この写真の橋の向こう側、現在は駐車場になっている場所に、被害者の次兄が経営していた中華料理店があったとのことです。被害者の次兄は昭和52年10月に自殺しており、その際に女言葉で書かれた奇妙な遺書を残しています。
この写真は以前、狭山事件を推理するサイト管理人の方にお送りしたことがあり、そちらの方にも掲載していただいています。I養豚場や被害者宅のそばを流れている不老川の上流で、現在では狭山市立山王小学校がある場所のちょうど向かい側あたりになります。
この写真の橋の向こう側、現在は駐車場になっている場所に、被害者の次兄が経営していた中華料理店があったとのことです。被害者の次兄は昭和52年10月に自殺しており、その際に女言葉で書かれた奇妙な遺書を残しています。
この写真は以前、狭山事件を推理するサイト管理人の方にお送りしたことがあり、そちらの方にも掲載していただいています。I養豚場や被害者宅のそばを流れている不老川の上流で、現在では狭山市立山王小学校がある場所のちょうど向かい側あたりになります。
(2010年7月10日追記)その後の調べで、私(本ブログ管理人)はこの『雄図海王丸』は都井睦雄の作品ではなく、筑波昭氏の創作である可能性が高いと判断しています。とりあえず本エントリの内容はそのまま残しておきますが、その点ご注意ください。詳しくはこちらのエントリをご参照ください。
(This section added on Aug 27, 2010) After investigation, it is highly doubtful if this manuscript and the novel “Yuuto Kaiomaru” were written by Mutsuo Toi. They are possibly framed up by Akira Tsukuba, the author of the book “Tsuyama 30 people massacre”. I, as the author of this site, wrote it on English Wikipedia.
都井睦雄先生直筆生原稿です。1/2縮小だそうで。
結構几帳面に1マスに1文字を書いていくタイプのようです。戦前の小学校の「綴り方」教育のタマモノでしょうか。本ブログの筆者の小学校時代、やたらと「綴り方」教育を云々する先生がいて、その先生が称揚していたのが戦時中の小学生の書いた文章でした。「トタン屋根を打つ雨の音、灯火管制の中でうすぼんやりと光るろうそく」をとにかく絶賛していたような気がします(正直興味がなかったのであんまり聞いてませんでした)。
閑話休題、個人的には結構今風なというか、ちょっと前に流行した丸文字っぽい文字で好感が持てます。推敲の跡はあるものの、誤字脱字もなく、基本的な文章を書くことに対しての素養が見られるような気がします。遺書の名文っぷり(その数ヶ月前から推敲に推敲を重ねたのでしょうが)と併せて、今の世の中に都井睦雄先生が生まれていれば、同人作家orブログ小説作家として名をなしていたんではないかという気もします。