下山事件: 諸永裕司氏のレトリック その3 下山総裁がタバコを1本も吸わなくなるまで

『葬られた夏 追跡 下山事件』『葬られた夏 追跡 下山事件』

前回引っ張りましたが、末廣旅館に現れた「下山総裁」がタバコを1本も吸わなくなるのには諸永氏のテクニック(笑)が一役買っていると思います。それ以外にも、今回引用した画像には諸永レトリックを堪能できる部分がいくつかあります。


末廣旅館における下山総裁がタバコを吸ったのか吸わなかったのかについては、過去に論争がありました。

朝日新聞 昭和24年7月13日付朝刊朝日新聞 昭和24年7月13日付朝刊

事件から1週間が経った7月13日付の朝日新聞です。「下山氏は煙草を一日十五本から二十本吸うというが、同旅館にいた約四時間中一本も吸わなかったことが、吸ガラのないことで立証されている」と断言しています。

これに対して、前回のエントリで関口氏が書いたように、旅館の仕事として、客が立ち去った後の吸いガラの始末やコップを洗うなどは普通に行うことで、旅館の女主人であるNFさんが「記憶がない」というのは自然な話であって、吸いガラがのこっていないことをもって「タバコを吸わなかった」証拠とするのはおかしいという反論がありました。

週刊朝日 昭和44年9月19日付週刊朝日 昭和44年9月19日付

これはさらにそれに対する松本清張氏の反論です。これは一応公平な書き方になっていて、「NFさんはその客がタバコを吸ったかどうかおぼえていないという」けれども、「無類のタバコ好き」の下山総裁が残した「吸いガラでいっぱいの灰皿」が「印象に残らないはずはない」 と主張しています。

しかし、上の朝日新聞の記事にあるように、下山総裁の喫煙量は1日15~20本=1箱以下です。これで「無類のタバコ好き」というのがそもそも印象操作にすぎないと思うのですが、まあそれはよいとしてそのペースで行けば末廣旅館にいた4時間で吸うタバコはおおよそ10本といったところでしょう。松本清張氏が言うように「ひとりで悩んでいるなら、よけいに吸う」といっても、1日1箱ペースの人が背広のポケットにタバコを2箱も3箱も持っているとも思えず、吸いガラはどんなに多くても1箱分の20本程度しかなかったと考えられます。現在と違って喫煙者も多かった当時(昭和24年の喫煙率のデータが見あたらないのですが、昭和40年時点で男性の喫煙率は80%を超えており(ノバルティスファーマ広報誌より)、常識的に考えて昭和24年時点でも同等かそれ以上の喫煙率だったと思います)、NFさんの印象にも残らなかったというのに、別に不自然な感じはありません。

これが、我らが諸永氏にかかるとこうなります。

  • 「下山はヘビースモーカーだった」:上でも説明したとおり、下山総裁の喫煙量は1日15~20本=1箱以下でした。1996年の時点で喫煙者の1日平均喫煙量が26本(前出広報誌)とのことですから、喫煙者も多かった当時としてはとても「ヘビースモーカー」とは呼べない、普通以下の量ではないかと思います。
  • 「末広旅館にはタバコの吸い殻が一つも残っていなかった」:これが白眉です。「タバコの吸い殻が一つも残っていなかった」こと自体は事実です。実際には「吸い殻が一つも残っていな」い理由は、吸わなかったからなのか、片付けてしまったからなのか不明なわけですが、この表現だけでスパっと「下山総裁は末廣旅館でタバコを吸わなかった」印象づけを効果的に行っています。諸永テクニック、参考になります(笑)。
  • 「髪の毛一本さえ残されていなかった」:これは明らかな事実誤認ですね。下山事件自殺説紹介ブログさんの検証をどうぞ。

17 thoughts on “下山事件: 諸永裕司氏のレトリック その3 下山総裁がタバコを1本も吸わなくなるまで”

  1.  こんばんは。
     その手の「テクニック」は狭山事件関係の推理でもよくありますね。

     前回エントリにWikipediaでのことが書かれていましたが、そこでの記述を鵜呑みにする人もたまに見受けられるようですね。「百科事典」などと銘打ってあるのがその原因でしょうか。私などは、「百科事典ふう掲示板」若しくは「掲示板的百科事典」と名称を変えたほうが良いように思います(べつにWikipediaをいけないサイトと言うつもりではないのですが)。歴史関係の記述を前に読んでいたら、明らかなマチガイを書いていたひとも居ました。「嘘を嘘と見抜くのも掲示板利用者の心得」なので、私はいちいち訂正しませんでしたが…。それと、ハンドルを使わずにIPで投稿した時期もあったのですが、「匿名投稿はやめてハンドルを使いましょう」とアドバイスを受けたこともありました。でも、ハンドルを使うよりは、IPを晒したほうが、より匿名性が薄れると思うのですが、こんなところも少し頓珍漢なサイト風土(笑)。

