かなり時間がかかりましたが、ようやくアマゾンにも登場しました。
再版になった場合でもかなり手が入ると思われますので、今のうちに是非。
3月14日追記:と思ったらあっという間に在庫なしになっちゃいました。売り切れかな?
3月15日追記:出品しているのは今のところ1店舗だけですが、アマゾンの中古市場がえらい高騰しているようです。個人的には本の内容からすればこの価格でも高くはないと思います。実際、私は甲斐本をこのくらいの値段で買いましたから(笑)。しかし、伊吹氏ご本人の言葉でも再版を考えているという話がありましたので、明日中に読まないと死んじゃうという方以外は再版を待った方がいいかもしれません。ただし、同じくご本人より再版になる場合には仮名化などかなり手を入れたいというご意向もあるようなので、初版がほしい場合には今のうちに店頭在庫を探すか、多少高くても早めに古本市場をあさった方がいいかもしれません。
管理人様へ
ご紹介いただいた「狭山事件 46年目の現場と証言」を購入し、一通り読みました。
出版社の直販では、注文して数日で届きましたし、定価の8掛けのようで、ありがたかったです。
内容ですが、これまで読んだ記憶のない、関係者の方々の生のインタビューが含まれていて、著作者の方の人徳なのでしょうか、興味深い貴重な証言が掲載されていて、著者の方の取材能力に敬意を抱きました。
著者にお聞きしたいのは、以下の点です。
長兄以外が犯人であるとしますと、事件発生当日、自動車で長兄が帰宅した直後に、①「誰かが」、「いつもの場所に」、「被害者の自転車」を置き、②被害者宅のガラス戸に「脅迫状」をはさみ込んだ、ことになります。
①と②は、長兄の帰宅後の行動に、「まるで密着」するかのような「時間的接着性・接近性」があります。
これは、犯人が、被害者の自転車に乗って、被害者宅に着いたところ、たまたま、長兄が自動車で帰宅したところを目にして、その行動の直後に、「自転車」を納屋に返し、脅迫状をガラス戸にはさみ込んだのでしょうか。それとも、最初から、長兄に嫌疑をかけようとして(陥れようとして?)、犯人は、すでに被害者宅内か付近にひそんでいて、長兄の帰宅を待ち、長兄が自動車を降りて、自宅に入ったのを見てから、自転車を納屋に置き、脅迫状をガラス戸に入れたのでしょうか。
上記のいずれであっても、私が今でも驚がくしているのは、犯人が長兄以外だとしますと、被害者の自転車に乗って、被害者の敷地内に入り、自転車を納屋に入れ、さらに、被害者宅の「ガラス戸」(上半分以上が、「素通し」のガラス)に近づいて、脅迫状をガラス戸に入れる「犯人のその様子」を想像すると、被害者は、なんて、豪胆・大胆な人物なのだろう、ということです。被害者宅は、被害者の家族その他が、うろうろしているおそれが考えられるにもかかわらず、被害者の自転車に乗って、被害者宅にやってきて、その内部には家族がすぐ近くにいる「ガラス戸」に近づき、脅迫状をはさみ込んでいるからです。
上記の点について、著者の方は、どのような思いをお持ちなのでしょうか。
上記のコメントにつきまして、
≫被害者は、なんて、豪胆・大胆な人物なのだろう、
は、「犯人は、なんて、~」の誤記でした。
失礼いたしました。
本件のコメントにつきまして、どういうわけかシステムがスパムに振り分けてしまっていたようで、気がつくのが遅れました。お詫び申し上げます。
ご指摘の点につきまして、私個人としては細田証言を重視して、事件の発覚は公式に言われている7時30分より早かったと考えています。それに伴って、脅迫状の発見も公式記録通りではなく、刑札と家族の間で捏造されたものだろうとも考えています。その考えに立つと、ご質問にあるような公式の脅迫状発見の経緯が不自然であるのはある意味で「当然」の帰結とも言えます。
それと、被害者宅のガラス戸は、下から3枚目が素通しですがあとは曇りガラスです。写真に写っているのは被害者の父親ですが、その胸のあたりまでは曇りガラスだったことがご覧いただけると思います。
ご質問につきまして、著者の伊吹さんにもご意見を伺ってみますが、ご多忙のようでもありちょっとお時間かかるかもしれません。ご了承ください。
禅 公案 様
この度は拙書を早々にご購読頂き、ありがとうございました。
ご質問の件に関しまして、簡単ではありますがコメントさせて頂きたいと思います。
禅さんは「長兄の帰宅後の行動に、『まるで密着』するかのような『時間的接着性・接近性』があります」とお書きになっていますが、まさしくその通りと思います。
犯人は佐野屋でも車を使わず、唯一警官の配置されていない畑から現れて、垣根の内側の警察官の数まで言い当てています。警察の行動も被害者家族の行動も、実行犯からは最初から最後まで丸見えだった、という感じです。これはやはり、実行犯が付近に終日いた(おそらくは居住していた)人間であったことを示しているものといえるのではないでしょうか?
