「文春秋谷鑑定」で最もわかりやすい疑問点が、「蒸気機関車であるD51の下面にはどれほどの油が存在するか?」 という点です。
「文春秋谷鑑定」では、「車輛底部のあらゆる個所を拭いて得た油量」が「4.5cc」と傍点付きで強調されて明記されています。この「4.5cc」という数値は、左上でも「轢断車でつき得る車輛油はD51-651の車底から採取した量4.5ccで判る通り、すこぶる微量である」と再度強調されていることから、ミスプリや勘違いではなく、この「文春秋谷鑑定」の著者(前回書いたようにこの「文春秋谷鑑定」自体がかなり怪しいので、あえて「秋谷教授」と書きません)が本当に4.5ccと考えていたことがわかります。
しかし、蒸気機関車と言えば、上の写真を見ていただいてもわかるようにバカでかい機械の塊です。工作機械の精度も低い当時、このバカでかい機械を動かすためには膨大な量の潤滑油が必要であることは常識で考えてわかることで、それが下面にしみ出している量がたったの4.5ccと言われれば「あれ?」と思わざるを得ません。
ちなみに、「4.5cc」と言われて実感がわかない方のために。料理用の計量スプーンの真ん中の大きさのやつ、「小さじ1杯」がちょうど5ccです。4.5ccといえばそれより少ないわけで、いかに少ないかわかるのではないでしょうか。
「小さじ1杯」=5cc。隣のiPodと比べるといかに少量かわかると思います。
上の写真は最初サラダ油で撮影しようとしたのですが、色が薄くて写真に写らないほどだったのでゴマ油にしてみました。余談はさておき、D51の「車輛底部のあらゆる個所を拭いて得た油量」がこれだけって、信じられますか?
この問題は、1976年に出版された佐藤一『下山事件全研究 (1976年)』で既に指摘されています。ところが、他殺論の書籍、例えば『夢追い人よ―斎藤茂男取材ノート』(斎藤茂男)では、下記のような形でこの油の量をもって「下山油は機関車の油ではない」証拠の一つとしています。
教授がサラシの布をもって下山氏を轢断したのと同型のD51機関車と貨車の下にもぐって、くまなく油をふきとってみたが、わずか数グラムしか検出できず、これに対して下山氏の衣類に付着していた油は163.8グラム。(中略)これは明らかに轢断現場で付着したものではない
また、『下山事件最後の証言 完全版 (祥伝社文庫 し 8-3)』(柴田哲孝)でも、
だが機関車には、これほど大量の油は使用されていない。実際に秋谷教授は同型のD51機関車や貨車の下に潜り込んで油をぬぐってみたが、数グラムしか検出できなかった
として、「油の量だけで考えても下山油は機関車の油ではありえない」という文脈で記述がなされています。『下山事件全研究』は『下山事件 最後の証言』の参考文献にも挙げられており、斎藤氏や柴田氏はまず間違いなくこの批判を知っているはずであるにもかかわらずそれを提示しないのは、読者に対して不誠実なのではないかという点だけ指摘しておきます。