狭山事件: 「プロファイリングで解く重大事件」

「実話ナックルズ」2008年3月号で、狭山事件と帝銀事件のを苫米地英人氏がプロファイリングで解くという記事が掲載されました。この中で、特に、狭山事件に関して「苫米地氏は、いままで誰も提起しなかった驚愕の真犯人像を切り出した」というキャッチコピーがあります。

以下、ネタバレがありますのでまだ記事を見ていない方は見ないことをお勧めします。

この記事では、「小中高の担任の先生」「捜査に積極的に協力した先生」が真犯人ではないか、と指摘しています。

謎の多い事件でもあり、新しい真犯人像を提起することには意義があるでしょう。記事中で提示している根拠は下記の通りです。

  • 彼氏でも、やってしまったからといって、殺す必要はない。男女の仲が紛糾して、殺すしか選択肢がない、というのは道徳的な威厳を保つのが不可欠の学校の先生しかない。
  • はあきらかに教養がない人を装っている、ということは真犯人はよほど教養がある人物なのです。

この根拠、中でも動機に関しては、今まで(私が知る限り)誰も指摘しなかった内容で、「なぜNYさんは殺されなければならなかったのか」という点について一定の説得力を持っていると思います。ただし、事実認定に関してはいくつかの(かなり根本的な)誤認があり、また、最も重要な物理的可能性に関してもかなり疑問があります。次回からしばらくその点を確認していきたいと思います。

12 thoughts on “狭山事件: 「プロファイリングで解く重大事件」”

  1. プロファイリング5のほうのコメントで、待ち合わせのあとYさんとXが行った場所は、母校の学校だったんじゃないのかという、はなしをしました。あの頃のあの辺りといったら結局、雑木林と畑と民家ぐらいしかないわけです。民家というのは家族が一緒ですし、隣家に見られてもダメです。制服の少女が人気ない雑木林に、ぽつんといたりしたら目立ってしまって、脳に記憶されてしまいます。制服姿の少女が、よく通ったり居たりする場所。そこにいるのは当たり前で何の違和感もなく、言い訳も立つ場所。屋根があり、トマト料理を食べ、抱き合い、殺害が行われ、遺体を9時間にわたって仰向けにして置ける。それらの一連の行為を、誰にも見られず気づかれずに同時に行える場所。それが出来る場所と建物は、あの頃においては、メーデーの日の、もう誰もいない無人の学校以外にないのではないのか、というのが私の最終的な推定なわけです。学校は、許可がないと一般人は入れない聖域であると同時に、巨大な密室でもあるわけです。それじゃXは、というと、その学校にある各部屋や場所を、鍵を使って、開閉できる人間ということになります。それが、なぜ5月1日だったのかにつながってくる。つまりXは、その日夕暮れから夜の学校に居たとしても、何一つ不思議でなく言い訳の立つ人ということになります。それは、1963年5月1日の宿直の先生以外にないというのが答えであり、その人が事件のほんとうの人ということになります。残念ながらYさんは、自らの母校で生を絶たれたというのが私の推定であり、それこそYの悲劇というほかありません。

  2. 大変失礼な言い方とは思いますが、クメラさんの推理は限りなく妄想に近いものと思いました。

    >民家というのは家族が一緒ですし
    それゆえに私はOG新居(結婚前で同居人なし)を想定しています。OGとその新居が犯行グループに目を付けられたのもそれが理由だったと考えています。

    >トマト料理を食べ
    中学校内でトマト、ナス、ジャガイモ等を含んだ料理を食べることは不可能です。

    >抱き合い
    「抱き合った」わけではなく、強姦です。

    >遺体を9時間にわたって仰向けにしておける。
    中学校内に遺体を9時間放置するのは不可能です。駅近くの畑まで運搬することもできません。乗用車に対しては検問も行われています。

    >誰もいない無人の学校
    当日は体育大会の日で、3時半~5時にかけて他校に出掛けていた生徒達も続々戻ってきています(被害者が連れ去られたのは3時50分頃)。野球・ソフトボールの試合は東中で行われていますが、堀兼中も他の運動部の試合会場になっていた可能性があります。5時で宿直の先生は交替になりますが、当時は夜間も用務員の方がいて、当番の先生も泊まりで校内の見回りをしていました。したがって校内が無人になることは絶対にありません。なお、夜の宿直担当の先生が誘拐―殺害―死体運搬といった一連の犯行を行うことは物理的に不可能です。

