下山事件: 秋谷教授のpHによる死後経過時間判定

自殺説紹介ブログさんの方で、特別講演 PH・時間曲線による死後経過時間の判定というエントリが発表されました。

このエントリは、下山事件研究の上で非常に重大な意義を持っています。
秋谷教授の曲線による死亡時刻推定法に関しては、これまで通俗的に取り上げられることは多くても学問的な基礎は謎な部分が多く、活字になっているものは古畑教授の著書に掲載されたものくらいしかありませんでした。その中で、これまで伝説のように

第三十四次日本会総会での秋谷氏によるpH時間測定法についての特別講演録(「PH・時間曲線による死後経過時間の推定」、日本法医学雑誌 第4巻3-4号、p185-190、昭和25年)

で秋谷教授がpH法について正式に学会発表している、ということだけが語られてきました。

ところが、「日本法医学雑誌」のこの号は、国会図書館で欠号になっています。そのこともあってか、これまで秋谷教授のpH法に関するまともな検証はなされておらず、結論である「総裁の死亡時刻は午後9時半±2時間」だけが一人歩きしている状況でした。

私(当ブログ管理人)も、実はこの講演録は読んだことがありませんでした。国会図書館に見に行きましたが欠号になっており、それ以上どこを捜せばいいのか考えあぐねている状態でした。そのような状況の中で当該号を発見し、発表された自殺説紹介ブログ管理人さんに敬意を表します。

それで、今回初めて見た当該講演録ですが、当時の科学水準を考慮に入れても「論文」とは呼べないシロモノですね。下山事件自殺説紹介ブログ管理人氏も指摘している通り、致命的なのは実験のサンプル数(n)と、そのバラツキ(標準偏差)が示されていないことです。

100匹の様々なで死亡したモルモットを使って実験し、その死後の筋肉のpH変化がほぼ同じグラフになる(たとえばおおよそ±0.1pHの間で収まっている)ならば、pH曲線による死亡時刻推定は科学的根拠を持っているといえるでしょう。しかし、1匹のモルモットの実験結果だけでは、たまたまそのモルモットの特性(個性)でそのような結果が出たのか、一般的な死後の筋肉のpH変化によるものなのかを区別できません。
これは医学に限らず、科学論文では必ず押さえなくてはならない基本です。それすらなおざりにされているようでは、この講演録をもってpH法の科学的根拠を示したとは認められないと思います。

ちなみに、理論的根拠を離れても、技術的に当時のpH測定方法に関して疑義があることは既に当方が指摘したとおりです。以後、秋谷教授のpH法による死亡推定時刻9時半±2時間を論拠に下山事件について何か論ずるのは、全く無意味であることをここに断言します。

追記
秋谷教授が、試験紙法とガラス電極法でpH測定結果に差異があることを認めているこのグラフは、実は非常に大きな問題を孕んでいると思います。
上の実線で示されたガラス電極法のグラフと、下の試験紙法のグラフは、極小点がほぼ同じくらい(20~22時間後あたり)になるように線が引かれています。しかし、プロットされた点だけを見ると、2つのグラフで極小点が同じになる(2つのグラフが平行移動だけで重なる)とはとても思えません。
それを

余等の実験の結果では此等両測定法で得た両曲線は、各図表に示す如く一定のPH値差を以て平行するので、実際には試験紙法で充分である。

と言って片付けるのは、とてもではありませんが科学的な態度とは言えないでしょう。そもそも、近似曲線の描き方(最小自乗法?曲線は二次曲線?三次曲線?)も明快には示されていません。
さらに言えば、このガラス電極法と試験紙法の比較グラフにおいてすらサンプル数が示されておらず、たまたま比較的良く合致するように見えたサンプルをとりあげたのではないかという疑惑も拭えません。

One thought on “下山事件: 秋谷教授のpHによる死後経過時間判定”

  1. 取り上げていただいてありがとうございます。特別講演録ではありますが、分量も内容の詳しさも一見論文といっても差し支えないようなものでしたが、よく読むと、データ数等の肝心要な情報が欠落しているという不思議な文献でした。発表者の立場になって考えてみると、沢山実験をしてしかもバラツキが少ないデータが得られたら、それを一番強調するはずだと思うんですね。それがこの方法を支える基本的な前提ですし、
    「どうだ俺の言った通りだろ」と、下山事件発生当時の批判者に反論することができるわけですから。でもそれをしていないということは、要するにまさにそこが弱いんだと思います。つまり標準曲線の元になっているデータの数が非常に少ないんでしょう。私はデータ数1の可能性は結構高いと思います。それは時間が足らなかったというよりもむしろ、ご指摘の通り、都合のよいサンプルだけを取り上げたからなのではないかと考えています。捨てたデータが多いんじゃないかと。データ数やバラツキを明記していない報告を残している点で、こういう推測をされてしまうのは仕方ないことだと思いますし、また、それほど的外れな推測ではないと思います。バラツキについては、次のエントリで船尾氏の論文のデータを見てみるつもりです。

    「近似曲線の描き方」についての説明がないこと、ご指摘の疑問はまったくそのとおりだと思います。曲線をフィットさせるのに主観で構わないというくらいですから、曲線の描き方についても厳密な方法は用いていない可能性が高いんじゃないでしょうか。主観が混じりやすいという批判のあるこの方法ですが、主観というより願望といったほうがより正確なのかもしれませんね。近似曲線の描き方についての方法の説明が全くないことについては、今後近いうちに私のブログのこのエントリに簡単に加筆させていただくかもしれません。ご了承くださいませ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です