     余談でスミマセンでした。

  2. 実は私もWikipediaには結構投稿していて、ハンドルも持っています。女子プロ野球山一證券はほとんど私が書いたものなので、よろしければご笑覧ください。
    ただ、最近は要出典厨(これはアンサイクロペディアの方をご参照下さい)のはびこり方にかなり辟易気味なので、あまり書き込んでいません。出典が示されていないものに機械的に「要出典」をくっつけたり削除申請して、しかもそれに対して抗議すると上から目線で「Wikipediaの基本方針を読んでください」とだけ返事するなんてのはロボットでもできることであって、偉くも何ともないと思うのですが、それをやると「管理者」みたいでカッコイイ、と思っている人たち(恐ろしいことに複数形です)がいるみたいです。
    そんな事情もこっちでブログを始めた理由の一つだったりします。

  3. 下山総裁の喫煙量が1日15~20本に過ぎないとは知りませんでした。貴重な情報ありがとうございます。事実確認をしっかりとしない、印象操作をする、個人的にはそういうのが一番嫌いです。他殺説と自殺説に分かれるのは仕方ないし、それぞれの説そのものが嫌いとか悪いとかないんですけど、諸永テクニック的なのは本当に性質が悪いと思います。

  4. 「下山総裁の喫煙量が1日20本程度」というのは、無限回廊下山事件の項(ページの一番下の方)にも書いてありましたね。これも以前どっかで見た覚えがあったのですが、今日久しぶりに見つけたので念のため書いておきます。「周知のことをさも自分が発見したように書いている」とか言われるのもアレなんで(笑)

    無限回廊の管理人(boro氏)は「一日に20本も吸うほどのタバコ好きにもかかわらずそのタバコが発見されていないこと」を他殺と考える根拠に挙げていらっしゃいます。しかし、このエントリでも論じましたが、「1日20本=1箱」というのは当時の喫煙者としては普通かむしろ少ない方でしょう。下山総裁が当日手荷物を持っていなかったことは目撃者の証言が一致しており、おしゃれに気を遣う下山総裁が1日1箱しか吸わないタバコを2箱も3箱も背広のポケットをふくらませて持ち歩くとは思えません。

  5. >「1日20本=1箱」というのは当時の喫煙者としては普通かむしろ少ない方でしょう。下山総裁が当日手荷物を持っていなかったことは目撃者の証言が一致しており、おしゃれに気を遣う下山総裁が1日1箱しか吸わないタバコを2箱も3箱も背広のポケットをふくらませて持ち歩くとは思えません。

    1日20本ということは1時間に少なくても1本吸う計算になる。これくらい吸うのであれば、少ない多いという当時の喫煙者の本数にかかわらず常に持っていると考えるのが自然。「手荷物を持っていなかった」という証言があるそうですが、背広などのポケットに1箱入れておけばいいのでは? 2~3箱であっても内ポケットと外のポケットにそれぞれ1箱ずつ入るし、それくらいのふくらみは気にならないのでは? 特にタバコを1日20本吸う人であれば、いくらおしゃれに気を遣う人でも気にならないとも言えますね。それに、boro氏が他殺説を根拠にしている理由はタバコ以外にもネクタイがないことがありますね。お風呂に入るときでさえもはずさないほどのど近眼なのにメガネがみつかっていないのも気になりますね。すべての他殺説の理由を取り上げず、タバコのみを取り上げてそれに対する推理も? 

  6. 他人が書いたモノに対してアレコレとケチつけてるだけじゃん。自分の考えはどこにあんの?

  7. コメントありがとうございます。リアルの方で多忙だったことと体調を崩していたために反応が遅れていてすいません。

    最初に、私の考えは既に「下山事件」の最初のエントリに書かせていただいています。要するに「自殺6:他殺4」といったところです。実際には、証拠だけから考えると9割以上自殺だと考えざるを得ないのですが、私自身他殺説・陰謀説にまだ魅力を感じているので、不謹慎ながら他殺であった方が面白いという願望込みで他殺4という表現をしています。

    また、ブログというメディアの特性上、1つのエントリでは1つのテーマに絞って話をしています。他殺説の問題点がタバコだけではないことは確かですが、諸永氏をはじめとする他殺説論者の方々のタバコに対する扱い方があまりにもひどいのでこのエントリではタバコの話を採り上げています。他のエントリでは「秋谷鑑定」の疑問点など、他の点についても書いていますので、よろしければそちらもご参照下さい。
    また、私が書いたのは

