下山事件: 「秋谷鑑定」 その4

『下山事件全研究』より 植物油の混入について『下山事件全研究』より 植物油の混入について

以前のエントリで引用した「文春秋谷鑑定」に関する疑問の続きです。当該の「文春秋谷鑑定」において、「D51-651油は少し値数が高いので鉱油であるか否かを鹼化値測定によって判断した。その結果はわずか一・八で現れ0に等しいことを認めた」という記述があります。当方も化学の専門家ではありませんが、いろいろな書籍を見る限り鉱物油であれば鹼化値は0、植物油であれば100~200という数値になるのは確かなようです。

ところが、当時は終戦直後でもあり、機関車に使われていた油は純粋な鉱物油ではありませんでした。今回引用した画像でも論じられているように、「少ない人で5%、多いほうで30%というように、だいぶひらきが」あるものの、鉱物油に植物油を混入して使っていたという点では共通しています。他殺説論者の斎藤茂男氏ですら、5%の植物油混入が通常行われていたことを認めています。

少なく見積もって植物油(鹼化値200)5%と鉱物油(鹼化値0)95%を混ぜ合わせて使っていたとします。そうすると、この混合油の鹼化値は200×0.05+0×0.95=10となります。つまり、鹼化値1.8という、ほぼ純粋な鉱物油という結果が出ることがおかしいということになります。先に議論した機関車の下面に存在する油の量の話と合わせると、この「文春秋谷鑑定」の著者が実際に機関車の油を集めて実験したとはとても思えない、という結論に到達せざるを得ません。

しかも、「文春秋谷鑑定」は、植物油が機関車に使われていたことを間接的に認めています。

文藝春秋昭和48年8月号 文藝春秋昭和48年8月号

「文春秋谷鑑定」において、米ヌカ油の検体を27種類集めて分析したことになっています。この中の9番目に「新小岩機関区」が、16番目に「八王子機関区」が明記されています。要するに、この「文春秋谷鑑定」を書いた人は機関区において米ヌカ油が使われていたことを知っていたことになります。

にもかかわらず結論段階では「」は米ヌカ油であり、機関車の油は鉱物油であるから、「」は機関車の油ではありえない、としています。これがまともな化学者の論文とは考えられません。

また、上の画像で引用した「文春秋谷鑑定」の中にはもう一つ著者がまともな化学者ではないことを窺わせる点があります。「下山色素は大体において塩基性でしかもベースでない染料と推定する」という記述です。本ブログ管理人はしつこいようですが化学の専門家ではありません。しかし、いちおう高校は卒業していますので、「塩基」の英語訳が”base”である(というかbaseの日本語訳として塩基という用語を作った)ことくらいは知っています。「塩基性でしかもベースでない」という記述は、「良いけれどもナイスではない」というようなもので(違)、文章として意味をなすとは考えられません。

結論として、この「文春秋谷鑑定」は信用できない、言ってみればヨタ話にすぎないというのが現時点での本ブログ管理人の判断です。少なくとも機関車の油について「文春秋谷鑑定」の著者が試験していないことは明らかだし、その他の点に関しても、著者の基本的な化学に関する素養を疑わせるに足る記述が目白押しです。

しつこいようですがこれらの疑問点のほとんどは既に30年前、1976年に佐藤一氏が指摘しています。にもかかわらず、相変わらずこの「文春秋谷鑑定」の記載が絶対的な事実であるかのように、「下山油」や色素を他殺の物理的証拠として記述する平成三部作(『葬られた夏』、『下山事件』、『下山事件 最後の証言』)は、読み物としては面白いのですが真摯に真実を追究する態度で書かれた書物とは思えません。その意味で、これらの書物は「ノンフィクション」ではなく、畢竟よくできた「フィクション」であるというのが正当な評価でしょう。

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