狭山事件: JRCについて

JRC
埼玉県立川越高等学校 創立八十周年記念誌より

川越高校入間川分校関係を改めて調べていたら、ちょっと面白い記事を見つけたのでご紹介します。

画像で公開されている被害者の日記に以下のような記述があります。

4月29日 晴 22℃ 群(実際には馬へんに羊)馬県南毛地区対埼玉県の交歓会。会場は伊勢崎工業高校だった。南毛の皆さん二○○名 埼玉県の皆さん二○○名 計四百名近くの楽しいためになる交歓会だった。

(大きく間が空いて)

今日は狭山工業高校の××××を訪れる予定だったのに。午前七時、川越に向かった。今日はJ.R.Cのことでバスで群馬県に行くのだ。

この「JRC」は、以前から推測されていたように、やはり「Junior Red Cross」で間違いないようです。

川越高校には、昭和28年以来「JRC部」というものがありました(2011年現在は休部中です)。本日の画像は、1979年発行の川越高校創立八十周年記念誌にあった詳細の説明です。JRCとはJunior Red Cross(青少年赤十字)の略であると解説されています。

この中に、昭和34年の活動内容として

群馬の高校JRCとの「群馬埼玉交歓会」に参加

という記述がありますので、被害者の日記の「JRC」「群馬県南毛地区対埼玉県の交歓会」というのは、このJRC部の活動に参加したことで間違いないと思われます。

被害者は普段、入間川分校で卓球や生け花などの部活に参加していたとのことですが、川越高校本校のJRC部にも入部していたのか、分校にもJRC部があったのか、あるいはJRC部員ではなかったが借り出される形で交歓会に参加したのかは不明です。いずれにしても本校のJRC部の活動に参加していたことは確かで、本校と入間川分校にはかなりの接点があったことを示すものだと思います。

ついでに言うと、4月22日の日記の「K」というのも川越高校本校ではないかという気がします。22日は月曜日で学校がありますし、その中で放課後「会合」に行けるのはやはり学校関係ではないでしょうか。

 

20 thoughts on “狭山事件: JRCについて”

  1. 「JRC」「〝K〟」の謎が解けて、私もスッキリしました(笑)。

    本校と分校で色々交流があったのも間違いないでしょうね。
    ただ、被害者は入間川分校で「卓球や生け花などの部活に参加していた」ことが判明しているものの、「JRC部にも入部していた」との証言はありませんし、

    今日は狭山工業高校の××××を訪れる予定だったのに。午前七時、川越に向かった。今日はJ.R.Cのことでバスで群馬県に行くのだ。

    との記述もありますから、これは「JRC部員ではなかったが借り出される形で交歓会に参加した」と考えてよいのではないかと思います。

    あと、穿った見方かとは思いますが、4月22日の日記で、

    今日は〝K〟での会合があった。・・・Mさん(=被害者の片思いの相手)は熱心にトレーニングに励んでいた。

    と書かれてあるのをみると、あるいはM君と何か接点が持ちたくて、本校の活動に参加したのではないか、という気もしてきます。もちろん、その基本には常に「優等生」で「真面目」だったという、被害者の旺盛なボランティア精神があったのだとは思いますが(※参考=被害者は中学1年時にも養老院に慰問にいっているほか、中学2年時には養護施設で暮らす同学年の女子と文通を始めています)。

  2. 管理人さんの資料アップに感謝いたします。

    ≫今日は〝K〟での会合があった。・・・Mさん(=被害者の片思いの相手)は熱心にトレーニン グに励んでいた。

    この「トレーニング」は、JRCの活動の一つの「トレーニング」でしょうか。それとも、Mさんの別の部活動のトレーニングでしょうか。「Kの会合」がJRCの会合としますと、被害者は、JRCの活動に参加することも多かったと推測できます。4月に入ってからでも、4月22日、4月29日とJRCの活動に参加していたことになるで、同年代の男子高校生との交流の機会も多かったと思われます。5月1日に、被害者が誰かと待ち合わせをしていたとしますと、同学年の高校生と考えたほうが自然なような気がしてしまいます。