    無限回廊の管理人(boro氏)は「一日に20本も吸うほどのタバコ好きにもかかわらずそのタバコが発見されていないこと」を他殺と考える根拠に挙げていらっしゃいます。

    ということで、boro氏が他殺と考える理由の一つとしてタバコを挙げていると書いたつもりです。

    最後に、私が「証拠だけから考えると9割以上自殺だと」考える理由について、一番大きな根拠は法医学的な考え方です。生体轢断か死後轢断かについては結局結論は出ていないと思いますが、それとは全く別の観点で、胸部が扁平化するほどの大きな力がかかるには、立位で正面から機関車とぶつかったと考えるほかないという、錫谷北大教授の議論が最も説得力があると考えるからです。この点についての詳細は、下山事件自殺説紹介ブログさんに詳しく書かれていますのでそちらをご参照下さい。

    当初はこちらのブログでも錫谷教授の説について書くつもりもあったのですが、あちらのブログであまりにも見事かつ詳細な解説がされているので自重している状態です。その意味で、本ブログの下山事件関係のエントリがちょっと中途半端になっているのも確かなので、将来的にはもうちょっと(下山事件自殺説紹介ブログさんと重ならない範囲で)書き足したいとは思っています。私(管理人)がなぜ他殺説・陰謀説にまだ未練があるのかも含めて。

  8. 無限回廊の管理人(boro氏)は「一日に20本も吸うほどのタバコ好きにもかかわらずそのタバコが発見されていないこと」を他殺と考える根拠に挙げていらっしゃいます。

    というように書くと、あたかもこのタバコのみの理由で他殺と考えているように思ってしまうので、最初から「理由の一つ」としなければならなかったし、その他の他殺と考える理由も取り上げるべきでした。

    それから前にも書きましたが、タバコを一日20本吸うということとそれが当時、普通かむしろ少ないことであったこととタバコをいつも持ち歩くかどうかについては関係はないですよね。一日に10本しか吸わない人でもいつも持ち歩く人もいれば、30本吸う人でもいつも持ち歩くとは限らない人もいるわけです。でも一日20本吸う人はいつも持ち歩いていると考えるのが自然のような気がします。タバコについてはどうにでも解釈できるのでこれくらいにします。ど近眼なのに現場にメガネもなく、ネクタイもなかった。靴は脱げてグシャグシャになっていたのに靴下は脱げていなかった。現場にも解剖した遺体にも血液が少なかった。現場に血液が少なかったのは大雨のために流されたからという理由もあるが、遺体自体にほとんど血液が残っていなかったのは不自然。体の半分に付いた油も不自然。これらの現場検証から言えるのは自殺を装った他殺ですね。「下山事件全研究」を書かれ、自殺説を唱える佐藤氏が共産党員であったことや精神科医でもなくまして精神鑑定を行ったわけでもない佐藤氏が下山を鬱ゆう病・・・?だと「診断」。錫谷北大教授の説は知っていますが、立位=自殺と結論づけるのはどうかなと思いますね。わざわざそこに「立たせて」自殺を装うこともできないことではない。そこまでやったかどうかまではもちろんわかりませんが。
    帝銀事件と同様、下山事件もGHQが絡んでいると考えるのが自然のような気がします。確たる根拠はありませんが。

  9. タバコ、メガネ、ネクタイについては、現場から見つかっていないというだけですよね。タバコについてはもちろん持ち歩いてはいたでしょうが、おそらく末広旅館で吸い尽くしてしまったものと考えます。ネクタイについて、下山総裁の下着の一部はご存じの通り平駅まで機関車にくっついたまま運ばれていますので、ネクタイのような細長いものが一時的にどこかに引っかかって、途中でまた飛んでしまったという推測に特にムリがあるとも思えません。最後にメガネですが、メガネをかけたまま鉄道自殺した人のメガネが500m先まで飛ばされたという事例もあるそうで、捜索した範囲からメガネが見つからなかったことが、イコール轢断された際に総裁がメガネをかけていなかったことにはならないでしょう。