  3. 当日の学校に関する知識ありがとうございます。私の狭山事件への関心は、Aさんの証言の疑問がすべてと言っていいので、そこを一点追究して行った当然の帰結点が学校だった、わけです。もしかしたら、Aさんに疑問を持った人が、必ず行き着くところが、学校なのかもしれません。おそらく同じ結論の人もいると思います。90年代くらいまでは、兄のNKさん説が強かったようですが、それは違うんじゃないか、となってきて、代わりに浮上してきたのがAさんなんだと思います。Aさんに関してはもっと早い時期に、検証されるべきだったのではないでしょうか。それが行われてれば、私が思うところをコメントすることもなかったでしょう。単独犯でイメージされる人は以前はNKさんで、今はAさんなんだと思います。そしてAさんをほんとうの人とイメージしたときに、その帰結として学校が出てくるという構図になっているわけです。ただ他の人は、Aさんでも別の場所や建物を考えているかもしれません。
    正解なら完成したパズルのように、つじつまが合うと思うんです。AさんとYさんが向かった先は学校と考え、そこが犯行現場と考えると、単純だが自然で無理のない、すっきりしたはなしになると思うんです。ドラマ的でよく出来たはなしになるので、そこが捨てがたいんですね。Aさんがほんとうの人なら、5月1日が宿直日だろうと思ったわけです。そうでないと成り立たないので。用務員はゴールデンウイーク中は、休暇の可能性もあります。宿直室には台所はあるでしょう。簡単な料理ならガスと鍋があれば作れると思います。遺体運搬は難所なんですが、リアカーで運ぶというのが私のイメージなんです。5月1日の12時にN家において20人くらいで張り込みをやるわけですが、犯人は現れないので、捜査陣の多くは、一旦署に戻って仮眠を取ったと考えられます。それから犯人が現れないのに早朝まで検問して道路を封鎖したんでしょうか。検問封鎖をしたのは犯人が出現した2日から3日にかけてなのではないでしょうか。主要道路から脇道へ入り、リアカーで運ぶことが可能かどうかが最大のポイントになります。相当な体力が必要だとは思いますが、人力車の人夫ほどの体力があれば可能ではないでしょうか。運動部の練習などでは、リアカーに人をのせ校庭を廻ったりというのはあるでしょうし、農村地帯の学校ならリアカーに農機具をのせ、農村実習もやってるでしょう。リアカーには慣れていると思われます。

  4. 「いちいち・・・」と言われそうですが、A先生個人の名誉にも関わる話なので、この際はっきり反論しておきたいと思います。A先生=犯人(クメラさん説)は絶対に成り立ちません。根拠は以下の通りです。

    ・A先生は当日東中に出掛けており、その後堀兼中に戻って、生徒達全員の下校を確かめてから午後5時過ぎに帰宅しています。したがって、午後5時までの時刻については完全なアリバイがあります。

    ・午後5時まで、堀兼中学校内は他校から戻ってきた教員・生徒で一杯の状態です。少なくてもそこまでの時間内で校内に被害者を連れ込むことは不可能です。

    ・被害者は午後3時50分頃に第一ガードから犯人によって連れ去られたと考えられます。犯行現場が中学校内とすれば、午後5時までの空白の説明が必要となります。

    ・当日の夜間宿直はA先生ではありません(誰であったかは不明)。夜間宿直は、日中勤務のない教師が担当することになっていました。

    ・堀兼中から死体発見現場までは約3キロ。「夕暮れ時でも歩くのは無理」(地元の人々の話)という街灯もない真っ暗な砂利道を、しかも豪雨の中、リヤカーに死体を積んでそれだけの距離を引っ張って行くのはまず不可能です。

