津山事件: 都井睦雄の遺書と筆跡

mutsuoisho
「津山事件報告書」より都井睦雄の遺書

本日の画像も本邦初公開だと思います。「」に掲載されている、都井睦雄の遺書です。

この画像は、残っている3通の遺書のうち、「書置」と表書きされて自宅に残された一番メインになる遺書です。
元の画像が粗くてそのままでは読み取ることがかなり難しいのですが、テキスト化された「」と見比べていただければ、この「」と一致していることがおわかりいただけると思います。

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『雄図海王丸』原稿(とされているもの)

これと『』の原稿とされているものの筆跡が同じであるかどうか、遺書の画像がボケボケ(私のコピーミスではなく、「津山事件報告書」にあった元画像の時点でボケてます)だし、私も筆跡の専門家ではありませんので確実なことは言えません。しかし、どうも筆跡は違うように見えます。

そう判断する理由はいくつかあります。

  1. 遺書の封筒の「書置」の「置」と、『雄図海王丸』の「置」という字。左下の部分の曲がり方が、遺書の方は鋭角に曲がっているのに対して海王丸の方は丸くなっている
  2. 最終画が右下の払いになる文字(「大」「未」「来」「東」など)で、海王丸の方は次の文字へ続けるために払いきらずに左へ曲がっている場合があるが、遺書ではそれがない
  3. それ以外にも、海王丸の原稿の文字は続け字や1文字の中の連続する画数の部分を続けて書いていることが多いが、遺書ではほとんどそういう書き方が見られない

筆跡以外に、異筆である状況証拠として下記のようなものがあります。

  1. 筑波昭さんが、海王丸の原稿が都井睦雄の筆跡でないことを半ば認めるようなことを書いている
  2. 遺書画像が『津山三十人殺し』のグラビアに収録されていない。どう考えても雄図海王丸より遺書の方が重要であるはずで、それを収録していないのは異筆であることがバレるのをおそれたためではないか

念のため、今回掲載した部分のテキストを書いておきます。「津山事件報告書」準拠なので、筑波本の記載と微妙に違っていますがご了承ください。

(封筒表書)書置

自分が此の度死するに望み(ママ)一筆書置ます。あゝ思へば小學校生時代は眞細目(ママ)な兒童として先生にも可愛がられた此の僕が現在の如き運命にならふとは、僕自身夢だに思はなかつたことである。
卒業當時は若人の誰もが持つ樂しき未來の希望に胸おどらせながら社會に出立つした僕が先づ突きあたつた障害は肋膜炎であつた。醫師は三ヶ月程にて病氣全快と言つたが、はかゞゝしくなく二年ほどぶらゞゝ養生をしたが、これが爲強固なりし僕の意志にも少しゆるみが來たのであつた。其の後一年程農事に勞働するうち

 

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