本件、現行の2ちゃんスレに触発されたエントリであることを最初に告白しておきます。
このへんのエントリで問題にした「バカンス」について、私(本ブログ管理人)は現在の日本語における「バカンス」という言葉の用法に引きずられて、「数日の、宿泊旅行を伴う休暇の過ごし方」を想定していました。
しかし、どうやら、当時「バカンス」という言葉の意味合いはまだ定まっておらず、被害者が書いた「バカンス」は単なる「遊び」程度の意味で、「泊まりを含む遠距離旅行」の意味は含んでいなかった可能性が高いと思われます。
「バカンス」という言葉自体、狭山事件の前月である1968年(昭和38年)4月にリリースされたザ・ピーナッツのヒット曲・「恋のバカンス」で一般化した言葉で、それまでは日本語のコンテクストに登場しない言葉だったようです。
「バカンス時代」というのは昭和38年の流行語だったようで、下記の記事でも「バカンス時代」という言葉はちょっと特別扱いされています。
ご参考までに、両紙ともこの前後の号には狭山事件に関連する記事がありますのでご参照されることをお勧めします。これらの資料を見ると、「バカンス」自体が当時は目新しい言葉で、まだ定まった使い方がなかったことを伺わせます。
要するに、被害者の日記にある「バカンス」という言葉は、泊まり込みで遠くのリゾート地に行くという現代的な意味での「バカンス」ではなく、単純に「休みの日に(日帰りを含め)遊びに行く」程度の意味合いで使われていた可能性が高いということです。被害者が書いた「これからのバカンスのことを考える」というのも、日帰りパーティー程度の意味合いであると思われます。
こういう流行語を日記に取り込むあたり、被害者のいかにもTVっ子的な、流行を追う新し物好きな一面が見えます。そういう現代っ子的かつ聡明な面が、4月末の数日間における兄姉との口論につながったようにも思います。
昭和38年頃のバカンスの用法につき掲載光栄です。
ゲゲゲの女房うんぬん書いたのは私です。
ドラマの昭和30年代後半~頃の調布市民の会話で
時代を象徴する言葉として、世はスピード時代、東京オリンピック、バカンスなどと
出てきます。
当時水木しげるさん夫妻が貧乏だったにせよ、自転車は高価、
テレビはもの凄く高価だったのも印象的です。
管理人さん同様お小遣いの口論の元だと思います。
下段訂正です。
管理人さんのご判断同様、日帰りのレジャーとして遊びに行く=バカンスが、口論の元だと思います。
例えば上野動物園などでもバカンスと表現されたかもしれないと思うのです。
でもいずれにしても5月1日はM君の名を騙って呼び出した同世代がいたと感じております。
あっ僭越ながら、恋のバカンスは昭和38年、1963年の曲ですね。
当時は、女子高生が「泊まりがけで遠距離旅行をする」などということが認められていた時代ではありません。被害者が「バカンス」という言葉を、「遊び」「日帰りレジャー」と同義語で使っていたのは間違いないでしょう。
ちなみに私の両親なども、当時はこの言葉をまったく同様に使っていました。昭和30年代末~40年代初め頃、知人に「飛び石連休(当時はGWをこう呼んでいました)のバカンスのご予定は?」と聞かれて、「子供を連れて豊島園にいくくらいです」「たまにはデパートの大食堂(当時は一家でおめかしをして出掛ける場所でした)でも連れて行ってやろうと思っています」等答えていたのをはっきり記憶しています。
伊吹様
ありがとうございます。バカンスの文言の解釈もそうですが、
狭山事件も時代の中で起きた事件かな、とも思っております。
現在購入できる狭山事件本は概ね読み終えましたので、最近は1963年前後の東京隣県の農村の時代考証の足しになりそうな本や映画などを探しております。
漫画もご専門の伊吹さんには釈迦に説法ではありますが、
◯1967年 つげ義春さんの漫画「西部田村事件」(千葉県大多喜)
◯1967年 山田洋次監督の映画、「馬鹿が戦車でやってくる」(主なロケ地は千葉県)
東京隣県でも(であるが故に)、ニッチなスポットが存在し、当時の村人の素朴さや土俗的な雰囲気、村の道路や家屋などがどこか狭山事件当時をイメージがされます。
東京オリンピック、アポロ計画の話題と土俗的な村落が並存していた時代だったのですね。
私はやや、黒幕説ですので、経済成長や利権、選挙と閉鎖的な土俗などに関心が行きがちです(汗)。
訂正です。映画の方は事件翌年の1964年の誤りでした。訂正いたします。
伊吹さんのコメントを読んで、私の小学生当時、デパートの大食堂に家族で行くのはかなり大きなイベントだったことを思い出しました。今の子供なら「デパートの食堂(笑)」という感じでしょうね。
例のトトロの都市伝説と「狭山茶」の話もそうですが、昔は常識だったことが今の人には信じられない、ということは結構あると思います。狭山事件はあくまでも昭和38年に起きた事件であって、今の基準でものを考えてはいけないことを改めて感じます。
「天国と地獄」やクレイジーキャッツの無責任シリーズなど、昔の映画を見てそういう「昔の常識」を改めて思い知ることがあります。「馬鹿が戦車でやってくる」も見たことがあるはずなのですがあまり記憶にありません。今度改めて見てみたいと思います。
久しぶりに書き込ませていただきます。
小林信彦さんの「現代<死後>ノート」には、1963年の項で「バカンス」が取り上げられています。小林さんによれば、「(1963年の)流行語であった、間違いなく。」ということで、「言葉としては一年で消えた」ともあります。
また、「バカンス」という言葉は、<企業数社が巨額の金を投じて流行させようとしたもの>だったようです。つまり、マスメディアを通じて1963年に一気に広まり、その後、あまり使われなくなっていった(日常会話で時々出る程度になった)のだと推測されます。
管理人さんのご指摘の「被害者のいかにもTVっ子的な、流行を追う当たらし物好きな一面」にはわたしも同感で、同時に被害者は、「バカンス」の本来の意味を意識せずに使っていたのではないかと思います(伊吹さんのご指摘の通り、日記の文脈から考えると、「バカンス」ではなく、たぶん「レジャー」ですよね。このへんの混同や使い分け、最近でいえば「テンション」と「ボルテージ」なんかに似ているのかなー、と思います)。
>一反木綿様
遅くなりましたが「馬鹿が戦車でやってくる」見ました。個人的な感覚かも知れませんが、狭山事件当時の農村の話と言うより、津山事件のアナロジーとしての印象を強く感じました。村人全員からイジめられた主人公サブが、圧倒的な「力」の象徴である戦車を駆って村人を恐慌に陥れるという点で。ただ、昭和39年で同時代を描いた映画のはずなのに、人々も農村も昭和13年の津山事件と見まごうばかりというのは、当時の農村事情を知る上で参考になります。
>さぶろう様
情報ありがとうございます。そういう背景もあったのですね。今で言うメディアミックスという奴でしょうか。「恋のバカンス」も、そういった流れの中で目的を持って作られた曲という前提で聞くと、また違った感覚を覚えます。