久しぶりに津山事件関連の話題です。
掲題の本で津山事件の犯人である都井睦雄が採り上げられているのを知りました。
この本の中で、著者(本田透氏)は都井睦雄と宮沢賢治のことを
ほぼ同時代に地方の農村に生きながら、方やいまだにファンの多い「童話作家」、こなたいまだに猟奇小説や猟奇映画に登場する「連続殺人鬼畜」。まったくもって人生のエンディングが異なっている二人なのだが、共通点は非常に多い。
と対比しています。しかし、実際には宮沢賢治は1896年(明治29年)生まれ、1933年(昭和8年)死去で、都井睦雄は1917年(大正6年)生まれ、1938年(昭和13年)死去ですから、二人には21歳の差があり、死去した年は確かに近いものの、「ほぼ同時代」というのは正直ちょっと無理があるかと思います。
そして、本田氏が二人の共通点として挙げているのは下記の点です。
- 田舎の農村出身の長男で割と裕福
- 病弱
- 引きこもり
- 片や妹萌え、こなた姉萌え
- 作家志望だが、田舎暮らしが祟ってまったく芽が出ず
- 片や生涯真性童貞、こなた金を払うか追い込みをかけなければ相手にされないモテない男。いずれも生涯恋愛経験ゼロ
1~4まではある程度頷けるところですが、5と6に関しては多少の異議があります。5に関して、これまで本ブログや同人誌でも論証してきましたが、睦雄が作家志望で少年向け小説を書いていたという話や、睦雄が書いたとされる小説「雄図海王丸」は筑波昭氏による創作と考えます。したがって、実際に童話や詩を書き、発表していた宮沢賢治との共通点とするのは無理筋ではないでしょうか。また、「生涯恋愛経験ゼロ」という点に関しても、宮沢賢治に交際相手の女性がいたという説は複数の研究者が唱えていますし、都井睦雄も結核に罹患していることが判明するまでは村の女達の間でそれなりにモテてていたという話もあります。
そして、大きな相違点として以下の2つが挙げられるでしょう。
- 宮沢賢治が、病気によるブランクはあったものの旧制盛岡中学→盛岡高等農林学校へ進学したのに対し、都井睦雄は「祖母」の反対や病気もあって高等小学校で学業を終えたこと
- 宮沢賢治には父母が健在であったのに対し、都井睦雄には「祖母」と姉しかおらず、姉が嫁いだ後に「祖母」が実は血縁がないことが判明したため、天涯孤独の身であったこと
これらはいずれも、睦雄が犯行を決意する上で重要なファクターであり、その意味で宮沢賢治と都井睦雄の「人生のエンディング」が異なってしまったのは当然の帰結ではないかと思います。
ただし、本田氏の
賢治は、妄想する=二次元の世界を作る、というオタク行動によて、鬼畜化という悲劇を阻んだのだ。
むしろ、モテない男は、心の安寧を得るためにどんどんオタク化するべきなのだ。都井だって元々は姉に萌え狂っていたのだからもっともっと萌え燃料を与えられていれば、こんなことはしでかさなかっただろう。
という議論には一理あると思います。本田氏の言うとおり、睦雄が現代に生きていれば、オタク的二次元に心の安寧を求めることである程度悲劇を回避できたのではないでしょうか。逆に、現在進められている二次元表現に対する規制が進みすぎれば、都井睦雄的な悲劇を生み出す結果になるのではないかと危惧します。
最近Twitterで見た表現に下記のようなものがありました。
「暴力ゲームなんてやってるから本当に暴力犯罪に走る」 と「恋愛ゲームなんてやってるから本当の恋愛が出来なくなる」の矛盾は確かに噴く。
全くその通りだと思います。こうやって無茶苦茶な論理を振り回してゲームや小説、マンガを悪者にする人の頭こそが「ゲーム脳」なのでしょう。都井睦雄の犯行時の装束が「少年倶楽部」のマンガにヒントを得たものではないかという話がありますが、そういうゲーム脳患者の方々が当時いたら、「少年倶楽部を発売禁止にしろ」という話も出たでしょうか。
本ブログでとりあげている事件に関する同人誌等の通信販売を行っています。詳細はこちらをご参照ください。
