2010 年 9 月 2 日

『目で見る美作の100年』より
本日の写真は、昭和初期の加茂町小中原です。キャプションにもあるように、当時の加茂町には家畜市場があって市が立つときはかなりの人出があったようで、写真を見る限りでは失礼ながら今の小中原よりも格段に活気があるように見えます。ちなみに、小中原というのは塔中と並ぶ加茂の中心地です。
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都井家は一時期塔中に住んでいましたし、貝尾から小中原までは徒歩でも1時間内外(4km程度)です。そういう意味では、「人里離れた山奥の山村の一青年」というイメージは、睦雄にあてはまらないのかもしれません。そのあたりは、事件後に現地を訪問した中垣清春予備検事の文章(筑波本にも引用されています)にも現れています。
私は犯人都井の住む此の村が陰惨な山間僻地で文化にとり殘され、豊かな生活も阻まれた寒村であると想像してゐた。
そしてそれが此の事件の發生に何パーセントかの影響を與へてゐるものと固く信じてゐた。それが見事に裏切られた。陽氣の加減もあつただらうがあの東北の冷害地方を知り、四時雪を戴く信飛の高原地帶を見てゐる私には、山國とは云へ尚豊饒な農家生活を営み得る餘裕を此の土地に見い出した。土地の氣候、風土等が犯人都井にどれだけ作用したかは大いに疑つて見ねばならぬ問題となつた。
タグ: 津山事件報告書, 貝尾
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2010 年 8 月 24 日
狭山茶の茶箱
(「ドラプラ」サイトより引用。元のサイトでは記事がなくなっているようなので、こちらで改めて写真をアップさせていただいています)
以前、「となりのトトロ」と狭山事件を関連づける都市伝説を否定するエントリを書きました。
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タグ: 次姉, 雑感
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2010 年 8 月 15 日

「津山事件報告書」より都井睦雄の遺書
本日の画像も本邦初公開だと思います。「津山事件報告書」に掲載されている、都井睦雄の遺書です。
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2010 年 8 月 9 日
世にかたりつたふる事、まことはあいなきにや、おほくはみな虚事なり。あるにも過ぎて人はものを言ひなすに、まして年月すぎ、境も隔たりぬれば、言ひたきままに語りなして、筆にも書きとどめぬれば、やがてまた定まりぬ。
(徒然草)
世間で語りつたえる事は、ほんとうの事実はつまらないのか、たいていはみなでたらめだ。人は、事実以上にものごとを言いたてるうえに、まして年月もたち、場所もかけ離れたところだということになると、言いたいほうだいにでっちあげて、文章にまで記録してしまうと、それでもう事実ということになるのだ。
小西甚一『古文研究法』(上記・徒然草の文章の現代語訳)
学生時代の参考書を読み返していたら、非常に含蓄のある言葉が目に付いたので、今更ですが書き留めておきます。狭山事件でも、下山事件でも、津山事件でも、この言葉に当てはまる本や人が容易に思い浮かびます。
「年月すぎ、境も隔たりぬれば、言ひたきままに語りなして、筆にも書きとどめぬれば、やがてまた定まりぬ」
この言葉は、本ブログを続ける限り心に留めておきたいと思います。
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2010 年 8 月 8 日
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2010 年 7 月 31 日
日刊スポーツ昭和26年3月4日付
先日またトトロがTV放映されたようで、それに合わせてまたアクセス数が一時的に爆発しました。
が、それは無視して(笑)、前回の続きで淡々と女子プロ野球についての話です。単にこの機会に書いておかないと忘れてしまいそうなので。
今年(2010年)発足した日本女子プロ野球からさかのぼること60年前にも、日本に女子プロ野球がありました。前回も書いたように、私はこのいにしえの女子プロ野球についてWikipediaに書いたことがあります。書いた当時は「女子プロ野球」の記事名だったのですが、今回発足した女子プロ野球との関係もあって現在は「日本女子野球連盟」の記事名に変更されています。
元々、この記事については、こちらの参考文献の項目でも挙げた、『女たちのプレーボール』、『私の青空』、『プロ野球選手はお嬢さま』という3冊の本を元に書きました。しかし、その後の調べで、Wikipediaに私が書いたことの一部が事実と反することが判明しました。基本的にWikipediaにはもう書かないことにしているので、こちらにメモとして残しておきます。
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タグ: 女子プロ野球, 雑感
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2010 年 7 月 25 日

東京生命球場で練習するレッドソックスの選手たち(桑原稲敏著『女たちのプレーボール』より)

