すいません。全然原稿進んでいません。このままだと付録だけで出すことになるかも。
…逆に付録だけの方が喜ばれるかもしれませんが(笑)
前回の続きでいろいろ調べてみると、戦前の「銃砲火薬類取締法」は、基本的に業としての銃砲火薬類の製造販売・輸出入を取り締まる法律であって、個人の銃器所持を取り締まる法律ではありませんでした。少なくとも私が調べた昭和8年版六法全書に掲載されている銃砲火薬類取締法ではそうなっています。そういう意味ではWikipediaの記述は結構適当だなあ、と改めて確認した次第です。
結局のところ、戦前には個人の銃器所持を取り締まる法律は存在しなかったようです。火薬に関しては狩猟法に規定があり、狩猟免許を所持していない者に販売してはいけないことになっていましたが、それも抜け道が多かったようです。睦雄も、警察の手入れで狩猟免許とすべての銃器・火薬を任意で提出した後も、隣村の狩猟免許保持者に依頼して火薬を買ってもらっていました。銃については偽名を使って購入しており、「津山事件報告書」でもそれは問題にされていません。要するに、銃自体の購入には身元確認が必要なかった、ということでしょう。
睦雄に依頼されて火薬を購入した男は、罰金20円という当時としてはかなりの厳罰を食らいました。
重大事件の原因を作ったことで厳罰になったという見方もできるでしょうが、司法当局が同様の犯罪を防ぐ目的で恣意的に重罰を科した、という印象を受けます。このあたりは、市井で話題になった事件には妙に厳罰が下る現在の司法状況と同じニオイを感じます。
他方で、津山事件の後、津山警察署長(警視)と西加茂駐在所を管轄する警部補は退職しました。警部補については、睦雄の親類からの訴えで睦雄の家を家宅捜索したことについて、「大げさすぎる」と現場の巡査を叱責したことが問題になったようです。その一方、駐在所の巡査は異動になったものの退職はしていません。この点においては、当時の警察はまだ健全であった感じがします。現在の警察・検察であれば、まず間違いなく現場の巡査をクビにして、署長や上司は戒告あるいは減給程度で済ませるところでしょう。村木問題で前田検事にすべての罪をかぶせてケリをつけようとしているように。