Tag Archives: 荒坂峠

津山事件: 現地調査会のお知らせ

すいません。諸般の事情により本件中止とさせていただきます。もし検討中という方がいらっしゃったら申し訳なく、お詫び申し上げます。また時期を見て改めて企画したいと思います。

試験的に津山事件の現地調査会を開催してみます。

  • 集合: 5月26日(土)午前10:30津山駅または午前9:00岡山空港
  • 解散: 26日(土)午後5:00津山駅または27日(日)午前11:00岡山空港
  • 訪問予定地: 貝尾、荒坂峠、倉見(睦雄の墓)、姉のうどん店、「ゆり子」宅
  • 費用: 資料代とレンタカー代割り勘(2千円程度)
  • 募集人数: 最大4名(小型のレンタカーで回りますので、それ以上は乗車不可です)
  • その他: 当日夜、当方は湯郷温泉にて宿泊予定です。翌日岡山空港にての解散をご希望の方は湯郷音泉で宿をお取りください。
  • その他2: 当日、同人誌の販売をご希望の方は手渡しすることも可能です。ただし持って行かなくてはならないので事前にお申込ください。

場所が場所だけに参加できる方は少ないと思いますが、もしご希望の方がいらっしゃれば blog@flowmanagement.jp (間の@を半角に変換してください)宛にメールをいただくか、本エントリにコメントで申込をお願いします。(申込コメントは表示しません)

予定変更等がある場合には本ブログにて告知します。


本ブログでとりあげている事件に関する同人誌等の通信販売を行っています。詳細はこちらをご参照ください。また、とらのあな通販もご利用ください。


 

津山事件: 『あの事件を追いかけて』

ちょっとまた、海外・国内出張が重なっていて更新が滞っています。申し訳ないです。

今回も軽めの内容です。

『あの事件を追いかけて』という本で、津山事件が採り上げられています。オフィシャルブログはこちら

津山事件に関してはページ数も少なく、取材も「地元の人に話を聞いたが話してくれなかった」という程度の内容ですので、津山事件関係で期待してこの本を買ってもあまり満足は得られないと思います。鎌田慧さんも時評を寄せていますが、津山事件に関してはおそらく筑波昭氏の創作である阿部定事件と睦雄との関係に終始しており、こちらもそれほど見るべきものはありません。
さらに、秋葉原無差別殺人などの記事もいかにも表面的な取材と、オタク文化に対する無理解を晒しています。

しかし、著者が一番メインで追いかけているホテルニュージャパン火災現場跡地の写真はさすがに圧巻です。「高級ホテルの証だったビデ」などの考察も充実しており、一読に値します。他にも埼玉愛犬家連続殺人や山口組田岡三代目の襲撃現場の取材などでは、取材した方の熱の入り方が伺えます。

全体として、事件ごとに取材の浅深が極端で、ツッコミが浅い事件は「興味ないんだろうなあ…」というのがありありとわかります。反面、それだけに、突っ込んで取材している事件はかなり面白く読める本です。自分(本ブログ管理人)自身の、事件ごとの熱の入れようやツッコミの深さについて反省もさせられました。
最近の単行本高騰の中で税込み1000円という良心的な価格でもありますので、昭和の様々な事件を概観したい方、ホテルニュージャパン火災事件に興味がある方にはお勧めします。

ちなみにここの出版社は、池田大作より他に神はなしというアブない連載をブログに載せている点で大変度胸というか志のある出版社ではないかと思います。(…一応誤解がないように書いておきます。この連載の意図がわからない方は、このエントリがアップされた日付、ならびにコメント欄のやりとりをよ~くお考えください)

今後いろいろな意味で、この出版社には注目していきたいと思います。

津山事件: 都井睦雄が自殺した場所 その2

前回エントリで書いた場所が睦雄が自殺した場所ということでほぼ確定だと思うのですが、一つだけ気になることがあります。コメントの方に書かせていただいた、事件の翌年の5月に岡山地検の中垣検事が現地を訪問したレポートには、実は続きがあります。