ひさしぶりの津山事件ですね。本田透という人はよく知りませんが、宮沢賢治の生涯をきちん把握したうえでこういう分析を行っているのか疑問です。私は宮沢賢治の生涯を専門的に研究したこともありません。何冊かの伝記に文学評論を読んだくらいです。乏しい情報しか持っていませんが、1-4の項目もまったく都井とは共通していないと思います。
宮沢賢治はかなり交友の幅が広く、引きこもりという解釈がどこから出てきたのかよくわかりません。詩人の草野心平とも面識がありました。農村の活性化という理想を実現するためにあちこちを飛び回っており、死の直接の原因も賢治に相談に来た農民と長時間話をしたため体調が悪化したといわれています。
賢治の故郷は、草深い農村でもなく、花巻のその地では相当に裕福な商店であり、父親は賢治がいろいろなことに首を突っ込み金を使う尻拭いをさせられていました。「せめて何か定職についてくれないか」と言い聞かせていました。賢治に対しては近隣住民から「苦労知らずの金持ちの息子がおせっかいなことをするな」「大店の馬鹿息子がまた訳のわからんことをしている」という反発も随分とあったようです。引きこもりで周囲から孤立という惨めな人物像からは大きくかけ離れています。
亡くなった時には地元の新聞も報じており、作家志望だがまったく芽が出ずという解釈も一面的です。むしろ一部で評価されていたばかりか、賢治自身積極的に自分の著作の売り込みにあたっていたというのが真実です。賢治の童話が本人の性的妄想を二次元化したというような本田氏の解釈も賢治に対して随分失礼な話です。
正直、どこが都井と共通するのかまったくわかりません。知っていることはずらずらと書き、自分の専門外のことは適当なうろおぼえですます本が最近多いですが、この本もそのたぐいで非常に不愉快な本だと思っています。
初めまして、またたびと申します。
狭山事件についていろいろ調べていて、こちらのサイト様に辿り着いた通りすがりの者です。
狭山事件とは違う事件のお話ですが、ちょっとこちらの記事が何か引っかかると言うか、
私も一言申し上げたくなったので書かせて頂きます。
先の倉橋さんのコメントに賛成して、私も宮沢賢治が引きこもりだったとか、
都井睦雄がもっと幻想の世界に引きこもって事件を回避するべきだった、という結論には疑義を呈したくなります。
といいますのは、精神的に完全に引きこもって自己閉塞している人間が世間に対し作品などを発表しますでしょうか?
作品の発表とは自己の外に向けての、いわば社会に対しての発信であり自己主張であり自己表現です。
宮沢賢治は引きこもって自己の心を閉じていたのではなく、窓を空けてちゃんと外の世界に対して自分の心を開いて自分の言葉を発信しようとしていたのです。
不幸にも生前はなかなか発信のチャンスに恵まれなかったというだけで、もっと長生していれば何度も作家活動を試みて何度も作品を発表しようとトライしていた事でしょう。
都井睦雄という男は他者に対して作品という形で自己を発信するというポジティブな選択をした宮沢賢治に対し、
他社の存在を抹消する暴力という形で自分の怒りを表現するという、ネガティブな選択をしてしまいました。
私にはこの両者を同列にするのは根本的に無理があると思いますし、都井睦雄が宮沢賢治に倣うべきだったなら
倣うべきは引きこもりの自己閉塞と現実逃避ではなく、心を開いて自己主張を前向きに発信し、社会参加に対して積極的になる事だったと思います。
農業にも教育にも労働問題にも社会参加活動にも積極的で肉体的には病弱でも精神的には生命力と労働意欲が旺盛だった宮沢賢治と、
勤労意欲も消極的で自己の現状に不満を抱いていた都井という点でも大きく違います。
宮沢賢治の場合はもっと生きたかった人間の病死であり、都井の場合は生きようと思えばまだいくらでも生きれた人間が自らの不満を一方的に爆発させた身勝手な自殺なわけです。
宮沢賢治は雲の上から都井に対し「そんな事をして死ぬくらいなら、俺に命をくれよ」とくらいに思って眺めていたのではないでしょうか?
