった」という主張は、ある程度の信憑性があるのではないかと思います。

 

One thought on “狭山事件: 長兄の手記 その2”

  1. 管理人様へ

    当時の、「あれれ?」な貴重な記事を発掘して下さって、有り難うございます。

    「あれれ?」すぎて、涙がでます。
    期を逸してるのを承知で言わせて頂くなら、 当時の、 「文責記者」さんに、 「ねぇ、この違いはなに?わかるように説明しなさいよ」と聞きたい心境に今有ることです。使い方をを間違っているかも知れませんが、「なんだコノヤロウ」です。

    そうして、Yさんのハツラツとした命を思う時、事件に関連して、口をつぐんでる人が居ることに、胸が締め付けられています。

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