狭山事件: 石川さんの筆跡

Sankei-S380524
サンケイ新聞昭和38年5月24日付朝刊

こちらのエントリへのコメントで「逮捕前の石川一雄さんのはないのか」という話をいただき、「早退届そのものに関してはどこかで見た気もするのですが、今思い出せません」と書きましたが、すいません記憶違いでした。

逮捕前の筆跡として報道されたものとして、今回の画像があります。これと勘違いしていました。お詫びして訂正します。

この画像は、と石川さんが持っていた手帳の筆跡として報道されていますが、いくつか問題点があります。

  1. 「手帳の筆跡」とされているものが、その後の上申書などと比べても似ても似つかない
  2. 脅迫状が本物の脅迫状ではない。本日の画像に出ている脅迫状は、一見脅迫状そのものに見えるが、本物の脅迫状の画像と見比べるとかなり違いがあることがわかる

今となっては推測するしかありませんが、最大限サンケイ新聞に好意的に解釈して、「手帳の筆跡」は石川さんの手帳に友人か誰かが書いたもの、「脅迫状」は元の脅迫状を記者が模写したものを製版して印刷したもの、といったところでしょうか。当時はコンビニに行けば手軽にコピーが取れるという時代でもありませんし、証拠品である脅迫状を持ち出すわけにもいかないので、苦し紛れとして記者が模写したものを掲載したのではないかと推測します。

ただ、(当時の)サンケイ新聞がそういうことをやる新聞社だとすると困るのが、長兄の手記はこの前日のサンケイ新聞夕刊に掲載されているんですよね。いや、別に困らないんですけど、この「手記」も捏造あるいは模写の可能性もあるのかあ、という気もしてしまいます。手記自体の改変も行われていることですし。

これ以外に石川さんの逮捕前の筆跡として公表されているものはないと思います。もしあればご教示ください。


本ブログでとりあげている事件に関する同人誌等の通信販売を行っています。詳細はこちらをご参照ください。


   

10 thoughts on “狭山事件: 石川さんの筆跡”

  1. 管理人さん、貴重な資料を見せていただきありがとうございます。筆跡の真贋はともかく、石川一雄が手帳を持っていたと聞いて驚きました。事件当時の石川一雄が文盲だったとすると、手帳自体が全く不要なものではないでしょうか。

    http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/94/Soutaitodoke.jpg

    逮捕の5年前に書かれた早退届はこれです。定型書式は他人の筆跡で書かれており(「午前・午后」を選択するように並べて書いてあります)、定型書式だけガリ版で刷ってあるようにも見えます。そして、定型書式で空欄になっていた早退理由・時刻・日付・氏名が石川一雄の筆跡で書かれています。「頭痛」を「ずツ」と書いているのが脅迫状の「ツツんでこい」「もツて」などの表記と共通し、日付の「5月1日」を「五月1日」と書いているのが脅迫状の「五月2日」と共通しています。

    伊吹隼人さんは2ちゃんねるのコテハン時代に「結論から言うと、私はこれを必ずしも“冤罪事件”であるとは思っていません。ただ、石川氏の単独犯行もしくは複数で犯行を行った場合の「主犯」でないことは100%確信しています。 要は、石川氏が犯行計画の全容を知らされないまま、「お手伝い」など
    をさせられた可能性はあるのではないかと・・・」と有罪寄りの発言をしていましたが、多分この早退届を念頭に置いていたのではないでしょうか。

    私もまた、単なる偶然の一致では片付けられないものを感じます。

  2. ご指摘の通りで、筆跡に関しては正直なところ、まだ私自身も結論が出せずにいます。
    石川さんのものと脅迫状の筆跡を比較してみると、似ても似つかぬ字が大半となっている一方で、「何でここまで似るんだ??」と思える字もいくつか見受けられるんですよね。。果たしてこれはただの偶然なのか何なのか・・・。

    なお、石川さんに対する私の見方は2ちゃん時代から今に至るまで全く変わっていません。
    ただ、「有罪寄り」というのははっきりニュアンス的に違いますし、私はあくまでも基本「石川さん無罪」論者です。つまるところ、私は「養豚場従業員(IY、I―TR、ITなど)実行犯説」支持なので、彼らと日常的な付き合いのあった石川さんが「何も知らないまま手伝ってしまった」可能性もゼロとまではいえないだろう、とみているだけです。これが、2ちゃんやらその他サイトの人間の手にかかると、なぜかヒステリックに「石川さん有罪説の主張」とみなされてしまうようなのですが、それは完全な曲解です。少なくとも私は、「石川さんは裁判上、絶対無罪になるべき人」と考えています。