ただ、「長兄を陥れようとして自転車を納屋に置いた」との説は、少し考え過ぎと思います。自転車が納屋にあったからと言って、それが即長兄=犯人ということにはなりませんし・・・。確かに自転車が納屋にあったことを根拠の1つとして「長兄犯人説」を唱える人も多いのですが、私は長兄が犯人であれば逆に犯行現場から自転車など持ち帰って来ないと思います。それに、父の栄作さんは、事件翌日に警察の調べに対し次のようにも供述しているのです。
「・・・私が夜に自動車の音がしたので、表入口の硝子戸を開けて、せがれの方を見ていると、せがれが車を物置に入れて、自宅に這入って、せがれが障子を閉めましたので、その時は物置に娘の自転車も入口に脅迫状もなかった訳でありますが、健治が帰って来て急いで食事をしている間に相手は自転車と脅迫状を届けたことになり、その間十分位の時間でありますから、私としては健治が庭先に車で帰って来た時賊はおそらく私方の屋敷内にいて様子を見ていたものと考えられます」(昭和38年5月2日・警察官への供述調書)
ここで注目すべきは、健治氏が戻ってきて納屋に車を入れ、母屋に入るまでの行動を父・栄作さん終始観察し続けていることです。この証言が真実であるとすれば、少なくても健治氏が脅迫状および自転車を届けた「実行犯」である可能性はゼロ、ということになります。
この父親に事件翌日の段階からウソを言う必要があったとは思えません。もし健治氏が自転車をおろしている姿を目撃していたとすれば、普通「どこにあったのか」位は聞くでしょうし、それにまさか最初から「長男が犯人」などと考えはしないはずですから、警察にもそのことを話したのではないでしょうか?ですから、「(健治氏が戻って来た時に)賊はおそらく私方の屋敷内にいて様子を見ていたものと考えられます」との栄作さんの推理もおそらくは正しかったと思います。
私は脅迫状と自転車を届けた人間は、I養豚場の従業員であったと考えています(OGである可能性も若干ありますが)。I養豚場の従業員たちは、普段から周辺の家で盗みなどを続けていました。ですから、近辺の家の造りも熟知していたはずですし、こっそり他人の家に入り込むことなども割合簡単に出来たのではないでしょうか?いずれにしても、普通では考えられないほどに大胆な犯行であったことは確かです。そして、同時にこのあたりの「有り得なさ」が事件解決を困難にする要素の1つになった、ということも言えるのではないかと思います。
管理人様 伊吹隼人様
コメントへのご返信をいただきまして、ありがとうございます。
伊吹さんが書かれていますが、
≫同時にこのあたりの「有り得なさ」が事件解決を困難にする要素の1つになった、ということも言えるのではないかと思います。
「有り得なさ」という言葉に、全く同感です。
この狭山事件に強く引き込まれてしまうのは、どうしても「ふに落ちない」「納得できない」「整合性がとれない」「不可解」といった、「不協和音」が惹起する吸引力にあるような気がします。
犯人は、なぜ、自転車を「納屋」に入れたのでしょうか。その必然性はあるのか?
