被害者の長兄の手記です(クリックで拡大、サンケイ新聞昭和38年5月23日(IK氏が別件容疑で逮捕された日)付夕刊に掲載)
この手記を見て気づくことがいくつかあります。
- 筆跡は、
脅迫状の筆跡とは違っているように思います。(筆跡鑑定の専門家でもない管理人の個人的見解ですが)
- 関連書籍やネットなどで長兄の手記の内容として紹介される文章には、ここに出ている文章に「犯人たるおまえに なぜ善人に戻って呉れなかったのか、悪に取りつかれたおまえでさえ戻るのみの善をおまえはもって居た筈であり、その善は今日のこの日を待っては居なかった筈なのに‥‥」という内容が後についていることが多いようです。
- この内容はどこから来たものなのでしょうか。(→どうもこの部分は、『狭山事件を推理する Vの悲劇』(甲斐仁志著)に初めて掲載されたようです)
- もしこの内容がもともとあったのにサンケイ新聞には掲載されなかった(割愛された)とすると、どうやって後世に伝わったのでしょうか。(→どうして甲斐氏はその内容を知ったのでしょうか。あるいは甲斐氏の捏造なのでしょうか)
- この手記には、最後の2行の前に不自然な空白があります。さらに、掲載にあたっていろいろと切り貼りしたらしい痕跡が周囲に残っています。このコピーは、マイクロフィルムや縮刷版ではなく本当に当時配達された新聞が閲覧できる図書館で取ったので、これらの痕跡は本当に当日のサンケイ新聞夕刊にあったものです。この部分にはどのような内容があった(あるいはなかった)のでしょうか。上記2.の内容が書かれていた可能性もありますが・・・
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