    (ニュース速報を一つだけ・・)
    最近調査したところ、養豚場主だったIK氏は昨年春、すでに死去していました。享年76。数年前に脳梗塞を患ってからは、ほとんど喋れない状態が続いており、歩くのもやっとの状態だったようです。なお、I―TRは昭和41年に自殺しており、IY氏も8年前に病死、IT氏も15年前に病死、TA氏は出身を隠して千葉に転居、養豚場隣家に住んでいた被害者同級生は13年前に自殺、養豚場向かいに住んでいた被害者の親友は10年前に遠方に転居、その隣家の被害者同級生は現在も消息不明、ということで、当時の養豚場を知る人々は現在ほとんど現地から姿を消してしまっています。

  3. 早退届のご教示ありがとうございます。
    『狭山事件の超論理』でしたか。どこかで見たような気がするというのは気のせいではなかったのですね。

    ただ、私(本ブログ管理人)個人としては、やはり石川さんの筆跡と脅迫状は違うという意見に変わりありません。以前にも書いたように、石川さんの逮捕前の筆跡には「払い」がありません。それに対して脅迫状の字は「払い」を自在に駆使しています。その意味で、個々の字の形に似ているものがあっても、脅迫状は字を書き慣れた人のものであり、石川さんがそういう「字を書き慣れた人」に該当しないことは明白だと思うからです。

  4. 脅迫状の全文と訂正箇所(五月1日)を書いた人物は違うように思うのですが如何でしょうか?
    個人的に思うのは訂正箇所の文字が石川さんの筆跡に似ているような気がするのですが。

  5. 詳しい方にお尋ねしたいのですが、石川一雄氏の利き手はどちらなのか、どなたか御存じないでしょうか?

    伊吹さんご指摘の「石川さんのものと脅迫状の筆跡を比較してみると、似ても似つかぬ字がたくさんある一方で、「何でここまで似るんだ??」と思える字もいくつか見受けられる」の件ですが、
    これはひょっとすると、利き手ともう一方の手を使い分けて文字を書いた結果ではないでしょうか。

    なお、左手で「はらい」は正しく書けないことが多いそうです。

    http://www.navi-school.com/school/aichi/toyotakita/head/post_18.html

  6. 管理人様、伊吹様へ。

    テレビ朝日のザ•スクープ
    http://youtu.be/XR_CUf-kpos
    でナレーターが「かね、にじゅうまんえ」とあ読んでいますが、
    脅迫状の字ずらからは、脅迫状作者は伝票や領収書か何かのように「きん、にじゅうまんえん」と
    思って(或いは癖で)書いた(書かせた)気がしています。

    管理人様、伊吹様は普段どのように脅迫状の「金」を読まれていらっしゃいますでしょうか。
    何とぞご意見お聞かせ下さい。

  7. 実際に何と読むのかは、犯人に聞いてみない限り分からないのですが(笑)、私は普段そのまま「かね にじゅうまんえん」と読んでいます。

    ただ、普通なら「金を二十万円もッて」とか「二十万の金を持ッて」とか書きそうなものですし、そうなると一反木綿さんのご指摘どおり、犯人側で日頃の癖が出て「伝票や領収書式」の書き方をしてしまった、ということも十分考えられるかとは思います。

    養豚場従業員たちも年中豚を売ったり、残飯の販売を行ったりしていたわけですし、OGにしても運送会社に勤務していたのですから、もしその中に犯人がいたとすれば、そうした表記が頭に焼き付いてしまっていたとしても別に不思議ではないですよね。

  8. 伊吹様。
    ご回答有難うございます。
    子供の頃遊び場だった気んじょの寺の住職さんが、お布施額の掲示板に「きん、ゴセンエン」などとブツブツ言いながら筆書きしていたので、当方は今まで「きん」と読んでいました。
    機会がありましたら自営業や商業/運搬業務経験のある人の意見も聞いてみますね。
    何か微々たる収穫がありましたら、またご報告させていただきますm(_ _)m。

  9. 初めまして。「昭和10大ミステリー新証言録」中の伊吹氏の記事により、狭山事件を知り、ここ数週間何冊かの本で勉強しているものです。

    いろいろ見ていきますと、私には、6月20日(23日?)に関源三巡査部長に対して行った自白なるものが、最も真相を伝えているように思えました。この供述調書では、冒頭に「手紙を書いたのは俺で、持っていったのも俺なんだ」とあります。そこで「手紙」(脅迫状)の筆跡が気になりましたが、WEB上には昭和38年9月6日の関源三氏あての手紙なるものが紹介されています。(http://sayama-case.org/5-photo-figure/menacer-lettre.html#H1)
    この手紙を見た瞬間、私はゾ~っとなりました。明らかにあの有名な脅迫状と同一の筆跡ではありませんか。
    最高裁はこの筆跡を根拠に特別抗告を棄却したらしいですが、ごもっともな判断と思いました。

    石川氏は、うまく利用された立場だったのではないでしょうか。

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