テレビ朝日のニュースステーションで、足利事件の最高裁上告棄却決定が出された際の裁判長・亀山継夫氏のインタビューを見ました。見た瞬間、そのあまりのレベルの低さに笑うしかない状況だったのですが、よく考えるとこのインタビューには現代日本における司法の問題点、特に、以前も問題にした「なぜ冤罪は生み出されるのか」がかなりわかりやすく現れていると思います。なので、予定を変更してこれからしばらくこの問題について論じてみたいと思います。下山事件関係の続きは少々お待ちください。
Tag Archives: 冤罪
狭山事件: 事実調べ実現か
埼玉新聞9月10日付記事で、東京高裁の門野博裁判長、検察、弁護団による協議が行われる(行われた?)とのことです。事実調べ、あるいは検察が持っているという膨大な証拠の開示に向けて、一歩前進する可能性があると思われます。
まだまだ予断は許されませんが、しかし最近の足利事件などの流れを見ても、期待はできると思います。
狭山事件: 三題噺・放置駐車取締りと冤罪と児童ポルノ法
私(本ブログ管理人)は普段、東京都内で原付バイクに乗っています。
2006年から違法駐車取締りの民間委託が始まりました。制度ができた直後、違法駐車取締のおじさんたち(通称緑のおじさん)が一番必死に取り締まっていたのが何かというと、実は原付バイクの違法駐車でした。
以前は、原付バイクの違法駐車はかなり大目にみられていました。特に、車通りがほとんどない、事実上自動車は通れないような私道や細い道については、警察の人手不足もあるのでしょうがほとんど取締りを受けませんでした。ところが、緑のおじさんたちはそういった裏通りの原付バイクに躍起になってシールを貼り付けて回っていました。
その他: 冤罪は誰が作るのか その5
今回は、まだ一般的には冤罪としての認知率が低いであろう事件を採り上げてみます。いわゆる「[[筋弛緩剤点滴事件]]」「北陵クリニック事件」と呼ばれている事件です。
これまでとりあげてきた狭山・下山・津山事件と関係ない話が続いてすいません。
私(本ブログ管理人)は、客観的な証拠から考えてこの事件は99%冤罪だと考えています。その理由は、「不能犯である」という一言に尽きます。現在判決で認定されている「犯行方法」は、マスキュラックスという筋弛緩剤を点滴に混入したというものですが、マスキュラックスを点滴に混入しても、殺人はおろか筋弛緩の効果すら得られないのです。
狭山事件: 冤罪は誰が作るのか その4
この日本国において、冤罪が作られるパターンは以下の通りです。
刑札 警察と検察が犯人像を捏造してマスコミにリーク
↓
マスゴミ マスコミが警察発表を無批判に垂れ流し
+自分たちでもあることないこと「取材」して追加
↓
「こいつが犯人に違いない」という「世論」の醸成
↓
「世論」に迎合した裁判所の判決
要するに、「冤罪は誰が作るのか」という問いに対する答えは、主演:刑札と検察、助演:マスコミと裁判所ということになります。このブログで再三とりあげている狭山事件もまさにこのパターンでした。
その他: 冤罪は誰が作るのか その2
次に、読売新聞です。
- “ミクロの捜査”1年半
- ロリコン趣味の45歳
- この「週末の隠れ家」には、少女を扱ったアダルトビデオやポルノ雑誌があるといい、菅家容疑者の少女趣味を満たすアジトとなったらしい
しかし、この「ロリコン趣味」「少女趣味を満たすアジト」というのは、根拠の全くない捏造報道でした。
翌日の3日付で、菅家さんが借りていた家には
雑誌類を含め、ロリコン趣味を思わせる内容のものはなかった
という記事が小さく報じられています。しかし、前日の2日付で「ロリコン趣味」「少女趣味を満たすアジト」などという偏見に充ち満ちた捏造を報道したことについては訂正すら掲載されていません。
逆に、3日付記事の見出しは
自宅からビデオなど押収
であり、普通の読者であれば「ああ、今度逮捕された男はロリコンおやじで、自宅からロリビデオも押収されたんだ」という印象を受けるでしょう。
ちなみに、上の新聞記事には、今回ブログ炎上した当時の県警刑事部長(捜査本部長)さんも登場しています
今回の件を受けて、「だから世間知らずの裁判官は…」とか「裁判員制度なら違ったかもしれない」という意見もあるようです。しかし、断言しても構いませんが、裁判員制度があったとしてもまず間違いなく菅家さんは有罪(冤罪)になったと思います。
こういうセンセーショナルな事件が起きた時に警察の発表を無批判・無検証で、時には誇張や捏造まで交えて報道するマスコミと、そのマスコミによって誘導された得体の知れない「世論」こそが、冤罪を生み出す原動力であるからです。
映画「黒い潮」にあった言葉が、今こそ胸にしみます。
そこには無責任な、興味本位の記事だけが、大きくあるいは小さく並んでいた。そしてその文字は、真実とは遙かに遠い憶測の羅列であった。(中略)それは、数知れぬ目が形成している、真実とは微塵も関係のない、そのくせ真実を押し包み、押し流してしまう、厚顔なドス黒い潮(うしお)である。
「冤罪は誰が作るのか」という問いのまず第一の答えが警察・検察であり、当時の捜査担当者がまず最初に糾弾されなくてはならないことは言うまでもありません。しかし、警察・検察にいいように操縦されて世論を思い通りに誘導するマスコミという存在なくして、警察・検察の犯罪は成功しません。そして、マスコミが全く反省しないのは、今回の足利事件の報道で、自分たちの罪を無視して裁判所・警察を非難する記事ばかりを掲載していることからも明らかでしょう。
その他: 冤罪は誰が作るのか その1
前回のエントリにて、菅家さんの冤罪を作る、少なくとも片棒を担いだのはマスコミであることを指摘しました。今日はその確認です。
上の朝日新聞では、DNA鑑定を無条件で持ち上げています。
- スゴ腕 DNA鑑定
- 100万人から1人絞り込む能力
警察発表を鵜呑みにした検証全くなしのトバシ記事です。それでもここまで断言されてしまうと、見出しだけ見た人は「DNA鑑定ってすごいんだ」「DNA鑑定で100万分の1の確率で本人と判定されたんだから犯人に間違いない」と思うでしょう。
細かい説明は抜きにしますが、警察側の発表でも、当時使っていたDNA鑑定方法による菅家さんと同じ型のDNA型の出現比率は0.83%と、ほとんど1%=100人に1人のオーダーでしか絞り込みができないものでした。「100万人に1人」と「100人に1人」ではえらい違いです。当時17万人の人口があった足利市で、100万人に1人であればまず間違いなくそれだけで犯人ですが、100人に1人では同じDNA型の人間が市内だけで数百人いることになるわけで、それだけでは犯人とは特定できないことになります。しかも、最終的にその菅家さんのDNA型そのものが間違っていたわけですから、まさに何をか言わんや、です。
そもそも、記事本文では
血液鑑定と併用すれば、百万人の中から一人を絞り込むことも可能とされ
と書かれており、この時点で記者としても「100万人に1人」というのは単なる将来の可能性であったこと、しかもDNA鑑定単体ではなく、血液鑑定と併用した場合の数値であることを明らかに認識しています。にもかかわらず見出しでは既に確立された技術のように断言し、ミスリードする。この記事を書いた記者は、菅家さんの冤罪の何%かに荷担した責任を感じたことはあるでしょうか?