  3. Mくんの「トレーニング」は、おそらく別の部活動のトレーニングでしょう。JRC部の活動はボランティア活動が中心で「トレーニング」が必要なものは見当たりませんし、MくんがJRC部に入っていて交歓会に参加したのであれば、被害者はそのことを29日の日記に書いたでしょうから。Mくんは中学で野球をやっていましたので、普通に考えると高校でも野球部に入っていたのではないかと思います。川越高校野球部は昭和34年夏に甲子園に出ており、近隣の中学野球部員にとっては憧れの存在でもあったでしょう。ただし、確証はありません。

    時期的に考えると、22日の”K”での会合というのは、JRC交歓会の説明会のようなものが川越高校本校であったということではないかと思います。分校に入学してまだ1ヶ月ですし、たまたま説明会と交歓会に参加した程度で、「JRCの活動に参加することも多かった」とまでは言えないのではないでしょうか。

    待ち合わせの件に関しては私も同意見です。

  4. >この「トレーニング」は、JRCの活動の一つの「トレーニング」でしょうか。

    JRCで行っているのは主にボランティア活動なのですから、「トレーニング」は普通しないでしょう。
    M君はH中時代も野球部でかなり活躍していたそうですから、おそらくは川越高校に進学してからも野球を続けたのではないかと思います。被害者は、おそらくグラウンドで練習に励むM君の姿を偶然見つけ、その喜び(?)を当日の日記に書き留めたのでしょうね。

    >同年代の男子高校生との交流の機会も多かったと思われます。
    >5月1日に、被害者が誰かと待ち合わせをしていたとしますと、同学年の高校生と考えたほうが自然なような気がしてしまいます

    交流の機会はあったと思いますが、被害者は高校に進学してまだ半月です。JRCの活動もまだ始めたばかりだったでしょうし、おそらくは4月22日に初めて(交歓会の)打ち合わせ、29日に交歓会初参加、ということだったと思います。いくら何でもこれだけでは男子高校生と一緒に誕生パーティをやるほどの間柄にはなれないでしょう。
    被害者は22日の日記に、相変わらずM君への密やかな思いを綴っていますし、他に交際相手が出来ている形跡もないのですから、やはりこの時の待ち合わせ相手はH中同期生、とみるのが自然ではないでしょうか?

  5. 呼び出し役がいて、それはY枝さんの顔見知りで、第2ガードに現れたあと、第1ガードに現れ、Y枝さんをOGさんの新居に案内したというわけでしょう。しかし、これは目撃者が48年間で誰もいません。ですから実在したとは言えず、架空の人物なわけです。亀井トムさんが最初に推理に導入したわけですが、結局ウラ付けは取れてませんし、目撃者が現れない限り、今後50年たっても、呼び出し役は架空存在のまま、ということになります。
    呼び出し役がいたというなら、なぜ48年間で誰も目撃者がいないのでしょうか?それが示しているのは、呼び出し役なる者はいなかったということなのではないでしょうか。

    第2ガードでY枝さんに会ったという実在の人物はAさんだけです。あとは誰もいません。呼び出し役は架空存在です。つまり、Y枝さんが会ったのはAさんだけということになります。だとすれば、論理の当然の帰結として、Y枝さんの待ち合わせの相手は、Aさんだったということになるのではないでしょうか。

  6. Y枝さんが「待ち合わせ」をし、その後殺害されているのですから、「誰か」がそこに現れたことだけは間違いありませんし、その人間は絶対〝架空の存在〟ということにはなりません。目撃者がいないのは、犯人が目撃されないようにY枝さんを連れ去ったからであって、逆に連れ去るところを誰かにはっきり見られたならば、ただちに犯行は中止したはずです。

    A先生がY枝さんの〝呼び出し犯〟ならば、自分から「1日にY枝に会った」などと言い出すはずはないでしょう。その話はA先生以外、当時誰も知らなかったのですから。そこから考えれば、論理の当然の帰結として、Y枝さんの待ち合わせの相手はA先生ではなかった、ということになります。

    あと、もう何度もご説明していますが、A先生には完全なアリバイがあります。当日4時には東中にいて、5時には堀兼中校内にいます。したがってA先生が直接犯行に関わることは100%不可能です。

