都井睦雄の祖父母の墓です。
睦雄の墓である丸石の写真で、一番奥に写っている墓になります。
(祖父)
大正七年七月十八日亡
都井○○○
行年六十一才
(祖母)
妻 ○○
気づくことが2つあります。
- 祖母の墓碑には名前しかなく、死亡日も行年も入っていません。
- 祖父も大正7年に亡くなっているようです。つまり、都井家は大正7年から8年の2年間で、睦雄の祖父と両親の3人を相次いで失ったことになります。
この2点は、個人的にかなり衝撃的でした。
おばやんの死去した日や行年が入っていないのは、おそらく事件関係者(犯人である睦雄の祖母)であることがあまりにも明確になってしまうからでしょう。
筑波本によるとおばやんの生年月日は元治元年(1864年)12月27日とのことで、祖父が亡くなった大正7年には54歳、津山事件が起きた=おばやんが亡くなった昭和13年には74歳でした。祖父とおばやんの年齢差は7歳で、前回論じた(墓石から読み取れる)睦雄の両親の年齢差と同じであり、この点からもやはり両親の行年や生年月日は墓石に書かれた日付を基準にするのが妥当ではないかと思われます。
おばやんが亡くなった時点で74歳であったことで思い起こされるのが、都井睦雄一家が住んでいた貝尾の家に関連して、津山事件の63年前に起きた事件です。以下、筑波本からの引用です。
本件の被害の一人である平岩トラの姑寺井チヨ(当八十年)の語るところによれば、この家は元同女の住宅であったが、ここに居住していたとき当時(原注、昭和十三年より六十三年前)チヨの先夫寺井忠次郎(引用注、当時22歳)が同村大字楢井の藤木徳蔵の妻たえと密通し、その現場を本夫徳蔵に発見せられて腹を立て、いったん自宅に引き返して日本刀を持って徳蔵方に乗り込み、たえを殺害して無理心中を図ろうとしたが、たえを斬ることができず、徳蔵に斬りつけたうえ切腹自殺したことがある
この事件も書籍やWeb上での津山事件関係の記述でよく紹介されていますが、よく考えるとムチャクチャな話です。63年前に寺井チヨさんは17歳であり、そのような新妻をもらったばかりの夫(22歳)が人妻と浮気してその現場を発見され、逆ギレ(普通に考えれば、この話でキレなくてはならないのは、妻の浮気現場を発見した藤木徳蔵の方でしょう)して相手の夫に斬りつけた上に自殺したという、なんだかよくわからない状況になっています。
そして、おばやんは上記の事件当時11歳であり、まだ倉見の都井家に嫁入りする前で、貝尾に在住していたと思われます。また、おばやんは寺井家の出身ですので、このような修羅場があったことも当然知っていたでしょう。そのような因縁がある家を購入したということは、貝尾が小さな集落で他に空き家がなかったこともあるでしょうが、因縁の故に安く購入できたということではないでしょうか。その点からも、都井家は経済的に余裕があったわけではなかったと推測されます。
また、上記の事件(明治8年・1875年頃)があってから、睦雄一家がその家を購入して貝尾に移り住む(大正11年・1922年頃)までの47年間、この家がどうなっていたのか、誰かが住んでいたのか、それとも事件の後は放置されていたのか、も興味がわくところです。常識的に考えると、集落のど真ん中にある家なので、誰かしらが住んでいたのではないかと思われますが。
長くなりましたので続きは次回に。
同じ家屋で二回も惨劇が‥ 家の作りも人を狂わす何かがあったのでしょうね。
悲しい事件を見聞きする度、関係者らの住居と食生活を知りたくなります。