東京生命球場で行われた紅梅ミルクキャラメル入団テスト(打席に立っているのは特別審査員の別所毅彦)(桑原稲敏著『女たちのプレーボール』より)
先日、ネットをうろうろしていたら「川俣晶の縁側」というサイトに「解決編・1951年5月に完成した新宿西口にあった東京生命球場の位置と理由を(ほぼ)確定!!」という記事を見つけました。
この記事の冒頭に出ているWikipediaの「女子プロ野球」の項を書いたのは私(本ブログ管理人)です。そのため、以前からこの東京生命球場については興味があり、関連記事も含めて大変興味深く読ませていただきました。なお、Wikipediaの「女子プロ野球」の項目は、最近(2010年)発足した日本女子プロ野球との関係で、現在は「日本女子野球連盟」に移動(名称変更)されています。
特に、東京生命球場の場所の特定やニュートーキョーとの関係、航空写真のあたりは読んでいて興奮させられました。この辺に興味がある方(少ないかもしれませんが……)は、是非とも関連記事を含めてご覧になることをお勧めします。
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タグ: 女子プロ野球, 雑感
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2010 年 7 月 19 日
すいません多忙につき細かい考察を入れた記事が書けそうにないので、事実関係だけで軽く書けるものを一つ。
津山事件報告書は、法務図書館には存在していません。
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タグ: 津山事件報告書
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2010 年 7 月 10 日
『浮城物語』現代語版
『浮城物語』には、「現代語版」というバージョンがあります。出版されたのは昭和18年(1943年)で、都井睦雄の死後です。現在から言えば70年近く前の「現代語」版ということになります。
訳者は高垣眸氏。1925年に少年倶楽部でデビューしたとのことですので、氏の小説は睦雄も読んでいたかもしれません。ちなみに、なんとこの方、1979年には「宇宙戦艦ヤマト」のノベライズも担当されたとのことです。残念ながら国会図書館にも所蔵されていないようですが、80歳を超えた方がノベライズした「宇宙戦艦ヤマト」……是非読んでみたいものです。
閑話休題、要するに『浮城物語』には、オリジナル、現代語版、『雄図海王丸』と、3つのバージョンがあることになります。それらの相同点と相違点を見ていただくために、作中の主人公である上井清太郎(この主人公の名前も3者共通です)が横浜グランドホテルで作良・立花両氏と初めて対面する場面を見てみましょう。
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タグ: 津山事件報告書, 浮城物語, 雄図海王丸
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2010 年 7 月 7 日
岩波文庫版『浮城物語』奥付
こちらのコメントで書いた内容の続きです。
私は、筑波本に都井睦雄の作品として紹介されている『雄図海王丸』も、筑波昭氏による創作である可能性が高いと考えています。いくつか理由はあります。
- 『雄図海王丸』のプロットは矢野龍渓の『浮城物語』とまったく同一であり、文体を「子供向けに」書き直した程度である
- 『浮城物語』は矢野龍渓の代表作の一つであり、矢野龍渓の名前は『雄図海王丸』の冒頭にも出ているので、ちょっと調べればわかるはずなのに、筑波氏がぼかした書き方をしている
- 睦雄が生きていた昭和10年代前半における本作品の入手可能性に疑義がある
- 「津山事件報告書」に『雄図海王丸』が全く出てこない
- 『雄図海王丸』の原稿の写真も「津山事件報告書」にない
『浮城物語』はこちらで全文読むことができます。
国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」内『浮城物語』
関係する時系列をまとめると下記の通りです。
- 1851年(嘉永3年):矢野龍渓生誕(豊後(現在の大分県))
- 1890年(明治23年):郵便報知新聞に『報知異聞』(『浮城物語』の原題)を連載
- 同年:『浮城物語』単行本発行
- 1931年(昭和6年):矢野龍渓逝去
- 1938年(昭和13年):津山事件発生・都井睦雄自殺
- 1940年(昭和15年):『浮城物語』岩波文庫版発行
- 1943年(昭和18年):『浮城物語』現代語版発行
単行本には徳富蘇峰や中江兆民、森鴎外といった錚々たる面々が跋文を寄せており、それだけでも当時におけるこの作品の影響の大きさがわかります。
『雄図海王丸』のプロットは『浮城物語』のほぼ丸写しで、主要な登場人物の名前(「作良義文」「立花勝武」など)も共通していますので、パクりとはいわないまでも少なくとも参考にしていることは間違いありません。岩波文庫版が出たのが昭和15年であったことを考慮すると、睦雄が本当に『雄図海王丸』を書いたのであれば、いつどのようにして『浮城物語』を読んだのか、という疑問が残ります。ご存じの通り睦雄は昭和13年(1938年)の津山事件当日に自殺しており、その時点では『浮城物語』は50年近く前の、文庫にも未収録の作品ということになるからです。
国会図書館で検索した限りでは『浮城物語』は明治39年や大正5年にも改訂版が発行されていますし、昭和に入ってからも改訂版は出版されていたと思われます。それを睦雄が何らかの形で入手したり、あるいは学校の図書室にその本があって、それを元に子供向けに『雄図海王丸』を書いた可能性はゼロではないと思います。しかし、『雄図海王丸』は、例えば「班超伝」の引用などかなり詳細な部分まで『浮城物語』と一致しており、図書室で読んだ本のうろ覚えのあらすじを元に書いた、というレベルではありません。手元に『浮城物語』があって、それを元に言葉遣いを改変して書いたとしか考えられない内容です。
「津山事件報告書」にも『雄図海王丸』や『浮城物語』に関する言及が全くないことからも、青年時代に『浮城物語』の岩波文庫版あるいは現代語版を読んだ筑波氏(昭和3年生まれ)が、それを改変して創作に利用した可能性の方が高いのではないかと思います。
タグ: 津山事件報告書, 浮城物語, 雄図海王丸
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