    それに対して、「立位で機関車にぶつかった」ということは、私の考えではほぼ科学的事実と思います。そうなると、
    1.死体を立たせた状態で機関車にぶつけた
    2.本人が立った状態で機関車にぶつかった
     2-1.自殺
     2-2.薬か何かでもうろうとしている状態で線路上に立たせた
    上記のいずれかになります。「そこまでやったかどうかまではもちろんわかりません」ではなく、それ以外に可能性はないと私(管理人)としては考えています。
    1.については、支柱やロープを含めてかなり大がかりな仕掛けを作る必要があり、そんなものを作っていたら前後にそこを通りがかった列車の運転士にも見つかるでしょうし、そもそも何のためにそこまでやるのかということになります。そうなると、2-1あるいは2-2のいずれかしか可能性はないでしょう。
    要するに、他殺としても平成三部作で言われているような「脇の下から血を抜いて殺し、それをごまかすために脇の部分をレールの上に置いてちょうど轢断されるようにした」ということはまずありえず、そうなると「血抜きの○○」みたいな人物の出番もないと思います。

    松川事件においては明白に陰謀(デッチ上げ)がありました。事件そのものを誰が起こしたのかは現在も謎のままですが、刑札が労働組合員を逮捕・起訴し、彼らの犯行として喧伝することで共産党の勢いを削ごうとしたことは明らかです。
    下山事件に関しても、同様に共産党勢力の伸長を防止する目的で、日本政府が捜査本部による自殺寄りの結論の公表を差し止めたというのもかなり確度が高いことだと思います。そのまたバックにGHQの意向があったかどうかまではわかりませんが。いずれにしても、下山事件が自殺であろうと他殺であろうと、その事後処理において日本政府の意向が絡んでいたということは言えるのではないでしょうか。

    一応念のために書いておくと、私自身は共産党とは何の関係もなく、むしろ政治的には保守系の人間だと自分では考えています。そして、当時の状況(伝え聞く限りですが)において、日本政府が上記のような手段で共産党勢力の伸長を食い止めようとしたこと自体に非を唱えるものではありません。ただし、そのために事実をゆがめたり、無辜の人を逮捕・起訴した(松川事件において)のはさすがに問題があると思っています。

  10. 私は他殺だと考えているので末広旅館に下山は行っていないと思います。線路脇などをうろつく下山を見たという証言がいくつか出てきますが、本人であれば見たという人のほとんどが、「本人である」と言うはずですが、本人ではないという証言もいくつかありますよね。私はこれはダミーだと思います。ダミーを用意するほど念入りに自殺に見せかけてはいるものの、タバコやメガネ、ネクタイが現場にないのが変なのですね。おっしゃる通り、どこかに飛ばされた可能性はありますが、それでも血液や靴下の問題もありますね。外国人にしてみれば、日本人は同じような顔をしているように見える・・・だから、まあ、ちょっと下山とそれほど似ていなくても線路脇をうろつかせれば本人と思われるんじゃないか、、、と考えたのかもしれません。でも、タバコ、ネクタイ、メガネなどのこまごまとしたものまでここにはなくてもいいだろう、、、そう安易に考えたのかもしれません。日本人が考える自殺工作とはまったく逆とも言えるかと思います。

  11. 一つだけ。「他殺だと考えているので末広旅館に下山は行っていないと思います」というのは論理が逆立ちしていますよね。「○○という理由で末広旅館に下山総裁が現れたという証言は虚偽だと判断するので、それが私が他殺と考える一つの理由です」ならわかりますが。

    他殺説論者が末広旅館の証言を疑う際によく持ち出される「女将の夫が元特高警察官だった」というのは、別に隠されていたことでも何でもなく事件直後から広く報道されていたことで、それを陰謀云々の理由にするのはちょっと苦しいと思います(この点については以前にこのブログでも取り上げました)。また、事件後、末広旅館は客足が途絶えて経営が苦しくなり、後に敷地の半分を切り売りするなどかなり経済的にも困窮したようです。もし女将が刑札から依頼されて下山総裁が現れたという証言をしたのであれば、いくらでもそれをカネにする方法はあったでしょうに、そうしなかったのも解せないところです。結局のところ、全部を鵜呑みにするわけにはいかないかもしれませんが、末広旅館女将の証言にはある程度の信憑性を認めざるをえないと思います。

  12. >「他殺だと考えているので末広旅館に下山は行っていないと思います」というのは論理が逆立ちしていますよね。

    どうしてですか? 末広旅館に現れたのはダミーだと思うので、下山は末広旅館に行っていないと思ったのですが、それが[論理の逆立ち」・・・? 末広旅館についてはいくら考えても推測の域を出ないと思いますが。

    下山は国鉄の人員整理のために総裁になったようなもので下山もそのつもりで総裁になったと思いますが、その発言などから温厚な顔立ちに似合わず?責任感の強い人間であり、なんとしても人員整理を成功させたかったと思います。でも、何万、何十万?の人員整理は一言で言うならツラい仕事。できるならしたくない。だから悩んでいたのは確かですが、だからといって自殺することで終わりにしたいとか逃げたいとは思っていなかったと思います。なにもせずに自殺する例というのは極めてまれで、やはり責任感ある人間としてはとりあえずやり遂げようと思うのが自然という気がします。そしてやろうと思えば人員整理はできたはずですから自殺にはならなかったと思います。

