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狭山事件: 被害者の日記 その5

「女性自身」昭和38年5月20日号「女性自身」昭和38年5月20日号

「女性自身」に掲載された被害者の日記シリーズ、最後のページです。

本日の引用部分で真っ先に目に付くのは、4月26日の部分です。

4月26日(金)晴
(前略)これからのバカンスのことを考える。
今晩も涙を流し、眠りに入った。
つらい。苦しい。それもみんなおこづかいのことだ。涙が枕元を流れた……
(原注)(ゴールデンウイークのこづかいが少ないことで(被害者)さんはなやんでいた。姉の(次姉)さんは、あとでこの日記を見て、「生きているうちに、もっと好きなことをさせてあげたかった」と泣いていた)

これはどういう意味なのでしょうか。

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狭山事件: 被害者の日記 その4

「女性自身」昭和38年5月20日号「女性自身」昭和38年5月20日号

被害者の日記の続きです。

まず気がつくのは、被害者のマジメさが現れている部分です。

中学生が立ち食いしているのは、みっともない。そのみっともないことを、自分はどうしてするのだろう。今度こそ、かならずやめよう。

また、被害者の男子に対する態度も、ういういしい、中学生らしいものだと思います(本日掲載したのは1月から3月の部分なので、被害者はまだ中学3年生でした)。

昼休みのときだった。国語の答案を見に行こうとしたら男子数人が答案を見ていた。そこにMさんもいた。だから私はひき返した。わりこんで行くのが恥ずかしかったからだ。少したって、男子がひきあげたと思って行ってみるとMさんだけ残って、答案合わせをしていた。私はその後ろへ行って答案をそっと見ていた。しばらくすると、Mさんは一人になったのに気がついて、後ろを振り向くと、「チェッ」といって、恥ずかしそうに私と視線を合わせ、去っていった…。

Mさんが道でローラースケートを楽しんでいた。行きも帰りも会い、少し恥ずかしかった。早く私もうまくすべりたい。早く早く。

Mさん、さようなら。胸がいっぱいだった。

この「Mさん」に関する被害者の恋心は、伊吹本(『狭山事件 -46年目の現場と証言』)にも掲載されている日記の他の部分にも現れています。読んでいると思わず萌えてしまうような記述が満載です。

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狭山事件: 被害者の日記 その3

「女性自身」昭和38年5月20日号「女性自身」昭和38年5月20日号

被害者の日記の話の続きです。

日記は事件の年の1月1日から書き始めたとのことで、それ以前のものは存在していないようです。この点について、上の記事中の写真で次姉が胸に抱いている日記帳に「記念」という文字が見えますので、何かの記念(中学の卒業記念等)で日記帳をもらったことをきっかけに書き始めたのではないかという推測も可能です。ただし、この写真で見えている日記の表紙は、別のところで日記の表紙として公開されているものと明らかに異なりますので、単純に写真撮影の時に適当な本を次姉に持ってもらって撮影したということも考えられます。

日記の内容としては、まず、中三~高一としては文章がしっかりしているという印象を受けます。「今日は○○のスィーッを食べに行ったょ。チョ→ぉぃしかった♥」みたいな文章はさすがに時代的にも書かないでしょうが、それにしても背伸びした中にもういういしさの残る、好感が持てる文章です。

「姉さんが、アルバムからはがしてくれた」という被害者の写真が右上にあります。これは学生証の写真と同じものだと思います。この時期(5月20日号=5月13日頃発行なので、取材時はおそらく5月10日前後)にはまだ学生証は刑札の管理下にあった可能性が高いので、学生証の写真そのものではなく、学生証の写真を撮りに行ったときに焼き増ししたものを、次姉がアルバムからはがして記者に提供したのではないかと思います。ただし、事件翌日には被害者の自転車が被害者宅に戻っていたことも明らかなので、確定ではありません。
また、これももうちょっと調べないと確定的には言えませんが、この写真はこの記事が初出かもしれません。事件直後に出回っていたのはもう少し幼い感じの写真(こちらの記事の上2つ)でした。

(2009年3月30日追記): この日記が掲載されていた「女性自身」を、当初「昭和38年6月10日号」と記載していましたが、「昭和38年5月20日号」の誤りでした。お詫びして訂正いたします。また、それに伴っていくつか本エントリの内容を書き直しました。

狭山事件: 被害者の日記 その2

被害者の日記女性自身昭和38年5月20日号

「伊吹本」にて個人的にかなり衝撃的だったのが被害者の日記です。一応、狭山事件の公判調書類には一通り目を通していたつもりだったのですが、上告趣意書に詳しく被害者の日記の内容が書かれているというのは見落としていました。自らの不明を恥じると共に、きっちりと資料を読み込んでおられる伊吹氏の姿勢には頭が下がります。

本日の画像は、そこからたどっていって確認した、「女性自身」昭和38年5月20日号に掲載された被害者の日記です。

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