  7. 呼び出し役は亀井トムさんが、いたにちがいないという思い込みから導入した仮説存在なわけです。仮説存在を実在したというためには、ウラ付けが必要になります。ウラ付けとは何かといったら、物証と目撃者ということになります。亀井さんは、このウラ付けを欠いたまま、呼び出し役をいた者として推理に導入したわけで、それが今も続いているわけです。しかし、48年間も物証もなければ目撃者もいない呼び出し役なる存在が実在したと言えるわけないのです。
    むしろ、48年間、物証もなければ目撃者もいないということそれ自体が、呼び出し役なる者は、いなかったことを証明していると言えます。この証明をひっくり返して、呼び出し役は、確かにいた、実在したと言うためには、結局、目撃者の存在が必要になります。目撃者が現れない限り、呼び出し役は実在の人物にはならず、仮説上の存在、頭の中の想像上の存在にとどまり続けることになります。
    つまり、呼び出し役の仮説は、はずれたと考えてよいのだと思います。目撃者は遂に現れず、仮説の正しさが、立証されることは、ありませんでした。

    見た者は誰もいないが実在した、という言葉が成立するわけありません。
    見た者は誰もいないということは、実在しなかったということです。

    それから、目撃者は、はんにんでないといえるでしょうか?目撃者でありながら、はんにんであった例はいくらもあり可能です。ですから、目撃者は待ち合わせの相手ではないとは言えません。目撃者でありながら、待ち合わせの相手であるというのは可能であり成立します。
    AさんはYさんに野球部員と一緒だったと言ったわけですがそれが擬装だった。Aさんは、目撃者だが、ひとりだった。Aさん以外にY枝さんを見た者がないというのが、その証です。つまり、ほんとうのことはYさんにも最初から言ってないわけです。
    第2ガードに、ひとりで行き、Y枝さんと、ふたりきりで会っていたAさんが、待ち合わせの相手ではないと言えるわけありません。

    また犯行時間帯は4時代と決まったわけではなく、5時代の可能性もあるわけです。Aさんは5時過ぎに下校するわけだが、そこから、とんぼ返りすることは可能であり、そこに、Y枝さんは、いただろうという推定もまた可能であり、Aさんの犯行関与は100パーセントありえないという、絶対を言い変えただけの言葉は不成立と思われます。

  8. 亀井トムさんは「呼び出し役」など設定していません。
    亀井氏は被害者と同じ家で暮らす長兄を犯人と設定していたわけで、それでどうして「呼び出し役」が必要なのでしょうか。

    それに限らず、貴方の推理には事実誤認が多すぎます。もう少し基礎的な事実に即した書き込みをしていただくようお願いします。

  9. 確かに目撃者が存在しなければ、呼び出し役は「推測上の人物」ということにはなります。しかし、だからといって「呼び出し役の仮説ははずれたと考えてよい」わけではありません。また、「見た者が誰もいないが実在した、という言葉は成立しない」ということにはなりませんし、「見た者が誰もいないということは、実在しなかったということ」という論理も成り立ちません。誘拐や殺人事件で目撃者がいない事件などそれこそ無数にあるわけで、そこへこの論理を当てはめるならば、「どの事件においても犯人そのものが存在しない」ということになってしまいます。

    狭山事件の場合、Y枝さんは時間を決めてガード下に立ち続けており、その後何者かによって殺害されているのですから、そこに「誰か」が現れたことだけはほぼ間違いなく、もし誰かと待ち合わせをしていなかったとすれば、それはイコール「別の場所で出会った行きずりの人間の犯行」(例えば、X字路で出会った石川さんなど。もちろん私は否定します)ということになります。

    目撃者が「犯人」である可能性はあります。しかし、A先生が呼び出し役だったとすれば、誰にも聞かれていないのに自分から「事件の日にY枝と会った」などと言い出すはずがないでしょう。
    犯行時間帯は「4時台と決まったわけではなく、5時台の可能性も」ありますが、Y枝さんは3時23分に下校して、同45~50分頃に第一ガード下にいます。A先生は5時過ぎに下校していますから、仮にA先生が呼び出したのだとすれば、3時50分頃~5時20分頃までの1時間半、豪雨の中Y枝さんがどこで何をしていたかの説明が必要になってきます。

  10. 一応ご参考まで。

    「川越高校野球部七十年史」を参照して、Mくんが川越高校でも野球部に所属していたことを確認しました。JRC部と兼部していた可能性はゼロではないでしょうが、当時の川越高校野球部は埼玉県内でも強豪で練習も厳しかったようなので、おそらく無理だと思います。

