狭山事件: 『現地からの報告』 その2

『狭山事件・現地からの報告』 たいまつ社

からの報告』本の内容に関しての続きです。

「同級生のひとり」による、以下のような証言が紹介されています。

当日、()さんは一番先に教室を出て帰って行ったように思う。私たちはまだみんな教室に残っていて、二、三のグループにかたまっておしゃべりをしていたような気がする。(被害者)さんが教室を出て、自転車置場から自転車をころがしてきて、教室の窓の外を通った時、窓越しに誰かと話をしていた。その人が「もう帰っちゃうの」と聞いたら、(被害者)さんが「うん、もう帰るのよ」と答えていたのを、今でも憶えている。

ごめんなさい。本件に関していろいろ考え始めたら考えがまとまらなくなってしまったので、今回のエントリはとりあえず記事の紹介だけにしておきます。論考はまた改めて。以下に、考えがまとまらなくなった理由だけ簡単に書いておきます。

  1. 上記の証言のうち、「自転車をころがしてきて」云々というのは、被害者が3時23分に教室を出て行ったという同級生(NTさん)証言と似ている
  2. こちらのエントリで引用した、旧校舎の見取図と写真における、自転車置き場と教室の位置関係。自転車をころがしてきたのが教室から見えていたとすると正門は見取図の右下の方にあり、別科1年生は1年生教室を使用していたと考えるのが自然だが、そうすると写真の方に使丁室や宿直衛生室が写っていないのがおかしい
  3. 「もう帰るのよ」に関しては、埼玉新聞が報じた「H・R(引用注、ホームルーム)休み、帰宅急いで」とも呼応している

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One thought on “狭山事件: 『現地からの報告』 その2”

  1. 被害者の下校時刻については、「2時35分の授業終了後すぐ」という証言と「3時23分」という確実な証言があって、これは事件を巡る大きな謎の一つとなっていました。亀井トム・野間宏氏らは、「被害者は授業終了後一旦学校を出て『第二ガード』に向かい、その後また学校に戻って3時23分に再び下校、最終的に『第一ガード』に向かったのではないか」との説(伊吹も同説)を唱えていますが、この証言はそれを裏付けるものといえます。
    被害者は同級生に「もう帰っちゃうの」と問い掛けられて「うん、もう帰るのよ」と答えていますが、授業終了から50分近く経った「3時23分」に初めて学校を出たのならば、このような会話が交わされるはずはありません。この件は管理人さんが引用されている埼玉新聞の「H・R(引用注、ホームルーム)休み、帰宅急いで」のほか、入間川分校椙田校長の「今後欠席・早退などの際は、厳しくチェックしなければ・・」旨のコメントとも符合します。

    「自転車をころがして・・・」という表現が「3時23分」証言を行った同級生NTさんと同様である点は確かに気に掛かりますが、「ころがして」が当時彼女たちの間での慣用句になっていた可能性もあるかと思います。

    「自転車置き場と教室の位置関係」に関してですが、この件については以前「風来坊」さんが「入間川分校について」のコメントで出されていた下記の説を支持します。

    「別科1年生の使っていた教室についてですが、三年教室または四年教室を使っていた可能性の方が高いと思います。
    というのは、これらの教室には洋裁室、和裁室、割烹室、女子便所が隣接していて、別科の生徒が使うのに都合がよいような配置がなされているように見えるからです。
    また一年教室、二年教室のあたりは敷地の北東方向だと思いますので、どちらかと言うと外部から来た人の目につきやすい位置にあります。それよりは職員室の前を通り過ぎた先にある左側の方の教室に、女子しかいない別科生の教室を配置する方が自然なように思うのです。
    また昭和29年の時点で本科の1年生が63人、2年生が58人もいてそれぞれ20坪の教室に詰め込まれていますが、3年生は37人、4年生は47人でそれぞれに17.5坪の教室があてられています。
    別科は1年生が16人、2年生が33人だけですので、一年教室、二年教室よりは三年教室、四年教室の方が、たとえば冬期の暖房の無駄が少ないですし、少人数の生徒が授業に集中しやすい大きさと言う点でも向いているような気がします」

    定時制1年教室=別科1年教室であったとは限りません。定時制が「4年制」、別科が「2年制」で各1クラスしかなかったことを考えれば、上記理由からも「三年・四年教室を使用していた」とみる方が遥かに合理的です。
    校舎平面図をみると、平屋であるにもかかわらず「四年教室」の前あたりに「渡り廊下」があり、その隣りに玄関がありますから、この付近に自転車置き場から正門へ通じる通路が設けられていたことも考えられるかと思います(もしその通りとすれば、被害者はそこから正門へ向かおうとした際、教室の窓から呼び掛けられた、ということになるでしょう)。

    なお、『東京タイムズ』記事によれば、OG氏は事件当日「午後3時頃同僚に『雨が降りそうだから早く帰らねば・・・』と自転車で会社を出た。途中、新居に立ち寄るのを近所の人が見ている。新居をいつ出たのかまだわかっていない」となっています。野間宏氏の『狭山事件』に出てくるOG氏近所の住人・OS氏の「3時頃に新居の前を通りかかった際にOG氏に声を掛けられた」との証言とも一致しますし、OG氏が3時前後に一旦新居に寄り、また会社に戻って、「3時50分頃」に退社しているのはほぼ確実なのではないかと思います。このOG氏が被害者の下校後と近似する行動を取っていることについては、事件との関連で考えるほかないような気がします。

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