あけおめことよろです。
脅迫状の筆跡に関して、石川さんの裁判において提出された警察側の鑑定書によると、脅迫状と石川さんの筆跡は一致したことになっています。また、最近2ちゃんねるなどで「脅迫状は石川さんの筆跡とそっくりだ」というような話が出ているようです。一応確認しておきたいと思います。
「上申書」は、昭和38年5月21日の逮捕直前に書かされたものです。石川さんの筆跡としてよく引き合いに出されるものにはもう一つ、逮捕後に脅迫状を模写する練習をした後で書いた脅迫状の写しがありますが、それは明らかに練習をした上で脅迫状を真似て書いているため、筆跡の鑑定にはそもそも不適切なものです。
確かにこの全体図を見比べると似ている感じもあります。特に、促音(小さい「っ」)にカタカナの「ッ」を使っている点や、ひらがなの「ら」の書き方などは大きな相似点になります。
しかし、拡大してみるとかなり様相が異なります。
正直、この拡大図だけでもう十分ではないでしょうか。この2つを見比べて「そっくりだ!やっぱり石川が犯人なんだ!」という人がいたら「ああそう思うんですか」としか言いようがないのですが。
一応解説しておくと、これらの拡大図で一番異なるのは「払い」です。日本語を書く場合に、毛筆・硬筆とも「止め」「はね」「払い」という基本があります。文字を書き慣れていない人は「止め」「はね」は見よう見まねで何とかなっても、「払い」だけはどうにもなりません。まさに石川さんの上申書の拡大図がその状態です。それに対して脅迫状は「払い」がしっかりできていて、明らかに文字を書き慣れた人のものです。
さらに、上申書にはいくつか「ウソ字」があります。例えば、「入間川」の「間」の字のもんがまえの中身が「巾」になっています。それに対して脅迫状には、当て字はありますがウソ字は1つもありません。
刑札による鑑定では、「ら」や「ッ」などの似ている字だけを採り上げ、また、練習した上での脅迫状の模写(似ているのはある意味当然)との相同を根拠に「脅迫状の筆跡と石川さんの筆跡は合致した」=「脅迫状は石川さんが書いたものである」と鑑定しています。しかし、当ブログ管理人としては、上記の理由で脅迫状は明らかに石川さんが書いたものではない、と考えています。
以前にも書いたように、私(当ブログ管理人)は、「石川さんは冤罪である」というところから議論を始めるつもりはありません。ただ、この拡大図を見れば脅迫状と石川さんの筆跡が異なることは(刑札関係者以外には)明らかと思われ、そうなると石川さんが有罪ならこの脅迫状を書いたのは誰?という疑問に答えていただく必要があると考えています。
いつも大変興味深く拝見させて頂いています。
となりのトトロ、の噂からはまったミーハーな口ですが、近所の千葉刑務所に石川さんが投獄されていた事や、避差別部落の問題を知るにつけ、きちんと知らなくてはと思い、書籍で勉強しています。
このサイトは公正で冷静なので、狭山事件を考える際にはいつも基準点とさせてもらっています。
更新されてないかな、と毎日のぞいています(お忙しいですよね)。
これからもたくさん書いてください!
コメントありがとうございます。
ご指摘の通り、最近リアル方面で多忙が続いているため更新が滞りがちになっています。できるだけがんばって続けていきたいと思います。こういったコメントをいただけると励みになります。
「狭山事件入門」も続きを書く意志もネタもあるのですが、先般から何回か触れている新しい本が出たらほぼ全面的に書き直しになりそうなので、出版を待ってから続きを書きたいと思っています。もうすぐ出版されるはずなので少々お待ちください。
お久しぶりでございます。禅公案です。
筆跡に直接関係しないのですが、「脅迫状」とその「写し」につきましては、以前から疑問に思っている点があります。
今回の記事で、管理人様が引用された「無実の獄25年 狭山事件写真集」の55ページの下半分の方の、「脅迫状の写し」に関してです。
この「写し」は、「脅迫状」を手本に、字の練習をさせられ、その後に書かされた「写し」とのことですので、同ページの上半分の「上申書」の文字より「写し」のほうが、原本の脅迫状と文字が類似している面があるかもしれません。
私の疑問は、「写し」の作成方法・作成過程についてのもので、以下の点です。
(1)「少時」の文字について
「写し」には、手本にしたと思われる脅迫状と同様に、本文の上端の余白に、「少時」の文字が書かれています。「写し」に書かれている「少時」は、「何を」手本に書かれたのでしょうか。といいますのは、「脅迫状」の上端の「少時」の文字は、懇切丁寧に抹消線により、判読上の支障があり、判読できたとしても、その文字の「字体」等の筆跡をまねすることが可能な状態にあるとは思えないからです。
そのような前提に立ちますと、警察が、石川さんに、「少時」の文字まで含めて、「写し」に再現させようとする場合、脅迫状が封入されていた「封筒」の表に書かれた「少時様」の「少時」の文字を手本にして、「写し」の上端に書かせた、と思われます。
