狭山事件を推理するサイト管理人氏の主催による現地調査に参加しました。
現地調査後、トマトパーティーにも参加し、各種推理(被害者の学校を出てからの足取り等)に関して有意義な議論を聞かせていただきました。
席上で、近々(?)いろいろと新しい展開がありそうということを伺ってwktkしています。
OTくんが被害者と会ったと証言したS自転車店です。現在はバイク屋さんになっています。これも先日現地を訪問した際(2008年3月25日)に撮影したものです。
「すずや」(薬屋の向こう側):まだ営業している模様(2008年2月8日時点)
現在、狭山市駅周辺の再開発が進んでいて、石川さんが「自白」の中で牛乳とアイスクリームを買ったことになっていた「すずや」周辺を含めた西口一帯は完全に作り替えられるようです。 また、東口の駅ビルもいったん閉鎖して、駅自体を東西自由通路がついた高架駅に作り替えるとのこと。詳しくは狭山市の西口開発整備事業HPに掲載されています。
既に狭山市駅西口から中央図書館・狭山准看護学校(旧川越高校入間川分校)へ行く道の両側にある商店はほとんどが閉店しており、一部では工事も始まっていて、おそらく今年(2008年)中には事件当時の面影が全くなくなってしまうものと思われます。事件に興味があって現地を訪問されたいという方は、早めに行かれた方がいいかもしれません。
まず、事実誤認と思われる点を確認したいと思います。
前後関係から見ておそらく、ここで言及されている「先生」というのは、被害者の中学三年生時代の担任で、事件当日に第二ガード下で被害者を見かけたと証言しているA先生でしょう。被害者の過去の担任でマスコミや事件関係の書籍で採り上げられている「先生」は、この人を除くと高校の先生くらいしかおらず、高校の先生は女性であるために「実話ナックルズ」の記事の文脈から考えて該当しないからです。以下、野間宏『狭山裁判』に叙述されているA先生の証言を中心に検証します。
24日付特集記事の続きです。西加茂村行重が生んだ百姓一揆の首謀者である仁木直吉郎との比較が論じられています。
貝尾の地図が掲載されています。この地図を筑波昭『津山三十人殺し』に掲載された地図と比較すると、ほぼ左右が反転しています。実は本ブログの筆者は現地を訪問したことがないのでどちらが正しいのかわからないのですが、是非とも将来的には一度訪問の上確認してみたいと考えています。