その他: 冤罪は誰が作るのか その3

今回の件でもう一つ気になるのは、今このタイミングでなぜ菅家さんの再審が認められたのか、ということです。

個人的には、裁判員制度に向けての世間の関心を高めるために故意にこのタイミングが選ばれたと思っています。あからさまなに再審が認められる→「世間知らずの裁判官だからだまされるんだ」→「一般市民の健康な常識をもってすれば、冤罪なんてなくなるはずだ」という「世論」の醸成という流れです。

ちなみに、この裁判員制度導入の意味合いも、要するに冤罪が発生した時に誰も責任を取らなくて済むシステムの導入、ということだと個人的には思います。

  • 裁判官: 難しい事件について、判決の最終責任を負わなくて済む=責任逃れが可能になる
  • 警察・検察: 結局は今までと同じで、マスコミを使って自分たちの思い通りに世論を方向付けることで、裁判員が参加しても思い通りに有罪に誘導することは可能と判断。ある意味で一般市民をだまして有罪に誘導する方が簡単という判断もある
  • 一般市民: 何となく参加できたような気分になれる(笑)

一応三方一両得に見えますが、一番得をするのは裁判官であることは明らかです。いずれにしても、警察・検察として上記のような自信があったからこそ裁判員制度が導入されたのでしょう。

その証拠に、一番一般市民が参加して裁かなければならない、政治家の汚職事件、政治家を含む有名人の名誉毀損事件、警察・検察による犯罪行為の裁判は見事に裁判員制度の対象から外されています。
ここ最近の名誉毀損事件(民事を含め)の流れはひどいもので、政治家・官僚等のスキャンダル報道防止の目的を十分に果たしつつあります。本来そこに市民の裁判員が参加することで裁判所の暴走を止めることができるはずですが、そうはなっていません。

足利事件に関する本はこちら

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です