  11. 亀井トムさんの、狭山事件権力犯罪の構造という本の記述です。
    犯人の一人は勤務の関係で約束の退出がおそくなったとか、第2ガード下に近づこうとしたとき、そのすこしまえに20人の生徒をつれたAの一行が、あっている場面をとおくからみて犯人は警戒し、1時間近く時間をのばして第1ガードを指定したものと考えられる。

    Y枝は犯人の一人に案内されて屋内に入り、そこで安心して食事をしたのだから、案内した人物は知人であり、Y枝を安心させうる立場にあったことは〜
    ところで、彼女をある家へ案内した人物とは?

    名前はアルファベットにクメラが変えましたが、亀井さんは案内役を設定しています。呼び出し役も案内役も同じかと思われます。この案内役に亀井さんは、OGさんを設定し、連れ込んだ家としてOGさんの新居を設定していることは、明らかです。OGさんが従犯として、Y枝さんを新居に連れ出す案内役として、重要な役割を与えられているのが、亀井さんの推理の仕組みであり、仮説なわけです。伊吹さんの推理は、亀井さんを下敷きにしてるのは、すぐにわかるわけです。亀井さんの案内役はOGさん。伊吹さんの案内役は少年ですよね。行き先は、どちらもOGさんの新居。そして、その案内役について、48年間、物証もなければ目撃者もいないのは、間違いないのではないしょうか?
    事実誤認がある場合、私が気付いたときは訂正を入れさせていただきますし、指摘していただければありがたいと思います。

    犯人を推定する方法は、ひとつは、目撃者。もうひとつは物証です。犯人を見た者なし、という事件も結構ありますが、その場合は物証があります。犯人は何らかの痕跡を残してるわけで、そこから犯人像を推定していくことができます。
    坂本一家殺人というのがありましたが、あの時は、目撃者はいなかったが、現場にプルシャというバッジが落ちてました。この物証が決め手になりました。
    しかし、プルシャという物証がなければ、オウムの信者がアパートの中に侵入したとは、言えなかったのです。
    案内役はOGだ少年だと言っても、現場での物証や目撃者は全くない。彼らは確かに、そこにいたという証拠は何もありません。証拠は何もないのに、彼らは案内役で、第1や第2ガードに来て、Y枝さんを連れて新居に行ったのだと言えるわけありません。案内役は、いたに違いないとは言えても、いたとは言えないのは明らかです。今後目撃者が、現れる見込みもありません。

  12. >伊吹さんの推理は、亀井さんを下敷きにしてるのは、すぐにわかるわけです。

    はっきり申し上げておきますが、私の推理は「亀井説を下敷きに行ったもの」ではありません。一度完全に白紙の状態に戻した上で検証を重ね、現在の結論を出しています。

    >犯人を見た者なし、という事件も結構ありますが、その場合は物証があります。犯人は何らかの痕跡を残してるわけで、そこから犯人像を推定していくことができます。

    目撃者も物証もなしの事件、というのも実際にはざらにありますよね。

    >プルシャという物証がなければ、オウムの信者がアパートの中に侵入したとは、言えなかったのです。

    「言えなかった」というより「警察としては判断しにくかった」というべきでしょう。

    >案内役は、いたに違いないとは言えても、いたとは言えないのは明らかです。

    確かに完全に断定することはできないでしょう。ただ、「日頃の通学コースと異なる場所で時間を決めて誰かを待っていた様子だった」=「誰かと待ち合わせをしていた」と考えるのが自然でしょうし、現実にY枝さんがその場から連れ去られ殺害されている以上、「そこに、親しい誰かが現れた」ことだけは間違いないと思います。「石川さん・X字路」のような〝行きずり犯行説〟については、私ははっきり否定します。

    >今後目撃者が、現れる見込みもありません。

    これも確かに、今後現れる可能性はほとんどないでしょう。私の場合は「目撃者」というより、「呼び出した本人」または「それを知る人物」を今も探し続けています。

  13. Aさんと野球部員は一緒でなかった。
    Aさんは、ひとりで第2ガードに来て、Y枝さんと、ふたりだけで会っていた。まわりには、誰もいなかった。なぜならふたりが遭遇してる場面を見た者が誰もいないからです。 Aさんが引率したとされる野球部員は最初からいなかった。まぼろしの野球部員と今後は言われるでしょう。48年経っても野球部員から目撃者が現れないことがその根拠であり、今後もないと思われます。彼らは、現在63才くらいで存命のひとも多いでしょうが、Y枝さんを第2で見たというひとは、Aさんが、お亡くなりになったあとでも、現れることは、ありますまい。