麓で教わった場所も来てみると頗る漠然としていた。数尺、積み重なった杉の病葉を踏みしめ、灌木の繁みを分けて、それらしき処へ出て見た。そこからは貝尾の部落は一望の下にあった。遥かに西加茂小学校も俯瞰し得る。犯人の生地加茂町倉見も見えるとのことだが、わたしたちにはよくわからなかった。

IMG_1979-1仙ノ城山頂からの眺め(拡大)

ところが、上の写真で「山頂」から見える2つの学校は加茂小学校と加茂中学校で、旧加茂西小学校(現在のウッディハウス加茂の場所)は山の向こう側になって見えません。

なお、1975年(昭和50年)に加茂小学校と統合された加茂西小学校が現在のウッディハウス加茂の位置にあったことまでは、加茂小学校に直接問い合わせて確認しましたので確実です。昭和13年の西加茂尋常高等小学校が統合直前の加茂西小学校と同じ位置だったかどうかについては現在のところ確認する方法がなく未確定ですが、常識的に考えるとおそらくは同じ位置であろうと思います。

kamochuushinbumap国土地理院2万5千分の1地図: 昭和51年発行

上の地図は、発行は昭和51年ですが現地調査は昭和48年とのことで、昭和50年に統合・廃校になった小学校が地図上に残っています。「山頂」からの写真と見比べてみていただけるとわかるように、加茂西小学校は手前の山のちょうど向こう側になって「山頂」からは見えないことになります。

上の地図でわかるように、昭和40年代まで加茂の中心部にはやたらとたくさん学校がありました。そのあたりの経緯はこちらのページに詳しく説明されています。ただし、その記述によると戦前の加茂小学校はいったん廃校になって中学校になったようなのですが、現在の加茂中学校は旧東加茂村地域にあり、どうもその辺がよくわかりません。ちなみに、現在の福祉センターや郷土歴史資料館があるあたりには(新制)高校もありました。おそらく昭和29年に加茂高校として設立され、津山東高校加茂分校に再編後昭和60年に廃止(津山東高校へ統合)されています。

話を元に戻すと、一番ありそうなのは加茂小学校を西加茂小学校と見間違えたということです。中垣検事が加茂を訪れたのはこのときが初めてのようですので、この山間の町にこんなにたくさん学校があるとは思わなかったのでしょう。

津山事件に関する本はこちら

 

津山事件: 都井睦雄が自殺した場所

昨日ふたたび荒坂峠を訪問しました。その気になったのは、「加茂の三十人殺し」Webページの記事がきっかけです。

前回は目が節穴で気がつきませんでした、先ほど居た青いビニールシートの小屋が見える!
貝尾部落もばっちし見えます。(肉眼でも地理に詳しければなんとなくわかる)
睦雄はここより高い山頂で眺めたし当時木も雑木で低いはずだし懐中電灯の灯りなら確認できるはず。
まして坂本(元)部落は手前で近く岡田家襲撃現場はよく見え電気もついているし騒ぎ声も聞こえたでしょう

前回の経験から木々の芽が吹き草花が生えるてしまえば景色どころか山歩きもしにくくなる。
今の現状はハゲ山状態に近く前回から心残りであった山頂達成が容易であると考えたからです。

前回と同じく右わきの登り道へ。本日はこの山の頂上まで行きました。
途中から山頂までは以前からあったような窪んだ道がありますがイバラ道で歩きにくく横上道から
登りました(お地蔵様設置場所から10分位で山頂へ)

これを読んで、以下の2点を確認したいと思って現地(荒坂峠)に赴きました。

  1. 荒坂峠からも貝尾が見えること
  2. 道路の頂上付近にあるお地蔵様の横から、上の方に登れること

特に1.に関して、私は荒坂峠から貝尾は見えないと思っていたので意外でした。ページにある写真でも確かに貝尾部落が見えていますので確実とは思うのですが、自分の目で確かめないと気が済まない性分なもので。