    ・検問は5月1日夜からすでに実施されています。

    ・「N家の周りで張り込み」は亀井トム氏による妄想(?)説です。犯人はN家に直接脅迫状を届けに来ているのですから、警戒という意味でも家の周りに捜査員を配置するのは当然のことと思います。しかし、そのことと「身代金を奪いに来る犯人に対しての張り込み」を一緒にはできないでしょう。なお、次兄は後日、家の周りにいた捜査員の数について「6名」と証言しています。

    ・これだけの大事件なのですから、捜査員が全員途中で引き揚げるなどということは絶対に有り得ません。隣接の所沢署の応援部隊でさえ、皆その晩は徹夜しています。仮に、1日に佐野屋で張り込みを担当した署員が仮眠を取ったとすれば、必ず交替で別の署員が来ていたはずです。

    ・検問というのは犯人が指定した時間帯のみ行う、というものではありません。その前後も通しでするのが普通です。そうでなければ、検問解除を待って犯人も自由に動き回れることになってしまいます。この事件の場合、少なくとも1日夜から3日朝まで通しで行われていたのは確実です。

    >運動部の練習などでは、リアカーに人をのせ校庭を廻ったりというのはあるでしょうし

    そのような練習方法は普通ありません。古タイヤを引っ張って走る、というのは野球部などでよく見られる光景ですが。

    >農村地帯の学校ならリアカーに農機具をのせ、農村実習もやってるでしょう。

    堀兼中は普通の公立中学です。「農村実習」などというものはありません。

    失礼かと思いますが、クメラさんはこれまで雑誌「ナックルズ」に載った記事や、亀井・殿岡本以外まだお読みになっていないのではないでしょうか?狭山事件本はまだ他にも多数刊行されています。今後は野間本等、事実のみ正確に記されている書籍についてもご一読されることをお勧めします。

  5. 詳細な知識をありがとうございます。是非参考にしたいと思います。当日は体育大会なので、いろんな運動部の中で勝ち残ってる部の生徒が先生に引率され、近隣の中学にいき試合をし、そしてまたH中学に帰ってきたのが4時代ということですね。あの辺りの中学が、運動部の公式戦の試合会場になっていたとすると、その中で野球の練習試合をやる余地はまずないでしょうね。基本は公式戦。勝ち残ってる部だけが試合を行ったということでしょうね。
    雨が本降りになったのが4時20分。みんな自転車だったんだろうか?傘さして自転車だと転倒して怪我した人もいるだろうし、危険でしょう。安全を考えると遠征は徒歩だったんじゃないか。Aさんと生徒が野球に行ったというのも自転車のイメージが強いが、雨のことを考えると徒歩でいくような気もする。中学で傘さして自転車を認めたんだろうか。禁止だった気もする。それからYさんも自転車通学だったので、傘を携帯してたのに、所持品の中で傘だけが未発見なんですよね。Yさんの制服があまり濡れてなかったというのは、第一ガードから傘さして自転車で、そろそろと行ったからでしょう。ほんとうの人は傘だけは処分したということですよね。傘がなければ、すぐ屋内に入らなければずぶ濡れになります。しかし、傘があれば、しばらく屋外にいても濡れませんからね。
    雨が本降りになってきたので、遠征から帰ってきた生徒はすぐ帰らせるでしょうね。
    Aさんは5時すぎに帰宅。他の先生もそれぐらいに帰ったということでしょうね。Aさんは宿直でなかったんですね。Aさんの宿直日だと思っていた点は訂正します。5月1日の宿直の先生は不明というのは不思議ですね。事件の日の宿直の先生は誰だったかというのは、先生達も確認するだろうし、他の日は忘れても、事件の日の宿直の先生名は強く記憶されるはずですから。先生達は知ってるんだけど、あえて不明にしてるのか、宿直日でなかったのか、どちらかでしょうね。5月2日の午前2時50分に雨が止みますので、そこからリアカーで3。主要道路の検問でひっかかったら終わりなので、やはり農道をいったんじゃないか。農道もつながってるんで、ところどころ懐中電灯で確認しながら行けると思いますね。3時40分にはつき、穴掘りはひとりで20分。リアカーに残土をのせ、途中で畑にばらまいて、結局5時前に学校に戻るのは可能だと思いますね。野間宏の狭山裁判は見つけたら読んでみたいと思います。