    Aさんが引率していたとされる野球部員は、まぼろしでありAさんとY枝さんはふたりだけで会った。そしてY枝さんが第2に立っていたと推定される3時前後に、そこを通った人物はAさんだけです。Aさん以外にY枝さんを見た者なし、というのが、その証です。Y枝さんが立っていた時間というのは2時55分から3時8分だとするとわずか13分です。第2は、人通りは今も少なく、15分でひとり通るのが妥当なんじゃないでしょうか。
    わずか13分くらいのあいだに、通った人物の中に、待ち合わせの相手は、いたわけです。Aさんを含めて3人が通ったなら、Aさんである確率は33、3パーセント。Aさんと、もうひとりが通ったならAさんの確率は50パーセント。Aさんだけが通ったなら、待ち合わせの相手である確率は100パーセントということになります。
    つまり、Y枝さんが、待ち合わせの相手に会ったとすると、そこを唯一通ったAさんが、その相手である可能性は確率でいうと100パーセントという数字が出るということです。ですから、Y枝さんが待ち合わせの相手に会ったというなら、それはAさん以外には、ありえないということになります。もし、Aさんでないというなら、Y枝さんは第2においては、待ち合わせの相手に会うことができなかったという結論になります。その場合のケースとしては

    a.Y枝さんが時間と場所を間違えたために会えなかった。
    b.時間と場所は合っていたが、相手がすっぽかした。

    c.待ち合わせの相手など最初からいなかった。

    このうちのどれかになり、いずれかを採らねばならないということになるかと思われます。

  14. この件は無限ループになりそうなので(笑)、きちんとした反論がない限り、私も書き込みはこれで最後にすることに致します。

    >Y枝さんが、待ち合わせの相手に会ったとすると、そこを唯一通ったAさんが、その相手である可能性は確率でいうと100パーセントという数字が出るということです。

    「唯一」が証明されない限り、そのような論理は成り立ちません。

    >もし、Aさんでないというなら、Y枝さんは第2においては、待ち合わせの相手に会うことができなかったという結論になります。その場合のケースとしては
    >a.Y枝さんが時間と場所を間違えたために会えなかった。
    >b.時間と場所は合っていたが、相手がすっぽかした。
    >c.待ち合わせの相手など最初からいなかった。
    >このうちのどれかになり、いずれかを採らねばならないということになるかと思われます。

    実際にY枝さんはその後1時間、時間をずらして第1ガードに向かっているのですから、第2においては〝呼び出し役〟から時間・場所の変更を告げられた、と考えるのが一番自然ではないでしょうか?(当時はもちろん、携帯などというものはありません)。

    クメラさんはあくまでも「A先生関与説」のようですが、そうなると繰り返しになりますが、以下の点についての説明が必要になります。

    ①A先生が〝呼び出し役〟だったとすれば、なぜ聞かれもしていないのに(誰も知らないのに)わざわざ「事件当日Y枝と会った」などと自分が不利になるような証言をするのか?

    ②A先生が〝呼び出し役〟だったとすれば、その日午後から体育大会があることも相当前から分かっているはずなのに、なぜ待ち合わせ時間を「3時前後」にしたのか?

    ③A先生はその日4時頃に東中におり、5時頃まで堀兼中学校内にいたことも確実。A先生が犯行に関与していたとすれば、Y枝さんは行方不明になった3時50分~5時過ぎまで、どこで何をしていたのか?