それくらい宮沢賢治は生命への渇望や、生前やり残した事への執着と無念を残したまま亡くなった、積極的に生きようとしていたいい意味で欲深い人物だったと思います。
だからこそ、その作風も一見非現実的に見えて生物や農業や「食べる事」を扱った物が多く、現実に農業に従事していたのだと思います。
(自殺願望や現実逃避のある、食べる事に執着できない生存意欲の薄い人間が農業に積極的に身を入れられないのは都井を見ても解る通りです)
続き
私自身、多分にオタク的な趣味を持つ人間ですが、『オタクはもっとどんどんオタク的になるべき』という意味が
『どんどん引きこもって空想の世界に閉じこもれ、現実に心を開くな』という意味なら同じオタクである私でもそれが正しいかは疑問に思います。
引きこもる事での犯罪防止、というのは言い換えれば『一歩外に出れば何か危険な事をしでかす可能性を孕んでいる精神薄弱者であり、依然危険人物のまま』という事です。
それでは結局危険は危険のままですし、社会にとってもその人個人にとっても病理の克服にはなっていません。
ただの隔離と放置、孤立してる本人にとっても社会にとっても見て見ぬ振りの問題丸投げです。
そして宮沢賢治の場合もそうですが、現代のアニメーターにしろ、ゲームクリエイターにしろ
作品を作っている人間というのは立派に社会に馴染んで他者とコミュニケーションを取っている、まともな一人前の社会人たちなわけです。
引きこもりに高度なプレゼン、会議や打ち合わせ、営業、コミュニケーションが必要になるアニメやゲーム作りなんて出来ません。
そういうオタクが好んでいる作品を作っているのもやはり現実の人間と会社であり、生産している人達は至ってまともな社会人であるわけです。
エヴァンゲリオンで有名になった庵野秀明氏なんて、描かれる作中の人物はあんな感じですが、
本人は鬱病を乗り越えてちゃんと現実に伴侶を得て結婚生活を営む前向きな人生改善の努力までしてるわけです。
何でもかんでも規制規制という風潮には私も反対ですが、オタクの側が作品を通して何も学ばず、作品作りをしている側が当たり前にやっている努力を
受け手側の特権と都合の良い解釈で放棄してよい、楽な道を選んで良い、現実と向き合う努力をしなくていいというのはおかしいですし、
それではせっかくの作品も社会にとって結局妙な害悪に現実になってしまうと思います。
上記ツイッターの「暴力ゲームなんてやってるから本当に暴力犯罪に走る」 と「恋愛ゲームなんてやってるから本当の恋愛が出来なくなる」は確かに矛盾を孕んだ論理ではありますが、百パーセント無茶苦茶とまでは言えないような気がします。なぜなら、「暴力」は自己単体による行為であるのに対し、「恋愛」は対人関係であり、その根本は全く異質であるからです。つまるところ、ゲームから「暴力」を学ぶことは出来ても、「恋愛」を学ぶことは絶対に出来ないのです。暴力ゲームにより感覚をマヒさせた人間が、物を壊したり刃物で誰かに傷つけるということはあり得るとしても、恋愛ゲームを行った人間が、それにより好きな女の子とラブラブの関係になる、ということはあり得ません。また、現実の人間は皆、多かれ少なかれ気まぐれで、複雑で、多重構造で、ウラオモテがあります。ゲームに登場する女の子のように従順で、素直で、ピュアで、単純ではありませんし、例えば、「○○さんって、鉄道とアニメのことに詳しいんですね。凄―い」と言ってニコニコしながら話し掛けてきた女の子が、裏では「アイツ、鉄でアニオタだって。超キモーい」と言いながら友人達と笑いものにしている、なんてことは実際いくらでもあるわけです。恋愛をする際には、言葉の裏を読みとる力や、ちょっとした仕草や言葉、雰囲気、表情などから相手の本音を知る技術が不可欠となってきます。その意味で、恋愛ゲームに関しては、「やればやるほど現実の恋愛からは遠ざかる」というのは、一面真実ともいえると思います(こういう言い方をしては申し訳無いのですが、私の周辺でも、恋愛ゲームに夢中になっているのは皆極端にモテない男ばっかりです<笑>)。