  6. >あの辺りの中学が、運動部の公式戦の試合会場になっていたとすると、その中で野球の練習試合をやる余地はまずないでしょうね。基本は公式戦。

    私もその可能性が高いと考えています。東中では野球とともにソフトボールの公式戦もあったとのことなので、なおさらかと思います。

    >安全を考えると遠征は徒歩だったんじゃないか。

    被害者を目撃したというOT君もそうでしたが、全員が自転車で東中に行っているようです。これについては当時の堀兼中野球部員の某氏も「雨はポツポツくらいだったから、みんな自転車で行っていた。自分も友達2人と自転車で行った」と証言しています。

    >Yさんも自転車通学だったので、傘を携帯してたのに、所持品の中で傘だけが未発見なんですよね。

    Yさんは当日、傘を携帯していません。兄のKさんも、それゆえに「心配になって」迎えに行った、と証言しています。未発見の所持品は「ルーズリーフ式手帳」「財布」「筆箱」の3点だけです。

    >5月1日の宿直の先生は不明というのは不思議ですね。

    特に不思議ではないでしょう。明白なアリバイがあるわけですから誰も注目しませんし、警察もノーマークのはずです。記録も残っていませんし、45年以上も経てば誰も覚えていないのは当然のことと思います。
    ただ、警察は堀兼中で日中勤務していた職員や被害者の元担任の先生方にに対しても、全く事情聴取は行っていなかったようです。このことは確かにおかしな話と思います。

    >5月2日の午前2時50分に雨が止み(中略)リアカーで(中略)農道をいったんじゃないか。農道もつながってるんで、ところどころ懐中電灯で確認しながら行けると思いますね。3時40分にはつき、穴掘りはひとりで20分。リアカーに残土をのせ、途中で畑にばらまいて、結局5時前に学校に戻るのは可能だと思いますね。

    農道はつながっていません。途中何十か所も切れています(所有者はみな違うのですから当然です)。地元の人は、「林の中の道は、夜になると懐中電灯持っていても歩けなかった」と証言しています。雨でぬかるんだ切れ切れの農道をつなぎ合わせるようにしながら、54キロの死体を積んだリヤカーを引っ張って、足元を1歩1歩確かめつつ3キロ移動するとなれば、ゆうに2~3時間はかかると思います。穴掘りの所要時間が30分。それでは夜が明けてしまいます。また、死体が埋められた時間については、解剖結果や付近の住民の証言からも「(まだ雨が降っていた最中の)午前2時~3時の間」と推定されています。そもそも「A先生実行犯説」自体が成り立たないのですから、堀兼中学校内に遺体を隠しておく理由そのものが見当たりません。

  7. 傘は携帯してなかったんですか。自転車通学というと雨対策で傘を携帯するように思うんだが。そうすると4時20分から雨が本降りになるわけだから、誰かから傘を渡されるか、それとも、それまでに屋内か車に入らなければ、ずぶ濡れになるということになりますね。Yさんの制服はあまり濡れていなかったと言われてるので、どちらかということになりますね。自転車を置いて車には乗らないでしょう。すると4時20分より前に屋内に入ったか、誰かから傘を与えられてそれ以降も屋外にいたかのどちらかになりますね。誰かというのは、ほんとうの人でしょうから男ということになる。となると色は黒か紺か青か茶といったところでしょうか。
    5月1日の昼の2時から55分まで小雨が降るわけで、Bさんと9人以上の生徒は練習試合にいくために、2時半にH中学を出たとされますね。小雨の中を自転車で出発というということになると、普通は雨が強くなることも考えて、傘をさすか、カッパをきるかどちらかでしょうね。試合のほうは、予定があったか。見学だったか。Bさんがひとりで行ったかのどれかだろうと思われますが、今のところというか47年間でYさんの目撃者は、あの場所では、ひとりしかいないということですね。
    野間宏の本も読んだんですが、Bさんに取材しながら、一緒にいたとされる野球部員については、すっぽり抜けおちてますね。BさんはYさんの自転車は見なかったと言ってるが、生徒たちに取材すれば、すぐわかるのに野間さんは、ぴんと来なかったようだ。
    Bさんが調書をとられなかったことを、野間さんも訝しんでますね。諏訪部という当時の狭山署の刑事課長が法廷証言するんですが、Bさんのことを聞かれ、覚えていないといってますね。それからBさんが、Yさんの目撃をPTAのMさんに話したのは、翌々日の山さがしのときと書いてあります。つまりは3日です。しかしMさんが学校に来て事件の発生を告げたのは2日の朝だった。2日にMさんに話さなかったなら、刑事たちにも同僚にも、黙ってたんじゃないでしょうか。2日は、署に出向くまでもなく、目の前に刑事たちはいたんですよ。そこで何も話さなかったら、その後、OTさんや中島さんのように、みずから警察に出向いてYさんの目撃を語ることは出来なくなるんじゃないんでしょうか。実際Bさんは、署に出向いて目撃を語ってないでしょう。これはどう捉えたらいいんだろう。謎ですね。
    文字数がいっぱいになりました。

