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狭山事件入門: OG

東京新聞昭和38年5月7日付朝刊より東京新聞昭和38年5月7日付朝刊より、OG近影

東京新聞昭和38年5月7日付朝刊より、OG新居東京新聞昭和38年5月7日付朝刊より、OG新居

事件関係者で、まず最初に「自殺」したのがOGです。OGは、被害者の葬式が行われた5月6日の朝に、農薬を飲んで実家の庭にある空井戸に飛び込んで自殺しました。このOGは、下記のような理由で事件への関与を疑われています。

  1. 中学卒業後に被害者宅で作男として住み込みで働いた経験があり、被害者と顔見知りだった。
  2. 翌日、5月7日に結婚式を控えていたにもかかわらず6日に「自殺」した。ちなみに、遺書には「病気に負けた。すまない」と書かれていた。
  3. 被害者宅で作男をした後、PTA会長の兄(「しょうじ」氏)の家で作男をしていたこともある。
  4. 事件当時はS通運(運送会社)に勤務していた。その営業所は、被害者が人を待っているような姿を目撃された第一ガードのそばにあった。
  5. S通運では、被害者の遺体に付随していたタオルや手ぬぐいの配送を取り扱ったことがあるという話がある。ただし、取り扱っていないという話もあるので確定ではない。
  6. 事件翌日、5月2日頃からノイローゼ状態となり(医師の診断があるわけではなく周囲の人の評)、5月4日(被害者の遺体が発見された日)は会社を無断欠勤した。5月5日は日曜日&こどもの日で元々休みで、6日は月曜日で出勤予定だったが出勤前に「自殺」した。
  7. 筆跡について、脅迫状の筆跡と似ている点と似ていない点が五分五分と刑札から発表された。筆跡鑑定の詳細やOGの筆跡そのものは、石川さんの裁判の中で弁護側から裁判所に何度か正式に証拠開示請求されたがすべて却下されており、公開されていない。
  8. OGの血液型はB型で、被害者の体内に残されていた精液と同じ血液型だった。
  9. 遺体発見現場の近く(200~300m程度の距離)に新居を建築中で、9割方できあがっていた。この新居に被害者の遺体を隠匿していたのではないかという推理もある。

飛び込んだ井戸は底の方がじめじめしている程度の空井戸でしたが、刑札の公式発表では死因は「溺死」とされました。

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津山事件: スーパーモーニング その2

本日の前のエントリでは興奮してしまって失礼しました。

今回の特集で参考になったことももちろんありました。

  • 地元では殺害された人数は36人と伝えられていたこと。この点については、事件直後から人名込みで30人と報道されており、36人の方が間違いと思われます。
  • 寺井ゆり子(筑波本で使われていた仮名、都井睦雄が最も執着していた女性)が2008年7月現在でまだご存命であること。これも2005年あたりまでご存命であるということは既に報じられていましたが、とりあえず現時点でもご存命であると言うことが確認されました。

しかし、せっかくのTVというメディアで、普段は証言しないような被害者の遺族などの地元の人も話をしてくれているのに、どうもツッコミが足りないというか、事件に対する基礎知識が欠落しているために食い足りない取材になっているのも事実です。「再現イメージ」みたいなつまらん映像を作ってるヒマがあったら、もっときちんと文献を読み込んで取材にあたってほしかったところです。「再現イメージ」なんて、「丑三つの村」から借りてきた方がデキがいいに決まってるんですから。

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津山事件: スーパーモーニング

「スーパーモーニング」で都井睦雄の墓とされていた石「スーパーモーニング」で都井睦雄の墓とされていた石

本日(2008年7月21日)朝のテレビ朝日「スーパーモーニング」で、津山三十人殺しの特集がありました。先日のトトロ放映に続いてまた本ブログへのアクセス数が増大しています。結論から言うと、何というか、あれだけ短い中でよくもこれだけの間違いを詰め込めるもんだと呆れるデキです。

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津山事件: 都井睦雄の墓 その2

都井睦雄の墓(たぶん)都井睦雄の墓(たぶん)

都井睦雄の墓(たぶん)の裏側都井睦雄の墓(たぶん)の裏側

先日、岡山に行く用事があったのでついでに津山事件ゆかりの地を訪ねてきました。まず最初に倉見にある都井睦雄の墓を訪問しました。倉見というところは、美作加茂駅(この駅もたいがいイナカですが)から10km以上離れた山奥で、「加茂町史」などによるとタタラ製鉄が行われていた、典型的な山村です。現在は近くにダムやキャンプ場などもできて開けていますが、当時は本当に車も通わない山奥だったと思われます。