フルボッコですね。皆さんご指摘のとおり、宮沢賢治について不勉強のまま本稿を書いてしまったことについて陳謝いたします。申し訳ないです。
ただ、オタクだから引きこもっていいとは思っていませんし、本エントリでは書いたこともそういうつもりではありません(言い訳になりますが)。社会生活を営む上で他人との衝突などのストレスは当然あるわけで、そういうストレス解消のはけ口としてオタク的二次元が機能している面もあるのではないか、というのが私が言いたかったことです。別にそれはオタク的二次元に限ったことではなく、例えばピカレスク・ロマンの小説を読むといったこともありうるでしょう。現実ではありえない空想の世界でメチャクチャをやる「お話」を消費することで精神的なカタルシスを得て、現実世界のストレスに対処するということです。
いきなり話は変わりますが、都井睦雄が本当に「雄図海王丸」のような物語を書き、発表することができていたら、津山事件は起きなかったのではないかと私は思います。あれだけの物語を本当に作り上げて子供達に話し、喝采を得ていたのであれば、それなりに承認欲求は満たされていたでしょう。また、そうやって書き上げた物語を雑誌に投稿したり、大阪へ行ったついでに(睦雄が実際にしばしば大阪まで出かけていたことは確かです)雑誌編集部に持ち込んだり、といった現実世界での行動にも繋がっていたのではないでしょうか。
その意味で「雄図海王丸」が筑波昭さんの創作であることに改めて確信を持ったこともあり、その考察のきっかけを与えてくれた本田氏の議論に一定の共感を持ってしまいました。
>管理人様
こちらこそ読み違えてしまってすみません。
ただ、僕には正直ifの可能性で考えても都井が一端の作家として社会に順応できていたとは思えないんですよね。
というのも、上に書いた通り作品なんて個人の我が侭で発表する事なんて不可能なわけです。
どんな名作、大作家でもその成功の裏には作家の才能以上に必ず優秀なマネージャーに当たる編集者と
作家の舵取りをする出版社という裏方の存在があります。
例えばドラゴンボールの鳥山明氏なんて、実質の脚本家は当時の集英社と週刊少年ジャンプの担当編集というくらいに手綱を握られていたからこその成功でしたし
それがドラゴンボール終了後の氏の作品が今一パッとしなくなった理由でもあります。
週刊少年ジャンプの漫画家は成功した人ほどおとなしく(あるいは我慢して)編集の意向に従ってる人が多いのです。
それは他の雑誌、小説などでも同じです。
実のところ作家の力以上に編集部や出版社の才能に寄る所が大きいわけです。
裏を返せば、作家なんて例えどんな天才でも一個人の才能だけではどう足掻いてもままならない職業で
むしろ裏方の人間との関係構築能力の方がよほど重要だったりするんです。
つまり、大成した作家ほど出版社や編集と長く付き合って信頼関係を築いていけるコミュニケーションに成功した人なんですね。
一村落内の狭い人間関係の時点で大きく躓いてしまっていた都井が、だだっ広い都会に出て不特定多数の人間と打ち合わせなり企画会議なりの信頼関係を築いて
資本社会に適応できていた、とは到底考えられないんですよ。
商業誌に作品を発表する限り、作家の一存には不本意な編集の添削や、指示通りに不本意な作品を書かねばならない下積みに大人しく従わなければならないわけで
不本意な仕事や人生に堪えかねて不満を爆発させた都井に耐える事が出来ていたのかな?という疑問があります。
作家とてマイペースな自由業というより宮仕えのサラリーマンと変わらない点が多々あるわけで。
それと、近隣の少年たちに対して私小説を発表していた、という行動もジャンルが少年向きの冒険小説だったからという見方も出来ましょうが
それ以上に「子供としか(セックス抜きでは)付き合えなかったんじゃないか?」「同年代や上の年齢の大人に相手にされていなかったのでは」
「まともに歳相応の人間関係が作れなかったのでは」と訝しがって見ちゃうんですよね。
これも宮崎勤など精神年齢が幼いタイプの犯罪者によく見られる行動と一致してるだけに。