  8. つづき。今日も歩いたんですが、3って普通に歩くと30分で行けちゃいますよね。大人の男が普通に歩いて、だいたいその数字が出ると思います。要するに遠くはないんです。私、駅まで歩いて25分ですから。じゃこれが土の上で真っ暗闇で街灯がなく、懐中電灯もって出たとして、そんなに時間が変わるかといったら変わらないでしょうね。なぜでしょう?
    駅までの道を知ってるからですよ。時々懐中電灯で照らして、今ここかと確認すればいいわけです。駅までの道を知ってて、途中に何があるのかがわかってれば、あとどれくらいで着くかはわかりますよね。荷台に54の遺体と、玉石とスコップを乗せ約60になったリアカーが、加わっても同じで、駅までの道を知ってれば辿りつくことはできます。ただ60を荷台に乗せたリアカーを引く分だけ遅くなります。私も60くらいの人を車いすにのせ押して歩いたことがありますが、そんなに力いりませんよね。車輪が回ると慣性の法則ですうーといきます。リアカーは鉄棒が前についてるので体重を前にかけて引っ張れますね。多少ぬかるみがあっても60くらいならたいしたことないですね。それから農道でも林の中でもリアカーが通れないほど狭いことはありません。朝や昼は結構人が通るわけですから。夜になれば誰も歩かない、それはほんとうの人から見れば、これ以上ない絶好の条件です。誰にも遭遇しないことこそ、ほんとうの人の身の安全の保証になるわけですから。ほんとうの人は、この辺りの地理に明るく、道は頭に入ってたでしょう。真っ暗闇の道を懐中電灯持って歩くことにも慣れてたでしょうね。徒歩で30分で行けるところをリアカー引いたら2時間かかるでしょうか。10の米6袋で3。1時間ちょっとで行けるんじゃないですか。午前1時から半に出る。かなり雨は降っている、雷が鳴ってたかはわかりませんが。ほんとうの人は、カッパをきて、Yさんの遺体には、ビニールシートのようなものを被せる。そうすれば濡れません。目的地までの道は頭に明確に入っている。暗闇の中で何度も行ったことがあるにちがいありません。2時半には着き30分で穴を掘り遺体を埋める。2時50分に雨があがる。埋没付近にリアカーの轍が残る。残土をリアカーにのせ移動する。付近の犬がいっせいに吠える。こん棒と風呂敷を芋穴にすて、鞄や教科書などを埋めて帰る。5時までには確実に学校に帰ることは出来るでしょう。学校は捜索されてませんからね。

  9. クメラ様

    失礼ですが、貴殿はぬかるんだ未舗装の道を歩いたことも、街灯も民家も全くない真っ暗な道を歩いたことも、リアカーを引いたこともないのでしょうね。どれ一つとっても、貴殿がおっしゃるほど簡単なことではありません。今の舗装された道を昼間歩いて30分だからどうこう、というのは全く的外れなお話しです。

    60kgの人を車いすでというお話しもされていますが、それはせいぜい100m程度の話ですよね?60kgの人を車いすに乗せて3km歩くのは、昼間の舗装道でもかなり大変なことです。さらに、当時その道はかなりな起伏がありました。「やげん坂」というくらいですから。ぬかるんだ状態で60kgの重さのリヤカーを引いて坂道を3km歩くのは、亀井トム氏が想定した「スーパー長兄」でも無理でしょう(笑)。

