下山事件: 時代背景 その1

に向けて本を書くため、下山事件関連の本を改めて読み直しています。

その中で、佐藤一氏の『「下山事件」謀略論の歴史―「原光景」的イメージから「動物化」した謀略論へ』を読んでいて、改めて当時のを考え直しました。

平成三部作では、下山事件が起こった昭和24年当時の時代背景を、おおむね以下のような趣旨で説明しています。《総選挙で共産党が躍進して「九月革命説」が叫ばれる騒然とした社会状況であったが、下山事件を初めとする「国鉄三大事件」によって左派躍進の流れが押しとどめられ、その後の55年体制~高度成長という流れにつながった。》Wikipediaの「下山事件」の「事件の時代背景と推理」の項目もその線で書かれています。

しかし、どうも実際にはそうではないようです。

佐藤氏が繰り返し書いていることは下記のとおりです。

  1. 下山事件の直前、1949年1月に実施された総選挙で、吉田茂率いる民自党は264議席という過半数を確保していた。また、共産党は4議席から35議席へと躍進したものの、社会党が143議席から48議席へと大幅に議席を減らしており、国民の左派に対する支持が高まっていたということはない。
  2. 国鉄の人員削減において、共産党は最初から(下山事件が発生する前から)大した抵抗もせず、むしろストライキを抑えることを主眼に動いていた。下山事件ならびに「国鉄三大事件」があったために共産党が支持を失って、抵抗が抑えられたという事実は存在しない。
  3. 下山事件の後、左派(共産党・社会党)の勢いは弱まってなどいない。むしろ勢力は拡大しており、1960年の安保闘争やその前後の学生運動でピークを迎えた。

上記の1.ならびに3.の確認として下記のようなグラフを作ってみました。
Giseki-Graph衆議院総選挙における議席分布の推移

確かに「保守」の議席は、下山事件直前の1949年1月に最大となり、その後は一貫して減っていっています。「保守」「中道」「革新」の分類は私(本ブログ管理人)が行いましたので、異論がある方もいらっしゃるかとは思いますが、大まかな流れとしては佐藤一さんの話を裏付けるものだと思います。

佐藤一さんによると、松川事件での逮捕者全員無罪や三鷹事件での1名以外全員無罪の判決により、これらの弁護を手がけた自由法曹団=共産党の株は上がり、むしろその勢いを高めることになったとのことです。共産党の勢いを削ぐ目的で国鉄総裁を暗殺できる全知全能のグループ(G2でもGSでも、キャノン機関でも、亜細亜産業でも)であれば、裁判所まで手を回して有罪まで持っていかなくては逆効果になることくらいは判っていたはずでしょう。

平成三部作の下山事件他殺説の議論の中では、この「時代背景」が事件の「動機」として重要な役割を果たしていることが多くなっています。しかし、そもそもそこから疑ってかかる必要がありそうです。


本ブログでとりあげている事件に関する同人誌等の通信販売を行っています。詳細はこちらをご参照ください。


   

3 thoughts on “下山事件: 時代背景 その1”

  1. 佐藤一さんの思い出
     佐藤さんの著作が取り上げられて嬉しく思っています。佐藤さんの「松本清張の陰謀」が刊行された際、私は佐藤さんにかなり長い手紙を書きました。
     大野達三の著作で、佐藤さんは相当激しく非難されています。「下山事件研究会」の専従だったのに、ある時、突然、松本や大野を「嘘つき」と罵倒し、そのまま挨拶もなく会から脱走。その後は権力と手を握り、松本や共産党攻撃に狂奔した・・・。こんな道を歩んだ人間を他には知らない。秋谷鑑定でないものを識者に見せて回り、「変だ」と感想を引き出し、秋谷鑑定に対して見当違いの攻撃をした・・・等等、大野の著作に書いてあることにあなたは反論しないのですか?ぜひ佐藤さんとしての主張があるなら教えて欲しいといった内容でした。
     その後、今回取り上げた著作「下山事件謀略論の歴史」のゲラ刷りのコピーの一部を送ってくださり、「新刊を出すつもりです。そこでお答えしたい」と手紙が添えられいました。その後、書き込みなどの入ったゲラ刷りのコピーを、何度かに分けて一冊分送っていただきました。のべ二年くらいにわたったと記憶しています。末尾のコピーが送られ、「これで完成です。今年中には出版の予定です」とメモが書かれていました。佐藤さんの訃報を新聞で読んだのはそれからまもなくのことでした。新聞のあまりにも小さな扱い。わざわざ一読者にコピーを送って下さった心遣いを思うと不覚にも涙が止まりませんでした。私は一時期、大野達三らの著作を読み、佐藤さんの著作は信用できないと考えていた時期もありました。最後の著作は、おそらくそうした考えを持つ人間への最後の力を振り絞った手紙だったのかと思っています。
    読むべきところの多い内容なのに、 あまり反響もないみたいで、本当に残念に思います。せめてこのコラムで紹介してくださればと心より思います。

  2. 遅くなりましたがコメントありがとうございます。そういうお話があったのですね。今更佐藤さんの著作を読んでいるといろいろ聞いてみたいことが出てきて、あと4年早くそう思っていれば、と悔やむことしきりです。

    特に、このエントリでも書いた当時の時代背景について、いろいろと目から鱗状態です。

  3. 管理人さんご無沙汰をしております。
    たまたまなのかも知れませんがドラマ「帝銀事件 大量殺人・獄中32年の死刑囚」でも日本橋三越&荒川区が出てきて或いは当時、三越がGHQ等に協力、下請けが荒川にいたのかともはと頭をよぎりました。
    余談ですが映画「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」は途中から下請け青年の青春と死みたいになってしまい消化不良の感がありました。

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