    ④A先生が犯行に関わっていたとすれば動機は何か?(Y枝さんはその時期においても同期卒業生・M君に熱烈な片思いをしており、「A先生との交際説」は成り立たない)

  15. 佐野屋の推理においては、そこに確実にいたとされる人間だけで、実証的に推理しますでしょう。配置場所から距離まで厳密に推理しますね。物証や目撃者という証拠に基づかない人物は排除し、確かにいたというウラの取れてる人物だけで推理しますでしょ。いた人物だけで推理し、いたにちがいない人物を登場させたりしません。
    ところが第2や第1ガードの推理においては、目撃や物証というウラ付けに基づかない、呼び出し役なる存在が登場して重要な役割りをし、誰にも見られることなく、すべてのことを行ったのだと言われても、これは推理上のつじつま合わせの為に頭の中で、作り出されたフィクションだなと考えざるを得ません。
    つまりは、
    目撃者や物証に基づかないウラの取れていない人物を、いたにちがいないという想像で登場させた段階で、推理は実証を離れて小説に移行するということなのかもしれません。

    NKさんもOGさんもMさんも、第1第2ガードや入間川東小と、Y枝さんが行方不明になるまえの重要な3か所において、その姿が目撃されていません。彼らが、そこに現れたと言える証拠は、結局ひとつもありません。
    Aさんが第2ガードを通ったのは確実であり、これだけが否定しきれない事実です。Aさん以外の誰かが通ったとは、言えません。
    Aさん以外の誰かも通ったにちがいないとしか言えないのです。つまり想像です。これを客観的事実にする為には証明が必要になります。伊吹さんがAさん以外に通った人物がいるというなら、それを証明しなければなりません。証明不可能なものを証明しなければならないということになります。

    Aさんは本来ならY枝さんを見なかったと言うべきだったのです。野球部員が誰も見てないなら、Aさんも見てないのが当然だからです。

    野球部員もAさんもY枝さんを見なかった、なら何の矛盾もないからです。ところがAさんはミスを犯しました。第2ガードでY枝さんと会ったとポロッと、ほんとうのことを言ってしまったのです。ただ野球部員と一緒だったと言うことによって、ふたりだけで会ったという真相はカムフラージュしたわけです。しかしそれによって、野球部員はY枝さんを誰も見てないのに、Aさんだけが見たという矛盾を抱えた証言になってしまったのです。2日にYさんに話して以降、Aさんが口をつぐむようになるのは、ミスに気がついたからだ。なぜ、AさんはY枝さんを見たと言ったのか?これはAさんのミスだったのです。

  16. A先生は2日にY先生に話して以降も口をつぐんでなどいません。少なくとも、事件から12年後の1975年3月17日に、野間宏氏にも同じ内容を話しています。「ポロッと、ほんとうのことを言ってしまった」「Aさんのミス」というのは、単なる貴方の思い込みです。以上。

  17. これはもしかしたら“釣り”ですかね・・・(笑)。一応本気で書いていると信じて、もうちょっとだけ反論させて頂きます。

    クメラさんの論理に従えば、「目撃証言や物証がない」わけですから、「A先生が第2ガードでY枝さんと出会った」ということ自体が“フィクション”ということになってしまいます。

    >Aさんが第2ガードを通ったのは確実であり、これだけが否定しきれない事実です。

    東中に行くルートはほかにいくつもあるのですから、A先生が第2ガードを通ったかどうかも分かりません。

    >目撃者や物証に基づかないウラの取れていない人物を、いたにちがいないという想像で登場させた段階で、推理は実証を離れて小説に移行するということなのかもしれません。

    きちんとした根拠に基づく推理と「小説」は全く異なります。被害者が普段とは反対方向で、時間をずらして2回に亘り「待ち合わせをしているふうに」立っていて、しかもその日は被害者の誕生日で、なぜか被害者は以前からその日を「楽しみにして」おり、その直後にどこかの屋内で殺害されているのですから、これは誕生日を口実に呼び出した人間が存在した、と考える方が自然でしょう。

    >2日にYさんに話して以降、Aさんが口をつぐむようになるのは、ミスに気がついたからだ。

    管理人さんがお書きになっている通りで、A先生は「口をつぐんで」などいません。むしろ、その後の方が積極的に話すようになっています。

    >Aさん以外の誰かも通ったにちがいないとしか言えないのです。つまり想像です。これを客観的事実にする為には証明が必要になります。伊吹さんがAさん以外に通った人物がいるというなら、それを証明しなければなりません。

    でしたら、その前に「A先生が第2ガードを通った」「そこでY枝さんに出会った」ということの証明をなさってみてください。

    とりあえず、まだ「A先生関与説」を主張されるのでしたら、前回の私の①~④の疑問点についてご説明をお願い致します。それがなければ、もうバカバカしいのでこの件に関する書き込みは本当にこれで最後にします。