長兄が自動車で帰宅してくる様子と、被害者宅のどこかに潜んで窺い、長兄が家に入る、その直後に、「脅迫状」をガラス戸に差し込むことまでは、よしとしましょう。人間にもいろんなタイプがいて、そのような大胆な行動に出る者もいるでしょうからです。それでは、なぜ、自転車を納屋に入れたのでしょうか。長兄は帰宅し、納屋に自動車を入れたのですから、その時、犯人は、当然、納屋以外の別の場所に、自転車とともに居たことになります。その場所から、いったん、自転車を納屋に入れてから、脅迫状をガラス戸に入れたことになりますが、誘拐事件が現実に発生していることを被害者の家族に知らせるためなら、脅迫状をガラス戸に差し込むだけで十分のはずで、自転車をわざわざ、納屋まで移動させる必要はなく、もともと居た場所に、自転車を置いたまま、納屋に行くことなく、ストレートに、ガラス戸に近づき、脅迫状を差し込めばよかったはずです。
それなのに、なぜ、まずは、納屋に自転車を入れてから(しかも、普段、被害者が駐輪している場所に!)脅迫状をはさみこみにいったのでしょうか。「そういう人物もいるよ。人間の行動は不可解だから、合理的に行動するとは限らない」といってしまえば、それまでですが、どうしても、ふに落ちず、いつまでたっても、この「なぜ」を解きたいのです。
伊吹様
禅公案様
コメントありがとうございます。
一つだけ、
この部分ですが、伊吹さんの本によると
とのことですので、必ずしも「普段、被害者が駐輪している場所」ではなかったということになるかと思います。
事件後、被害者の自転車が母屋に置かれている写真もあり、被害者がいつも納屋に自転車を置いていたとか、犯人がその場所を知っていてそこに置いたというのは、少なくとも確定的な話ではないと思います。
管理人様
ご指摘いただきまして、ありがとうございます。
事実に関する裏付け(出典資料、根拠資料等)を確かめもせず、コメントしてしまったことを反省しています。わたしのように、過去の記憶や思いこんでいることに基づき、一定の情報を発信してしまいますと、その発信が一人歩きして、いつのまにか、事実関係が歪曲されてしまうおそれがあります。自戒いたします。
また、わたしのコメント文章が、書きなぐりで乱れておりましたものを整えていただきまして、ありがとうございました。
この点については、従来の資料のほとんどで「自転車は、納屋の中の被害者が普段置いていた場所に置かれていた」とされていて、一部ではそれが長兄犯人説の証拠の一つにもされていましたので、禅公案さんが謝ったり気にされることはないと思いますよ。
>誘拐事件が現実に発生していることを被害者の家族に知らせるためなら、脅迫状をガラス戸に差し込む>だけで十分のはずで、自転車をわざわざ、納屋まで移動させる必要はなく、もともと居た場所に、自転車>を置いたまま、納屋に行くことなく、ストレートに、ガラス戸に近づき、脅迫状を差し込めばよかったはずで>す。
これはまったくその通りだと思います。ただ、私などはこれを見ていると、何となく「心配する被害者家族たちをあざ笑うかのような行動」という感じも受けますね。考え過ぎかもしれませんが、犯人がこの行動を通じて「俺はお前らの近くにいるぞ。お前らのやってることなんて全部丸見えだぞ」というメッセージを出していたような気もします。
当時I養豚場の人たちは、堀兼や上赤坂の人々から疎まれ、蔑視されていましたから、逆にそこ従業員たちからすれば、周辺の豪農たちなどに対しては嫉妬のようなものや面白くない感情もあったのではないでしょうか?“計画犯”が豚舎の従業員に犯行を依頼したことについては、私はそうした感情を利用しようとした面もあったのではないか、と考えています。つまりは、豚舎に勤務していた犯人にとっては、この犯行は“日頃のうっぷん晴らし”も兼ねていたのではないか、ということなのですが・・・(もちろん、これはあくまでも実行犯が豚舎の人間、と仮定した場合の話です)。
いずれにしても、犯行現場から被害者自宅まで自転車が移動していることだけは、紛れも無い事実であるわけですが、しかし考えてみるとこれだけでもかなり異常な出来事です。自転車を犯行現場に置いたままにできなかったのは当然としても、周辺にはやげん坂等雑木林もいくらでもあるのですから普通の犯人ならそうした場所に放り捨てていくでしょう。まあ、ただ単に犯人が超いい加減な人間で、「被害者宅まで乗っていく方が楽だ」と考えただけなのかもしれませんけどね・・・(笑)。なお、私はこの時犯人は自転車を被害者宅に置いて徒歩で豚舎へと戻った、と考えています。
最後にもう1つ。被害者が普段自転車を「家の中にしまっており」、納屋には「置くこともあった」だけ、というのは長兄が公判でもはっきり証言しています。「被害者の自転車がいつも駐める場所に置かれてあった」というのは、亀井本から広まった誤情報の1つです。
これは確かにそうですね。死体の埋め方や被害者の年齢と合わせて、「狭山事件は単純な身代金目的の誘拐(殺人)事件であり、犯人としては相手は誰でも良かった。被害者はたまたま通りすがりに巻き込まれただけ」という説への反証の一つになるかと思います。