前回のエントリへのコメントで、「狭山事件を推理する」サイト管理人さんより、さのヤに犯人が来たときにA先生もPTA会長と一緒に次姉に付き添っていたという話の出典をご教示いただきました。ありがとうございます。 確かに、上で引用したように、『狭山事件 無罪の新事実』の244ページに
(被害者)の中学の英語担任の(A先生)教諭の参加も大目に見たのもそういうわけである。
という記述がありました。
ところが、この記述の最後に示されている出典(公判調書第一審第一分冊263ページ、第一審第二回公判におけるPTA会長の供述)を確認したところ、A先生については触れられていません。
『無罪の新事実』の方にある記述で確認できるのは、「二日の朝六時すぎ~」以降の記述(元の公判調書では「朝の六時ちょっと前」になってますが)だけです。念のため、さのヤの主人を含めて第二回公判の他の供述も確認しましたが、やはりA先生が参加したという供述はないようです。
もしかすると、亀井トム・栗崎ゆたか両氏が独自の取材でA先生が参加していたという事実を掴んでいたのかもしれませんが、他の著書、特に、A先生に直接インタビューした内容を詳しく採り上げている野間宏氏がさのヤの夜の件について一切本人に聞いていないことから考えて、やはりA先生はさのヤには行かなかったのではないかと思います。『無罪の新事実』にある「(A先生の)参加」という記述は、PTA会長が刑札の協力要請を受けてすぐに独断で学校に行き、校長とA先生を含む数名の先生に捜査協力を申し入れてしまったことを指していると考えます。
ただし、PTA会長はどう考えてもPTA活動を通じてA先生を非常によく知っているはずであり、現に当日の朝学校で捜査協力を依頼した際にも会っています。その本人が来たのであればさすがにわかると思われます。裁判の供述(上に引用した部分の後の方)でも声に聞き覚えがなかったかどうか検察官に聞かれていますが、聞き覚えはないと回答しています。何かを隠しているというような受け答えでも(記録に残っている限り)ありません。そう考えると、少なくともさのヤに来たのはA先生ではない、ということは(次姉に付き添っていたのではないにしても)言えるのではないかと思います。
なるほど私のメモ書きが可成り昔に書いたものなので、書いた時点で間違っていたわけです。この場をお借りして訂正させていただきます。調べていただき感謝いたします。
そうなるとむしろ、PTA会長を通じて張り込みの状況などもある程度は把握出来たかも知れず、可能性としては単独犯であっても、佐野屋に出向く事(先生が真犯人だった事)もあり得ると言う事になります。
但しそれは「可能性」と言う事であって、その点で言えば他の人物、例えば長兄やOG、或いは他の先生達も含めて、同程度の可能性が考えられると思います。A先生については、特に本人が事件のごく初期から「第二ガードで被害者を見かけた」と言っていたので、この点ではむしろ、犯人だとしたら被害者が人待ち顔でそれらの場所に居たと言う事を言ってしまうのは、自ら墓穴を掘るようなものだとも思うのですが、如何でしょうか(この点はまた別の解釈も可能かも知れませんので、何か思いつく事があったらまた御教示下さい)。
コメントありがとうございます。ご指摘の点は私も気になっているところです。野間宏氏がIKさんの冤罪を証明する方向で取材していることを知りながら進んでインタビューに応じてもいるようですし、A先生犯人説にはやはりムリがあるのではないかと私も思います。
ただし、A先生の証言そのものについては、野球部の試合が当日あったのかなかったのかを含めて再度検証してみる必要があるかと思います。
>試合が当日あったのかなかったのかを含めて再度検証してみる必要
これは私もあると思っています。そもそも試合は何時からだったのか、A先生説には関係なく前々から疑問でしたし(現在でもはっきりしない、と言うのが現時点での結論ですが)それどころか試合(堀兼中の)は無かった可能性ももちろんあります。
また但し書きですが、甲斐本での「既に試合に負けていたから当日の試合は無かった」との記述を根拠とする事は、亀井本で「A先生は佐野屋にも同行した」と書いてあるから佐野屋へ行ったのだ、と言う事と同じ事になるので、ここでも、やはり過去の公刊書籍での裏の取れていない記述は一旦白紙に戻してかかる必要はありますね。
そう言った点も含め、A先生にお会いしたいのですが、現在の処所在不明、生死も不明です。
Mさんには、法廷証言があるが、Aさんにはないんですね。プロファイリング2のコメントで、法廷証言と書いてしまったのは訂正します。野間宏さんの取材に応えて、本として活字化され公けになった証言ということですね。取材での証言と法廷での証言があるので、ごっちゃになりますね。Aさんは出廷してないんですね。
5月2日Mさんが学校に来て事件の発生を告げ、学校は協力を約束し、Aさんは同行するわけです。他の先生も行ったというんですが、時間の経過の中で消えてしまっています。Aさんだけが消えなかったのは、Y枝さんの最終目撃者で、重要な存在だからでしょう。捜査本部はM宅に置かれており、そこには刑事たちが沢山おり、県警の幹部までいたわけです。Aさんは前日Y枝さんを目撃してるので、当然そこで、それを話したはずなんです。それは重要情報なので、メモがとられ後日正式に署で証言をとるだろうと思われます。ところがAさんは、署で供述してない。これはどういうことなのか?警察のド忘れとは思えない。なぜなら刑事は複数いたわけだし、幹部までいた。意図的に無視したんだろうか?そんなことはないでしょう。考えられるのは、AさんはY枝さんの目撃について、そこで何も話さなかったのではないのか、ということです。刑事たちも、そんな話を聞かなかったから供述をとらなかったのではないのか。そっちのほうが自然でしょう。
Aさんは、目撃を同僚に話したといわれる。しかし、警察には黙っていた。Mさんには話したともいわれるが、本当でしょうか?Mさんに話してれば、それは当然警察に伝わり、警察はAさんを呼んで、供述をとったんじゃないでしょうか。同僚には話して警察には話さない。同僚も不思議に思わなかったんだろうか。Aさんの目撃談は、マスコミにも伝わらず野間さんの本で、初めて公になるわけでしょう。刑事たちもびっくりしたんじゃないでしょうか。あの人はM宅では、何も語らなかったじゃないか、と。
Aさんが事件後、警察にY枝さんの目撃を届け出なかった理由。それは5月2日M宅に集まっていた刑事たちに、Y枝さんの目撃を語らなかったからでしょう。そこで何も語ってない人が、事件後、警察署に出向いて、私は5月1日にY枝さんを目撃しました、と言ったらどうなります。刑事たちから怪しまれ、厳しい尋問が当然はじまるでしょう。だから目撃を届け出ることは、できなかったのではないか。
Aさんが捜査本部のあるM宅において、刑事たちに、Y枝さんの目撃を語ったのに警察は意図的に、それを無視し、供述をとらなかったのではなく、Aさんが何も語らなかったから、警察は後日、署に呼んで供述をとらなかったとしか思えない。そして、そこで何も語らなかったからAさんは、OTさんのように後日、目撃を届けでることも出来なくなったのだと考えざるを得ないですね。
同僚には話したが、刑事には話さなかった。
Aさんが供述書をとられなかった理由はそれ以外ないのではないか。
まとめるとこうなります。Aさんは第二ガードにひとりでいった。しかし、同僚には野球部員と一緒だったと言った。だから野間の取材にも同じことを言わざるをえなくなった。そして5月2日刑事には何も語らなかった。だから供述書をとられることもなかった。
最初は偽りが露呈されることもなかった。しかし47たっても野球部員のなかで目撃者がひとりも現れないことによって、それが明瞭になってきた。