月別のブログアーカイブ: 9月 2010

冤罪事件一般: 文藝春秋の村木厚子氏手記

今売りの文藝春秋10月号について。下山事件関係は正直目新しい情報が何もない記事でした。しかし、この村木さんの手記(「手記」と言いつつ、江川紹子さんが取材・構成となっているので、実際に書いたのは江川さんのようですが)はなかなか興味深く、これだけで780円以上の価値はあると思います。

村木さんと言ってもわからない方のために。元厚生労働省雇用均等・児童家庭局長だった方で、大阪地検特捜部に全くの捏造の冤罪容疑で逮捕され、1年以上も勾留されたあげくに無罪判決が出た方です。

先般逮捕された前田検事の話も出てきます。村木さんに口添えを依頼したとされる石井議員が、そのような事実はないことを証明するために、事件があったとされる2004年の手帳をすべて用意して前田検事の聴取に臨んだところ、彼は全く興味も示さずに検察のシナリオ通りの供述を引き出すことだけに注力していたとのことです。

典型的な冤罪のパターンだと思います。「優秀な検察官」というのは、検察のストーリーに沿った供述を手段を選ばずに取ってくる検察官のことを指すのだそうですが、そのような意味で最優秀検察官であった前田検事が逮捕されたことを、検察という組織はどのように考えているのでしょうか?

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下山事件: 文藝春秋の柴田哲孝氏の記事

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『下山事件 最後の証言 完全版』(文庫版)

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『下山事件 最後の証言』(単行本版)

今売りの「文藝春秋」10月号「真相 未解決事件35」という特集の中で、下山事件が採り上げられています。記事を書いているのは柴田哲孝氏。当然ですが他殺説で決定済み(笑)という内容になっています。

今回の記事で気になったのは下記のような記述です。

事件の三日前の七月二日夜、下山総裁は西銀座の『出井』という関西料理屋にいた。その店で誰と会っていたのかも、重要なミッシング・リンクのひとつだ。

数年前、この出井にいた謎の人物に関して、「財界の大物のSとMという男だった」という確度の高い情報提供があった。

相変わらず、ソースを示すことなく、別の言い方をすれば検証ができないようにそれっぽい情報を書くのがうまいですね。さすがはサスペンス作家の面目躍如といったところです。ただし、これらの情報を今後下山事件推理における「事実」として扱いたいのであれば、せめて「誰が」「いつ」「どのように」その情報を提供したのかを明かす必要があるでしょう。このままでは矢田喜美雄氏の「下山総裁の死体を運んだ男」の話と同じで、「へえ、だから?」としか言いようがありません。

柴田氏は、こういうところで下山事件に関して偉そうなことを書く前に、「『下山事件 最後の証言』文庫版と単行本版で結論が正反対になっていて、しかもその理由が全く説明されていない」というAmazon書評欄における批判に対して誠実に説明をするべきではないでしょうか?
その説明がなされない限り、今後柴田氏が下山事件に関して何を言おうと信用する人は皆無だと思います。ましてや、今回のようにソースも明かさない話を思わせぶりに持ち出されても、その信頼性はほぼゼロと言って差し支えないでしょう。

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狭山事件: 「腹違い」と「種違い」

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『狭山事件 続無罪の新事実』

亀な紹介ですいません。以前にとりあげた「被害者は腹違いではなかったか」という質問が裁判で出てきたことに関して、「狭山事件を推理する」サイトにて「おそらくは根拠のない噂レベル」という話が出ています。

『続無罪の新事実』の記述を確認しましたが、確かに亀井氏自身が「僕のある記事にヒントを得て」と明記しています。そもそも亀井本は事実関係にかなり疑義があることはこれまでも本ブログで見てきたとおりです。さらにこの部分は、「狭山事件を推理する」サイト管理人氏も指摘しているとおり、いわゆる「荻原文書」の受け売りであると思われます。したがって、信憑性はほぼゼロといっても差し支えないでしょう。

そういうわけで、今後何か新事実が出てこない限り、この「被害者は腹違い(種違い)」という話は、狭山事件真犯人推理の上ではガセネタとして扱うべきであると思います。

 

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津山事件: 当時の加茂町

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『目で見る美作の100年』より

本日の写真は、昭和初期の加茂町小中原です。キャプションにもあるように、当時の加茂町には家畜市場があって市が立つときはかなりの人出があったようで、写真を見る限りでは失礼ながら今の小中原よりも格段に活気があるように見えます。ちなみに、小中原というのは塔中と並ぶ加茂の中心地です。

大きな地図で見る

都井家は一時期塔中に住んでいましたし、貝尾から小中原までは徒歩でも1時間内外(4km程度)です。そういう意味では、「人里離れた山奥の山村の一青年」というイメージは、睦雄にあてはまらないのかもしれません。そのあたりは、事件後に現地を訪問した中垣清春予備検事の文章(筑波本にも引用されています)にも現れています。

私は犯人都井の住む此の村が陰惨な山間僻地で文化にとり殘され、豊かな生活も阻まれた寒村であると想像してゐた。
そしてそれが此の事件の發生に何パーセントかの影響を與へてゐるものと固く信じてゐた。それが見事に裏切られた。陽氣の加減もあつただらうがあの東北の冷害地方を知り、四時雪を戴く信飛の高原地帶を見てゐる私には、山國とは云へ尚豊饒な農家生活を営み得る餘裕を此の土地に見い出した。土地の氣候、風土等が犯人都井にどれだけ作用したかは大いに疑つて見ねばならぬ問題となつた。

 

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