  13. 8月21日につぎのような失礼なことを書いたことをお許しください。

    「他人が書いたモノに対してアレコレとケチつけてるだけじゃん。自分の考えはどこにあんの?」

    また、この事件でレスしていただきありがとうございました。

    また、機会がありましたらよろしくお願いします。

  14. いえ、私の方もいろいろあって長い間放置になってしまってすいませんでした。

    末広旅館の件について。NF証言が存在していることは「推測の域」ではなく「事実」です。それを否定するのであればそれなりの根拠が必要でしょう。さらに、NF証言の中で家族しか知らないような下山総裁のクセが描写されており、それを信用すれば末広旅館に現れたのは下山総裁と考えざるをえないというのもまた事実です。それらの「事実」にかかわらず「末広旅館に下山総裁は現れていない」と考える根拠が「私が他殺説を信奉しているから」というのでは、「神は実在する。なぜなら、私が神を信じているからだ」と言っているのと同じことだ、というのが、私(管理人)が「論理の逆立ち」と表現した意味です。(閑話。これは信仰としては非常に正しい態度ですが、議論における論理としてはあまりいただけない態度です。閑話休題)。

    NF証言がある以上、確固たる根拠なしに末広旅館の件を「推測の域を出ない」というのは傲慢にすぎると思います。宿帳に筆跡を残していないとか、吸い殻が残っていないというのは、それこそNF証言という確固たる証拠を覆すには弱すぎる「推測の域を出ない」事象であると私(管理人)は考えています。

    また、責任感が強い人間ほど、プレッシャーがかかって逃げ道がない状況に置かれると突拍子もない行動をするというのも一般論としてはよく言われることです。現に、下山総裁も失踪の前数日は奇異な行動が目立っています(アイスクリームの一件など)。というわけで、一般論としての「責任感が強い人間だから」というのは「下山総裁は自殺ではない」という理由にはならないと思います。

  15. 「推測の域」と書いたのは、NF証言など末広旅館でのすべての「事実」から考えられることについて「推測の域」を出ない、と書いたつもりで、末広旅館での出来事が証言通りの嘘偽りのない事実だったとしても、だから末広旅館に現れた男=下山と結論づけるのはどうかなと思います。下山のクセについても本当に家族だけしか知らないことだということを証明できるものはないですよね。下山をずっと観察していればいくつかのクセがあることは分かってくることだったりします。なんども言うように末広旅館に現れたのは下山の代わりのダミーだと思うので、末広旅館に現れた男=下山ではないということです。ダミーだと思うこと自体、「推測の域」ですが、ダミーと思うことが先にあったわけではなく、一番最初に思ったのが遺体発見現場から考えられる他殺であり、そのほかの例えば末広旅館での出来事などでは他殺で矛盾する要素があれば、考えを変えるという考えです。でも、末広旅館でのことは決定的な証拠となることがひとつもないですよね。そういう意味でこれ以上いくら考えても「推測の域」を出ないとしたまでです。

    私に文章力がないために正確に伝わっていないようですね。

  16. 補足・・・

    他殺だから末広旅館に現れたのはダミーと思ったわけではなく、旅館でのことや線路脇での目撃証言などのあらゆることを考えた上で、現れた男=ダミーである可能性が高い、と思ったまでです。

    末広旅館でのことについての考えについて、「推測の域」としましたが、私の考え自体、すべて「推測の域」であることは言うまでもありませんが、、、。

    また、自殺という線をまったく否定するものでもありません。

  17. 人が書いたものに対し、理解しようとせず安易に「傲慢」などという言葉を使わない方がいいですよ。「傲慢」・・・? 何様って感じ。

    あなたが書いた下の文章、論理的にものすごくヘンですよね。人のこと言えたもんじゃない。

    「一日に20本も吸うほどのタバコ好きにもかかわらずそのタバコが発見されていないこと」を他殺と考える根拠に挙げていらっしゃいます。しかし、このエントリでも論じましたが、「1日20本=1箱」というのは当時の喫煙者としては普通かむしろ少ない方でしょう。下山総裁が当日手荷物を持っていなかったことは目撃者の証言が一致しており、おしゃれに気を遣う下山総裁が1日1箱しか吸わないタバコを2箱も3箱も背広のポケットをふくらませて持ち歩くとは思えません。

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