その他: 山一證券崩壊に関する週刊新潮の記事について

週刊新潮 2007年4月26日号週刊新潮 2007年4月26日号

週刊新潮 2007年4月26日号 その2週刊新潮 2007年4月26日号

今回のエントリも事件とは関係ありません。ただし、経済事件という意味ではちょっと関係があります。

私(管理人)は以前、Wikipediaにいろいろな記事を投稿していました。最近はいわゆる「削除厨」とか「要出典厨」と呼ばれる方々のご活躍に嫌気がさしたので投稿をやめていますが。そのWikipediaの中で、私がほとんどの部分を書いた記事に山一證券があります。

だいぶ以前になりますが、そのWikipediaの山一證券の記事と非常に共通点が多い記事を週刊新潮で見かけたことがあります。[[野口悠紀雄]]氏による「戦時体制いまだ終わらず」という記事でした(週刊新潮2007年4月26日号、本日の画像)。「共通点が多い」というだけではどういうことかわかりにくいと思いますので、以下に比較表をあげておきます。比較対象にしたWikipediaの記事は、確実に当該の週刊新潮の記事より前の、2007年3月8日の版にしています。

野口悠紀雄氏 Wikipedia
24日。この日は月曜日だが、振替休日で休業日だった。午前6時からの臨時取締役会で自主廃業を決議、大蔵大臣に営業休止の申請を行なった。 1997年11月24日は月曜日だったが、振替休日で休業日だった。

午前6時から臨時取締役会が開かれ、自主廃業に向けた営業停止が正式に決議された。
午前11時30分、野澤社長が記者発表を行なった。野澤は下を向いて原稿を読むだけに終始し、記者からの「簿外債務と含み損は同じ意味か」という質問に「ちょっと私にはわかりません」と答えるなど、たびたびつまる場面が続いた。 午前11時30分から社長の野澤正平、会長の五月女正治、顧問弁護士の相澤光江が東京証券取引所で記者会見に臨んだ。野澤はずっと下を向いたまま原稿を読むだけに終始し、質疑応答に入っても記者からの「簿外債務と含み損は同じ意味か」という質問に「ちょっと私にはわかりません」としか答えられないなど、たびたびつまる場面が続いた。
自主廃業の方向で事務処理を進めたが、98年6月の株主総会で必要な株主数を確保できなかったため、破産申立てに方向転換し、99年6月に東京地方裁判所から破産宣告を受けた。 発表以降、自主廃業の方向で事務処理を進めたが、1998年6月の株主総会で解散決議に必要な株主数を確保できなかったことから自主廃業を断念せざるを得なくなった。そのため破産申立てをすることに方針を転換し、1999年6月2日に東京地方裁判所より破産宣告を受けた。
2000年3月、行平と三木に有罪の判決が下された。執行猶予付きの行平は判決を受け入れたが、実刑判決の三木は控訴し、控訴審では執行猶予となった。 2000年3月に、行平と三木に有罪の判決が下された。初審で執行猶予が付いた行平は判決を受け入れたが、実刑判決だった三木は控訴し、「行平のところですべて決まっていて、社長の自分には実権がなかった」という主張を行った。それが通って控訴審では執行猶予となっている。
破産宣告後の手続は債権者の多さなどのために長引いたが、05年1月の債権者集会をもって終了した。2月に破産手続終結登記が行なわれ、「株式会社」は消滅した。創業から107年後の終焉であった。日銀特融のうち約1111億円が返済不能となった。 破産宣告後の手続は、債権者の多さや、海外資産の整理に手間取ったために長引いたが、最終的に2005年1月26日の債権者集会をもって終了した。同年2月に破産手続終結登記が行われ、名実共に「山一證券株式会社」はこの世から消えた。小池国三による創業から107年あまりが経過しての終焉であった。最終的に、日銀特融のうち1,111億円が返済不能となった。

ちなみに、ご本人の野口悠紀雄氏には、「これだけ共通点が多いにもかかわらず、Wikipediaが出典元であることを示していないこと、さらに、Wikipediaの利用規約上で商用利用が禁じられているにもかかわらず、商業誌に掲載する記事にそのような記事を投稿したことに関してはどうお考えでしょうか?」という内容のメールをお送りしたことがあります。回答は、転載許可をいただいていないのでここに直接引用することは憚りますが、結局のところは「出典明示については、頻繁になると週刊誌にそぐわないのでよほど新奇性が認められるもの以外明示していない。また、本件についてこれ以上の話は弁護士を通してほしい」とのことでした。

この野口氏の記事が他の本ではなくWikipediaを参考にしていることが確信できる点に、日銀特融の返済不能残高があります。私がWikipediaの記事を書く際にも一番参考にした『滅びの遺伝子―山一證券興亡百年史 (文春文庫)』でも「1191億円」という表記になっていますし、他にこの金額になっている資料はそれほど多くないはずです。

最近、大学生がWikipediaを丸写しにしてレポートとして提出するということが問題になっています。現実問題としてWikipediaを参考にするなというのはムリでしょうが、原稿料をいただく(であろう)商業誌に掲載する記事はもう少し配慮をなさった方がよろしいのではないでしょうか。

本サイト自身、著作権的に偉そうなことは言えないのは重々承知しております。今回は珍しく引用される側に立たされた話としてご容赦ください。

ちなみに『滅びの遺伝子』は、崩壊当時(1997年当時)の話や昭和40年危機当時の話だけではなく、山一創業から説き起こして山一崩壊だけではなく山一の成長局面も描いている、現在容易に入手できる中では唯一の本ではないかと思います。また、山一崩壊の直接の原因だけでなく、その遠因となった事項(私の理解では、根本的にはエリート支配と社内異分子の排除)を詳細に描写した本で、私がWikipediaには書けなかったことも数多く書かれています。企業の成長と崩壊に興味がある方には是非ご一読をおすすめします。

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