被害者は事件当日(昭和38年5月1日)朝まで日記を残しており、一部は公開されています。今日の画像はその日記です。
Monthly Archives: 5月 2008
狭山事件: 被害者の写真
関係者の方々向けです。
先日のトマパの席上、当方が「被害者の遺体の写真を見る限り、顔が腫れているように見える。これは殴られた跡ではないか」と発言しましたが、これはいったん撤回させていただきます。すいません。
今写真を見ても腫れているように見えるのですが、鑑定書の本文には顔面の腫れに関する言及が見あたらないのが理由です。例によって見落としているかもしれませんので、再度調べ直してからこちらに改めて書かせていただきます。
狭山事件: 被害者次兄の中華料理店
この写真の橋の向こう側、現在は駐車場になっている場所に、被害者の次兄が経営していた中華料理店があったとのことです。被害者の次兄は昭和52年10月に自殺しており、その際に女言葉で書かれた奇妙な遺書を残しています。
この写真は以前、狭山事件を推理するサイト管理人の方にお送りしたことがあり、そちらの方にも掲載していただいています。I養豚場や被害者宅のそばを流れている不老川の上流で、現在では狭山市立山王小学校がある場所のちょうど向かい側あたりになります。
下山事件: pH計
私(管理人)のリアルの世界でのお取引先である某社(東証二部上場企業)について。
先日、その会社の方とお話ししていたら、下山事件で秋谷教授が提唱したpH変化による死亡時刻推定に使われたpHセンサは、その会社の前身の町工場が秋谷教授から依頼を受けて特別に作ったセンサだった(と、同社の社史には書いてある)とのことです。秋谷教授の提唱した手法自体はその後学会等で否定されたようですが、その時の「とにかく高精度なpHセンサを」という依頼に応じるための技術開発が、その会社の基礎になっているとのことです。
いろいろなことがいろいろな分野に影響を与えているんだなあ、と実感しました。
狭山事件: 事件当日
またまた情報量のないエントリですいません。と最初に謝っておきます。
昨日、5月1日は事件から数えてちょうど45年目にあたる日でした。
ご存じの通り、当日は被害者の16歳の誕生日で、当日の日記には「私の誕生日、うれしい」と書かれていたとのことです。この「うれしい」はどういう意味だったのでしょうか。被害者が当日誰かと待ち合わせをしていたのは間違いないことのようなので、それがうれしかったのでしょうか。あるいは、16歳になって法律的に結婚できるようになったのがうれしかったのでしょうか。16歳になって結婚できるようになった、と待ち合わせ相手に結婚を迫ったために殺されてしまった、という推理もかなり一般的ですが…