津山事件の現場である貝尾部落を訪問したルポにはよく「墓場に入った我々は慄然とした。墓の多くの命日が『昭和十三年五月二十一日』となっていたのである」みたいなことが書いてあります。
ところが、実際に現地を歩いてみると、29人分(被害者30人マイナス倉見にお墓がある睦雄の祖母)のお墓が1カ所にあるわけではありません。貝尾は小さい部落ですが、農村なので各家でそれぞれ墓地を持っていて、部落の中にある墓地だけで10カ所くらいあるでしょうか(正確には数えてはいませんが)。そのため、1カ所の墓地に「昭和十三年五月二十一日」の墓は多いところでも4~5基といったところです。1カ所だけ、小さい墓所でお墓のほとんどが「昭和十三年五月二十一日」になっているところがあってそこはさすがに鳥肌が立ちましたが、その墓所は非常にわかりにくいところにあるため、そこへいきなり行って慄然とするようなことはまずありえないと断言できます。
上の写真4枚は4枚ともすべて違う墓地です。1枚の写真に2基の「昭和十三年五月二十一日」が写っているものもありますが、大体はこんな感じで分散していました。
貝尾のお墓はどの家のお墓もよく手入れされていました。事件で亡くなった方々だけではなく、ほぼすべてのお墓に手を合わせて来ました。
はじめまして。
筑波昭さんの「津山三十人殺し」を読んで事件に関心を持ちました。
こちらのホームページは説明がとても丁寧でわかりやすかったです。
質問というか、気になる点があったのでコメントさせていただきました。
被害者のお墓の写真(1枚目)で、「四女」「行年十五才」と見えるのですが、
筑波さんの本を読む限り、被害者の中に四女で15歳の方はいません。
15歳女性の被害者は1人ですが(ゆり子さんの妹さん)、
筑波さんの本では「五女」になっています。
本が間違えているのでしょうか。
これからも更新を楽しみにしています。