「下山事件自殺説紹介ブログ」さんの方で、掲題論文の話題が再度採り上げられています。
先日、別件で行った図書館に「日本医事新報」の昭和32年版があったので、古田論文が存在するかどうか確認してみました。しかし、上記の自殺説紹介ブログエントリで指摘されているとおり、昭和32年2月にも7月にも、矢田喜美雄氏が『謀殺 下山事件』で誇らしげに引用するような古田氏の論文(詳細は注を参照してください)は存在していませんでした。
念のため書いておくと、私が当該雑誌を確認したのは岡山大学図書館鹿田分館(岡山大学医学部内)です。当該図書館に収蔵されていたのは「日本医事新報」の3ヶ月合冊版で、3ヶ月ごとに目次が作成されていました。その目次と、2月・7月分(週刊なので何冊分か)の本文をざっと確認しましたが、古田氏が著者としてクレジットされている文章は見つかりませんでした。
「自殺説紹介ブログ」さんの以前のエントリへのコメントにも書いたように、私個人はこの「古田論文」の話は矢田氏のデッチアゲであろうと考えています。昭和32年の「日本医事新報」を出典にあげているのも、国会図書館で欠号になっているためにデッチアゲがばれにくいと判断したからでしょう。
柴田氏がどこまでこの件の裏付け調査を行ったのか不明です。しかし、もし古田氏の論文の実在を確認した上で当該文章を書かれたのであれば、是非とも正確な出典をご呈示いただきたいと思います。そのような出典のご呈示をいただき、古田論文の実在が確認された場合には、「デッチアゲ」と呼称したことを含めてお詫びして訂正させていただきたいと思います。
(注)古田論文について詳しくは自殺説紹介ブログさんのこのエントリを参照してください。要するに、下山事件で機関車にゼリー状の血痕が付着していたことを根拠に生体れき断説を唱えた名古屋大学の小宮教授について、小宮教授の後に名古屋大学医学部法医学教室教授になった古田莞爾氏が
昭和三十二年二月号の「日本医事新報」には下山事件のゼリー状血痕についてふれ、総裁が生体、死体(列車に轢かれる三時間以内に殺されていた場合)のいずれで轢かれても、血液が固まったものが発見されてもおかしいことはない。つまり下山事件の自、他殺問題は、このゼリー状血痕を証拠にして議論するのは誤りであることを報告した。
と激しく批判したと、矢田喜美雄氏が『謀殺 下山事件』で引用している論文です。矢田氏によると、古田氏は
私たちが小宮先生の追跡研究をしているうちに小宮先生は死亡した。いま考えると、先生は学者がしてはいけない政治への介入を自ら犯してしまったように思う。
とも語ったとのことです(笑)。