今回のエントリはちょっと毛色を変えて、狭山事件との関連で採り上げられることがある洋裁生殺し事件についてです。
甲斐仁志氏が『狭山事件を推理する―Vの悲劇』において、狭山事件の真犯人はこの洋裁生殺し事件を参考にしたのではないかという説を唱えました。
一般的には「吉展ちゃん事件」と関連づけられることが多い狭山事件ですが、吉展ちゃん事件とはかなり様相が異なるのも確かです。一番大きいのは、吉展ちゃんが当時5歳の男の子だったのに対して、狭山事件の被害者は16歳の女子高生だった点でしょう。それで何が違うかといえば、
- 判断力や記憶力が備わった年齢であるか否か
- 性的な対象になるか否か
という2点です。もちろん、5歳の男の子に性的興味を抱く人(ショタあるいはお稚児趣味?)もいるでしょうし、5歳の子供の記憶力もバカにしたものでもないのも確かですが……。
そこで甲斐氏が着目したのが、昭和37年11月(狭山事件の半年前)に発生していたこの洋裁生殺し事件です。この事件について簡単にまとめると下記のようになります。
- 被害者は洋裁学校に通う19歳の女性
- 犯人は被害者の気んじょの男(26歳)だった
- 昭和37年11月14日、犯人は学校に電話を掛けて被害者を呼び出し、放課後連れ出した
- 犯人はバイクで被害者を連れ回した
- 15日朝に被害者の母が脅迫状を発見した。脅迫状には、「明日7時に60万円を家の近くのカラマツの根元に置いておけ」と書かれていた
- 「明日7時」が15日7時か15日19時か16日7時か16日19時かわからないので、父親がその都度金に見せかけた包みを持っていったが犯人は現れなかった
- 動機は不明
- 被害者の体内から犯人と血液型が一致する精液が見つかった
- 犯人は22日朝に道内の旅館で新婚の妻と心中しているのが発見された
- 被害者の遺体は25日午後刑札の捜索の結果発見された
甲斐氏は、この洋裁生殺し事件には犯人から見て3つの教訓があった、としています。
- 被害者が電話で呼び出され、被害者が男とデートに行くと言い残したことから顔見知りと思われたこと
- 脅迫状を自宅に届けながら指定した場所に現れず、営利誘拐事件が偽装と見破られたこと
- 犯人が被害者と一緒のところを目撃されたこと
狭山事件の犯人は、上記の3点が洋裁生殺し事件において犯人の特定につながったと考えて、これらを避けるために行動した。特に、2.の教訓から、営利誘拐事件であることを刑札に印象づけるために危険を冒しても身代金受渡現場に姿を現した、というのが甲斐氏の推理です。
後で見ますが、洋裁生殺し事件の犯人は、バイクで被害者と同乗していたところを目撃されたこと、被害者を電話で呼び出すのにガソリンスタンドで電話を借りていたこと、被害者の親といろいろな経緯があったことなどから、事件が起こった時点でかなり濃厚な容疑をかけられていました。その中で上記の2.は当時の新聞などを見る限りではそれほど重要なファクターだったとも思えず、この事件の教訓から狭山事件の犯人が危険を冒してさのヤに登場したという甲斐氏の結論には同意しかねます。
「『明日7時』がいつかわからないので複数回身代金を持っていった」という点は狭山事件を彷彿とさせますが、逆にこれを知っていたのであればもっと明確に時間を指し示していたのではないかと思います。あるいは刑札を混乱させる目的であれば、洋裁生殺しと同様に「明日7時」にしておく方が4通りの解釈があってもっと混乱させられたはずです。いずれにしても、狭山事件の犯人がこの洋裁生殺し事件を知っていて参考にした、という説には私(管理人)は否定的です。