被害者は事件当日(昭和38年5月1日)朝まで日記を残しており、一部は公開されています。今日の画像はその日記です。
月別アーカイブ: 2008年5月
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狭山事件: 被害者の写真
狭山事件: トマトパーティー
狭山事件: 被害者次兄の中華料理店
この写真の橋の向こう側、現在は駐車場になっている場所に、被害者の次兄が経営していた中華料理店があったとのことです。被害者の次兄は昭和52年10月に自殺しており、その際に女言葉で書かれた奇妙な遺書を残しています。
この写真は以前、狭山事件を推理するサイト管理人の方にお送りしたことがあり、そちらの方にも掲載していただいています。I養豚場や被害者宅のそばを流れている不老川の上流で、現在では狭山市立山王小学校がある場所のちょうど向かい側あたりになります。
下山事件: pH計
狭山事件: 事件当日
またまた情報量のないエントリですいません。と最初に謝っておきます。
昨日、5月1日は事件から数えてちょうど45年目にあたる日でした。
ご存じの通り、当日は被害者の16歳の誕生日で、当日の日記には「私の誕生日、うれしい」と書かれていたとのことです。この「うれしい」はどういう意味だったのでしょうか。被害者が当日誰かと待ち合わせをしていたのは間違いないことのようなので、それがうれしかったのでしょうか。あるいは、16歳になって法律的に結婚できるようになったのがうれしかったのでしょうか。16歳になって結婚できるようになった、と待ち合わせ相手に結婚を迫ったために殺されてしまった、という推理もかなり一般的ですが…