内容について語る前に、津山事件(津山三十人殺し)が発生したのは西加茂村貝尾(現津山市加茂町行重貝尾)なのに、なぜ都井睦雄の墓が加茂町倉見(現津山市加茂町倉見)にあるのかについて説明が必要でしょうか。ちなみにこの2つの場所は15kmほど離れています。

都井家はもともと倉見の地にあり、睦雄もそこで生まれました。なぜ睦雄が貝尾に移り住んだかと言うと、もともと祖母が貝尾の生まれで、そこから倉見の都井家に嫁入りしていた縁によります。睦雄が2歳の時に父親(祖母の息子)が、3歳で母親が相次いで結核で亡くなったため、残された祖母が睦雄と姉を連れて故郷である貝尾に移り住みました。この経緯には、倉見が当時人里離れた山村だったために祖母が睦雄の教育を心配し、多少でも加茂の町に近い貝尾に出てきたという事情もあるようです。

祖母は筑波本の仮名で言えば「寺井」になっている家の出身で、親類(祖母の甥)も貝尾にいたようです。しかし、事件後はそういった親類筋にあたる家の人間も事件の犯人である睦雄を弔うわけにもいかず、睦雄と祖母の遺体を都井家の人たちが倉見まで引き取ってきて埋葬したそうです。

「不思議ナックルズ」Vol.9によると、下記のような経緯できちんとした墓石ではなく川石(玉石)を墓代わりにしたとのことです。

睦雄の姉は「せめて立派な石塔を作ってやりたい」と願った。しかし、姉の夫は「石塔なんてもってのほか。睦雄の墓だということは絶対他人に知られてはいけない」と言って、結局倉見川から拾ってきた川石を石塔代わりに睦雄の遺体を埋めた上に置いた。

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その他: アクセス数増大

金曜日(7月18日)夜9時頃から当ブログへのアクセス数がめちゃくちゃ増えてます。

普段は1日あたり1,000~2,000PVといったところですが、昨日9時からは1時間でその値を超えるくらいなPVがありました。何事かと思って確認したら、昨日の夜「となりのトトロ」をTVでやってたんですね。全くノーマークでした。

「となりのトトロ 狭山事件」でググって来訪した方々の結構な割合が「狭山事件入門」も見ていってくれています。これでちょっとでも狭山事件に対する世間の関心が向上するとよいのですが。

今回のエントリは出先なので中身が薄くなっています。すいません。今回仕入れたネタ(狭山事件関連ではありません)もありますので、明日以降自宅に戻ったら、せっかく来てくれたお客さんを逃さないためにもちょっと頑張ろうかと思います。では。

「狭山事件入門」入り口はこちら

「となりのトトロ」と狭山事件についてはこちら

狭山事件に関する本はこちら

狭山事件入門: 被害者の家族 その2

サンケイ新聞昭和38年5月23日付夕刊より 長兄の手記サンケイ新聞昭和38年5月23日付夕刊より 長兄の手記

コメントで、被害者の家族がみなポエムのような文章を残しているというご指摘をいただきました。確かにそういう感じなので、既に「狭山事件関連資料」サイトの方に掲載した資料ばかりで恐縮ですが一応ここにまとめておきます。

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狭山事件入門: 被害者の家族

被害者の長兄と次姉とぬこ毎日新聞昭和38年6月23日付より 被害者の長兄と次姉とぬこ

以下、被害者家族の情報です。生年で(?)がついているのは没年齢や事件当時の年齢などから推定したもので、1年くらいのズレがある可能性がありますがご容赦ください。

  • 父親。明治38年(1905年)生まれ。平成2年(1990年)没。
  • 母親。明治41年(1908年)生まれ(?)。昭和28年(1953年)没。享年45。死因は脳腫瘍。入院して10日前後で急死したこともあり、この死に疑問を感じる人もいる。1933年に嫁入りしてきた翌朝、庭に墓石が投げ込まれていたという話がある。
  • 長女。昭和9年(1934年)生まれ(?)。事件の8~9年ほど前に家を出て東京で働いていた。実家とはほとんど縁を切っており、その後結婚して子供が出来た時も実家に入れてもらえなかった。
  • 長男。昭和12年(1937年)生まれ(?)。ご存命。詳しくは下記。
  • 次女。昭和15年(1940年)生まれ(?)。昭和39年(1964年)没。享年24。自殺だった。詳細は下記。中学卒業後、高校に行かず家業を手伝っていた。さのヤに身代金(に見せかけた包み)を持っていった。
  • 三女。昭和16年(1941年)生まれ。昭和18年(1943年)没。享年3。
  • 次男。昭和19年(1944年)生まれ(?)。昭和52年(1977年)没。享年33。自殺だった。女言葉で書かれた奇妙な遺書を残している。
  • 四女。昭和22年(1947年)5月1日生まれ。昭和38年(1963年)5月1日(?)没。享年16。狭山事件の被害者。
  • 三男。昭和27年(1952年)生まれ(?)。後に他家に養子に出た。