    それから、「5時までに学校に帰る」というのは無意味です。伊吹さんが「5時」と言っているのは5月1日の夕方5時にはA先生は確実に学校にいたということであって、翌日の朝5時のことではありません。

    いずれにしても、A先生犯人説は100%不可能です。
    今後、A先生説を展開されることはご自由ですが、これ以上は伊吹さんも私もお付き合いしきれませんし、あまりに空虚な説でA先生の名誉を毀損するようだとコメントを削除あるいは不承認とさせていただく可能性もあります。あらかじめご了承ください。

    ただし、A先生の証言が正しくない(A先生がウソをついている)という可能性はあります。この点については別途伊吹さんの取材結果をご紹介させていただきたいと思いますので、少々お待ちください。

  10. 私も管理人さんと同意見です。
    もちろん仮説を立てる(妄想する?)のは個人の自由ですが、完全なアリバイがある存命中の方を“強姦殺人犯”呼ばわりするのは、やはり行き過ぎた行為といえるのではないでしょうか? 実名を伏せているとはいっても、狭山事件を知る人ならばほとんど誰のことかすぐ分かりますし、ご本人ばかりでなく教え子の方々にしても母校を「殺害現場」、恩師を「殺人犯」と書かれて良い気分はしないはずです。

    そもそもこの説は苫米地英人氏によって最初に唱えられたものですが、これは決して綿密な調査に基づく推理などではなく、言うならば単なる“思いつき”=デタラメに過ぎません。その根拠も本ブログ記事にある通り、下記の2つだけです。

    ・男女の仲が紛糾して、殺すしか選択肢がない、というのは道徳的な威厳を保つのが不可欠の学
    校の先生しかない。
    ・脅迫状はあきらかに教養がない人を装っている、ということは真犯人はよほど教養がある人物
    である。→ だから学校の教師

    しかし、繰り返しになりますが「A先生犯人説」は絶対に成り立ちません。理由は以下の通りです。

    ・A先生には当日午後5時過ぎまで明白なアリバイがある(詳細省略)。
    ・佐野屋での張り込みにも参加している(同僚の先生が本人と増田秀雄から直接聞いているとのこ
     と。某週刊誌にも、それについての記事が掲載されています)。
    ・犯人ならばわざわざ「善枝さんと会った」などという自らを不利にする証言をするはずがない。
    ・動機がない(「32歳の教師が女子中学生と不倫をし、その関係を清算するため・・」という
    説は全く馬鹿げていると思います。善枝さんには当時元野球部のM君に熱烈な片思いをしていま すし、そもそもそのような女の子でないことは本人の日記や周囲の証言からも明らかです)

    「これは“遊び“だから・・・」と反論する方もいらっしゃるかもしれませんが、ネットでの無責任な書き込みが原因で、おかしな「都市伝説」やら噂話が広まってしまうのも現実にはよくあることです。真犯人を仮定するならば、少なくともアリバイ不明の者を対象として、当時の資料などから明確な根拠を示しながら行うべき、と考えます。