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お地蔵様

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お地蔵様の横から上がる道

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道は途中で一度、完全に草と木にふさがれてしまっています
(注)春以降はここより上に行くことはかなり難しいと思われます。特に、事件が起きた5月頃に現地行きを企画している方は、チェーンソーでも装備して草木を切り開く必要があるでしょう。そもそも今の季節でもかなり危険なので、よい子の皆さんは(悪い大人の皆さんも)マネをしないでください。何らかの損害を被った場合でも本ブログ管理人は一切責任を負いません。

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突破すると開けた場所に出ます。上のWebページで「頂上」と表現されているのはこの場所と思われます

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念のためさらに奥に行ってみると、小高い台地になっているところが見えました。これが「仙ノ城」山頂かな?

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さっき見えた「山頂」に何とかたどり着きましたが、実は後ろにもっと高い場所がありました。しかしさすがに体力が続かないので、とりあえず先ほど見えていた手前の台地に登りました。麓からずっと走って登ってきた睦雄の膂力に、改めて感嘆した次第です

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この「山頂」はほぼ平らになっています。「山頂眺望好き場所にして小松雑木等繁茂する中間の約十坪(引用注、約30平米)くらいの雑草地」という検視調書の描写にほぼ合致していると思われます。もしかしたら、後ろ側のもっと高い場所にもこういう見晴らしがいい場所があるのかもしれません

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「山頂」からの眺め。「眺望好き」というにふさわしい絶景です
「おーれはー かわーらーのー かれーすーすきー」と口ずさみたくなります
ちなみに、登りはじめのお地蔵さんは右下の森のさらに下の方になります

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上の写真の右の方をズームして撮影。確かに貝尾が一望できます
「加茂の三十人殺し」ページ内のこちらの写真と見比べると、見下ろす角度の違いがわかると思います

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現地で見たときはこの奥が倉見ではないかと思ったのですが、方角や見えている建物から考えて知和方面のようです。その先には物見や阿波があり、物見から智頭経由鳥取方面につながっています

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睦雄や父母の墓がある倉見は方角的にはこの写真のもう少し左の方。やはりここからは見えないと思われます

というわけで、以前書いた「荒坂峠の山頂から貝尾は見えない」というのは間違いでした。ここにお詫びして訂正させていただきます。

この台地が睦雄が自殺した場所である可能性はかなり高いと個人的には考えています。津山事件の現地行を始めて3年。ようやくここまでたどり着いたか、と柄にもなく感慨に浸ってしまいました。

今回の現地行のきっかけをいただいた加茂の三十人殺しサイト管理人様に、改めてお礼を申し上げます。

津山事件に関する本はこちら

 

津山事件: 荒坂峠

荒坂峠から行重方面を望む荒坂峠から行重方面を望む

これも津山事件関係の書籍によくある表現で、「都井睦雄は、生まれた倉見と育った貝尾を見下ろせる荒坂峠の山頂付近で自殺した」という話があります。ところが、荒坂峠で一番見晴らしがいい上の場所からは、倉見も貝尾も見えません。倉見は15kmほど離れているのでそもそも見えるはずがありませんし、貝尾は上の写真のもうちょっと右の方で山の陰になるので見ることはできません。
倉見・荒坂峠・貝尾倉見・荒坂峠・貝尾の位置関係

(2010年2月14日注記)
その後の調べで、荒坂峠の頂上から貝尾は見えることが判明しました。こちらをご参照ください。お詫びして訂正いたします。

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津山事件: 稀代の殺人鬼 その5

合同新聞昭和13年5月28日付合同新聞昭和13年5月28日付

連載第5回(最終回)です。

「亡き父母眠る墓所戀しく自殺の場所をこの倉見越えに求めたらしい」とのことなんですが、倉見は貝尾から北の方、荒坂峠は南の方なのでこの記述にはちょっと疑問が残ります。

睦雄が自殺した時点でまだ銃弾は14発残っていたとのこと。これを全部使い切っても、禹範坤の記録には届かないわけですね。

津山事件に関する本はこちら