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狭山事件: 洋裁生殺し事件 その2

朝日新聞昭和37年11月22日付夕刊朝日新聞昭和37年11月22日付夕刊

前回の続報です。東京の新聞ではこのように報道されています。おそらく、甲斐仁志氏はこの新聞を見て狭山事件を推理する―Vの悲劇の中で「狭山事件の犯人はこの洋裁生殺し事件を参考にした」という論を立てたのではないかと思います。しかし、次回以降で見ていきますが、地元の北海道新聞あたりを見ているとこの犯人はもともとほとんど犯人扱いされていて、刑札が「泳がせ」すぎてこのような心中事件に発展したことがわかります。

ただ、犯人が北海道新聞まで見ていた可能性は低いとも考えられます。当時は当然ながらインターネットで地方紙の記事を見るとか、ELNETで新聞記事を検索するとかということはあり得ません。当時でも国会図書館まで行けば読めたでしょうが、そこまで犯人がやったかどうかというと疑問はあります。その意味で、朝日新聞などの東京の新聞で報道された内容で判断すること自体は間違いではないでしょう。しかし、本日掲載した記事の中にもあるように、この犯人は被害者家族と様々な因縁があったために事件発生当初から最有力容疑者としてマークされていました。その中で身代金目的を偽装しながら身代金を取りに来なかったことがどれだけ意味があるかという点には、前回も書いたように疑問を感じざるを得ません。

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ちなみに、本BLOGの推奨環境(一応管理人が表示を確認している環境)は

  • IE 6.0以降
  • Firefox 2.0以降
  • Safari 3.0以降(iPhone/iPod touch用Mobile Safari含む)

です。FirefoxとSafariはWindows版とMac版の両方で確認しています。

Operaは、なぜか表が崩れてしまいますので推奨しません。おそらくCSSの記述が合ってないのが原因だと思いますが、管理人の実力では対処できないのでそのままにしてあります。表以外はOperaでも問題なく見られると思います。上記以外のブラウザ(Sleipnirなど)では確認すらしていません。もし他のブラウザで崩れるところがあればご教示ください。

携帯の場合、特にどの機種(環境)でも問題なくご覧いただけると思います。

狭山事件入門: 「となりのトトロ」と狭山事件

どうやら、「『となりのトトロ』は狭山事件を下敷きにした、亡くなった被害者姉妹に対するオマージュを込めたお話である」という都市伝説があるようです。「狭山事件 となりのトトロ」でググって当サイトを訪問されている方が結構いるので調べてみたら、そういう都市伝説があるらしいということを知りました。

そもそも「狭山事件」を知らない方に簡単に説明しておくと、こんな感じです。

狭山事件とは、昭和38年(1963年)5月1日に16歳の女子高校生が誘拐されて殺された事件である。
1日夜に被害者宅に脅迫状が届き、5月2日深夜に被害者の姉が指定場所に身代金を持って行った。警察は指定場所のまわりに40人以上を動員して包囲網を布いたが、その真ん中に犯人が実際に現れ、姉と会話をしたにも関わらず取り逃がしてしまった。
被害者の遺体は5月4日に畑に埋められていたのを発見された。遺体は頭の上に玉石が置かれるなど奇妙な埋められ方をしていた(切り刻まれてはいない)。
3週間後に被差別部落出身の石川一雄さんが逮捕されて有罪(1審は死刑、2審は無期懲役で確定)とされた。しかし、現在も冤罪を訴えて再審請求している。

まず最初に言っておくと、当然ですが狭山事件とトトロの間には一切共通点はなく、都市伝説として流れているものはすべて曲解か明らかな誤りです。一応念のため下記に事実関係をまとめておきます。

* 検索してここへいらした方へ。せっかくですから、狭山事件入門も覗いていってください。

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