  11. コメント不承認と削除の可能性のお話し、承りました。だいたい思うところを私も述べさせていたたぎました。誰もが感じるであろうことを述べただけですから。さて、やけん坂に関してですが、大変難儀な道であることはわかりました。しかし、大雨で道がぬかるんだ時でも、農家の人たちはリアカーに重い荷物をのせ、そこを通るのではないでしょうか。60キロの荷物をリアカーにのせて、万人不可能な道なら、農家の人も最初からその道を使わないはずです。農家の人は普段もっと重い荷物をリアカーで運んでると思います。壮健で体力のある男なら、すごくくたびれるけど可能というのが結論なんだと思われます。それから、伊吹さんが、強姦殺人犯呼ばわりとおっしゃられておりますが、ちがいます。なぜなら、私はコメントでのべてきたように、先生と生徒の恋情説に立っているので、当然和姦です。和姦殺人犯呼ばわりなら、まあ当たってなくもないですが、私はそのようなどぎつい言葉は使ってないと思います。ほんとうの人という言葉を使ってきました。どぎつい言葉は推理にふさわしくないのではないでしょうか。Kさんを、ほんとうの人呼ばわりしたというのが、私の使った言葉でいうなら適切かと思われます。先生と生徒の恋情は今だと、沢山の先生が懲戒免職になっています。昔には全くなかったとは言えません。日記というのは、差し障りのある部分は公開しないと思います。それから5月1日の夕方の5時まではアリバイがあり、それ以降はないと理解させていただいています。私は誘拐説ではないので。佐野屋についても、男は10分近く話して余裕がありますし、録音機がないことも知ってたと思われる。刑事たちに目撃供述をしたなら、声を記憶されたかもしれませんが。配置された者が出てきた可能性は否定できないと思います。民間人を張り込みに参加させたのは警察であり、その中にほんとうの人がいたなら、それは警察の重大な責任になるわけで、もしやと思う刑事がいたとしても追求はできなかったのではないでしょうか。野球の試合がなく見学だったということになれば、第一ガードのYさんのもとに行けるということになるので、Yさんの待ち合わせの相手はAさんかも、という推理は生まれるだろうと思います。野球の試合があったがゆえに、待ち合わせは不可能と言われてたわけですから。12月あたりから、いろいろ述べさせていただきました。以降、主体的にコメントを述べることは控えさせていただきます。

  12. クメラ様

    一応念のため今回も反論はしておきますが、あまりにも空虚な説と思いますので、コメントはこれにて最後ということに致します。

    >60キロの荷物をリアカーにのせて・・・

    リヤカーによる運搬は時間含めて物理的に不可能です。以前のコメントをご参照下さい。

    >私はそのようなどぎつい言葉は使ってないと思います。

    ここでそのような言葉を使用していなくても、狭山事件は裁判においても「(身代金目的の)強姦殺人事件」とされているのですから、「A先生を真犯人」とするならば、普通表面的にはそのように解釈されると思います(同様の形でA先生の名誉も毀損されると思います)。

    >先生と生徒の恋情説に立っているので、当然和姦です。

    和姦ならばなぜ殺さなければならなかったのでしょうか? 高校に入学したばかりの被害者が「奥さんと別れて私と結婚してくれ」と迫ったからでしょうか?(笑)(←そもそも当時あの付近の農村では、女性側に相手を選ぶ権利すらなかったわけですが)
    被害者が熱烈な片思いをしていたM君の件はどうなるのでしょうか?M君と道で会っただけで「恥ずかしい」と言っていた被害者がA先生とは肉体関係を持っていたのでしょうか?被害者は二重人格者でしょうか?(笑)

    >先生と生徒の恋情は今だと、沢山の先生が懲戒免職になっています。昔には全くなかったとは言えません。

    若い高校教師と女子高生の恋愛は時折ありますが(教え子の卒業を待って結婚する話もよく聞きます)、「30過ぎの既婚者と中学3年生の不倫」はほとんど聞いたことがありません。

    >日記というのは、差し障りのある部分は公開しないと思います。
    『女性自身』には丸ごと渡していますね。

    >録音機がないことも知ってたと思われる。

    次姉、M氏、長兄、担当刑事、みなA先生の声は知っているのですから、呼び掛ければ一発で分かると思います。

    >配置された者が出てきた可能性は否定できないと思います。

    A先生は犯人が呼び掛けてきた畑から道を隔てて向かい側の畑にいたのですから、「向かい側に行って呼び掛け、また元に戻った」とすれば、次姉・M氏・刑事・長兄が注視する中、「目の前を横切って一往復」したことになります。誰にも気づかれずにそんなことが出来るはずはありません。

    >第一ガードのYさんのもとに行けるということになるので、Yさんの待ち合わせの相手はAさんかも、という推理は生まれるだろうと思います。

    野球の試合がなかったとすれば、これは可能でしょう。しかし、Yさんがガード下にいたのは3時45分頃で、A先生は中学に戻って5時過ぎに退校しています。その間の1時間半近くの空白はどうなるのでしょうか?

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