  18. Aさんは2日に、Yさんに、野球部員を引率して第2ガードを通ったときにY枝さんに会ったと話すわけですが、その後警察には話さない、読売文春に話したというが、記事にはなっていない。これはAさんの偽りで、話してないんだと思います。話してたら読売文春は報道してるはずです。N家の人にも話していない。Mさんに3日に話したというが、Mさんが警察に伝えた形跡はなく、その証拠がAさんが供述書を取られなかったということです。AさんはMさんに4回話したというでしょう。ならMさんから警察にもマスコミにもN家にも、この話しが伝わるのが当たりまえなんじゃないでしょうか。つまり、AさんはMさんに話していないのではないのかということです。もし、話していたなら、Mさんは、なぜ自分の口に封印したのかということになり疑惑の影がさしてきます。
    私が、口をつぐんだと言ったのは、このような事件直後のことを、さしたのです。Yさんに語り、その後警察、マスコミN家には語っていない。Yさんに語ったことが真実なら、警察にもマスコミにもN家にも語ってもいいんじゃないでしょうか?ただ警察やマスコミは、この証言のウラ付けを取るために、野球部員に聞き取りを行ったはずです。もしそうなっていたらどうなったでしょう? Aさんと野球部員が一緒でなかったこと、つまりは、AさんがYさんに語ったことが偽りであることが、事件直後の段階で露呈されたはずです。
    しかし、この話しは深く潜行し、表に出てきたのは、事件から数年も経ってから亀井トムの本で、はじめて公になったわけです。その後野間宏が取材したときに、Aさんの言うことは2日にYさんに述べたことと同じで、ぶれがなかったわけです。ところが亀井野間は野球部員にも取材してAさんの語ったことのウラを取ることはしませんでした。ここで市民団体が登場し、野球部員に聞き取りを行い、Aさんと野球部員の言うことの食い違いが、初めて露呈したわけです。それは1970年代で、その頃にもうAさん証言の矛盾に気づいてる人は、いたということになります。
    AさんがY枝さんを見たというのは、真実だと思います。しかし真実を語ってしまったからこそ証言は矛盾を抱えることになったのです。それはミスだったのでは。文字数これまで。

  19. お世話になります、事件以前生まれの初見の者です。レスが新しいここにお邪魔させて頂きます。被害者および冤罪の方を含めた痛ましい現実に「興味を覚える」という表現を使いたくはありませんが、古い未解決事件を整理していてこちらに参りました。
    私は単純な「OG単独犯」に立ち調べています(初着事由:脅迫状中「友だちが」としている表現が「かえてきて、ころしてヤる」と一人称に変化)が、浅識独断であるため情報を求めております。WikiPediaと同様、当サイト様のいくつかはリンクが切れており、他所様は主に冤罪者支援の目的で建てられたものが多くままなりません。身勝手なお願いではありますが、お時間のある時に以下につき詳細な情報を提供できるサイトへ誘導して頂ければ幸いです。
    1:次姉T恵さん・OGさんの公開されている全遺書、および被害者の公開されている全日記
    2:被害者の埋葬状況の詳細(特にビニール風呂敷と荒縄の意図)

    この事件を困難にしている理由は警察が誘導しようとして取り上げている事実と、実際に事件を客観する事実が混在するからであり、上記2事実だけは警察の誘導と無関係なことからそのまま真実を指すものと考えます。特にT恵さん遺書中「二人でまっ黒になって」が何を意味するか判別できればN田家ルートは全て解けるように思えます。長文にて失礼致しました。

  20. 次姉の遺書は公開されていません。リンク先の記事にある次姉の遺書がどこから出てきたものかも不明なままです。
    ・OGの遺書も公開されていません。
    ・被害者の日記は、私が当サイトに掲載したもの以外は公開されていないと思います。
    ・被害者の埋葬状況の詳細については、図解は『FOR BEGINNERS冤罪・狭山事件』にあるものが一番わかりやすいと思います。

    この辺の情報が得られれば「真犯人推理」の上では大きな前進であることは確かですが、現時点では(私が知る限り)情報がありません。逆にどこかで情報が公開されているようであればご教示ください。もしかすると、例の検察にあるという、積み重ねると2mになる証拠の中にあるのかもしれません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です