それなら、なぜ、「封筒」のほうの表と「裏」に記載された、「少時様」や「宛名」の文字についても、「封筒」の「写し」という形で再現させなかったのでしょうか。
封筒のほうの「少時様」の文字は、形だけの訂正線があるだけで、その文字の筆跡を容易に判読できることを考えれば、封筒に書かれた文字についても、同様に「写し」を書かせることが自然なのでは、と思ってしまいます。
(2)脅迫状の「訂正個所」について
「写し」には、「脅迫状」の2か所の訂正部分について、いずれも、「訂正前」の①『4月28日』(後日、「29日」であることが判明されますが)、②『前のもん(門)』の文字が書かれています。
この①と②については、判読するのに一定の「注意力」がいると思われますが(特に①)、それにもかかわらず、「訂正前」の文字のほうを「写し」に書かせ、「訂正後」の文字である①「五月2日」②「さのヤ」のほうの文字を「写し」に書かせたのはなぜなのでしょうか。
とりわけ、①の「4月28日」についていえば、「写し」では、脅迫状の本文の1行目の上に「付け加える」ようにして、「4月28日の夜るの12時に」と書かれています。
「写し」の文章の流れでは、1行目で、「子どものいのちがほしかたら」のあとに、2行目の「金二十万円女の人がもて」と「続けて」しまっていることから、「4月28日(5月2日)の夜12時に」の部分を「書き飛ばし」て、後で「追記」したことになります。
これは、手本とした「脅迫状」の本文の1行目の後半部分が、訂正部分を含んでいることもあり「ごちゃごちゃ」していると石川さんが感じて、石川さんが「写し」を書くときに、「飛ばして」作成しまったため、脅迫状の写しの本文作成後に、警察が石川さんに指示して、1行目の上に、「4月28日(5月2日)の夜12時に」の部分を追記させたのでしょうか。
そのようなことをさせてまで、「4月28日の夜るの12時に」と書かせたのであれば、なぜ、「五月2日」の訂正文字についても(同様に、「前のもん(門)」の訂正後の「さのヤ」の文字についても)、「写し」に再現させなかったのでしょうか。
長々と思いつきを書いてしまいました。申し訳ございません。管理人様のお考えなどを
お聞かせいただければ、幸いでございます。
すみません。訂正となります。
(2)の6行目で
~「訂正後」の文字である~「写し」に書かせたのはなぜなのでしょうか。
としましたが、
~「訂正後」の文字である~「写し」に書かせなかったのはなぜなのでしょうか。
でした。失礼いたしました。
コメントありがとうございます。
結論から申し上げると、私(管理人)としては、そういった「写し」と脅迫状との差異について、ことさら大きくとりあげる必要はないのではないかと考えています。
刑札がこの「写し」を作らせた一番大きな理由は、それを元に筆跡鑑定をして石川さんが有罪であるという証拠にしたいということでしょう。そして、当時の状況として、石川さんも自白を維持していたために、少々の異同は措いて、とにかく体裁として「石川筆跡が脅迫状と合致した」という鑑定を少しでも早く得ることが最優先だったと思います。
ご指摘の部分以外にも、
(原文ママ)などという明らかに日本語になっていない部分や、ウソ字で書かれた部分(例えば「夜」)、さらには脅迫状では「西武園」と正しく漢字で書かれているものを「西ぶヱん」という2ちゃんねる用語みたいな書き方をした部分があります。逆に言えば、練習してもこれだけ元の脅迫状と差異があるものしか書けなかったということでもありますが。ちなみに、元の脅迫状では漢字の当て字はありますが、ひらがなの使い間違いはありません。
刑札としても、「5月8日までに生きている犯人を挙げろ」という国家公安委員長の檄や世論のプレッシャーもあり、できるだけ早く裁判を始めて片付けてしまいたかったのでしょう。そうでなければ、完全な真似ができるまでじっくりと練習させて、もっと完成度の高い模写を作らせたのではないかと思います。
そもそも練習させて書かせる以前に
本人が普段書いている何かしらの文字・文章
例えば はがき 手紙 ノート 履歴書 学校での作文
それらを鑑定・検証すれば良い話ですよね。
元々 そのような文章や作文を書く能力が殆ど無かったとすれば・・・
有罪の証拠としては全く意味を持たないと思うのですが。
最高裁判決では、石川一雄が東鳩東京製菓株式会社保谷工場勤務時代に書いた早退届も有罪判決の根拠の一つに挙がっていますが、この早退届はどこかで見ることができるのでしょうか?
また、本エントリでご紹介されている上申書は1963年5月21日、石川一雄が犯行を否認していた時期に書いたもので、文面も「5月1日は兄と共に8時ごろから16時ごろまで仕事をしていた」と虚偽のアリバイを申し立てる内容となっていますが、犯行自供後、9月6日に関源三にあてて書いた手紙(左)と脅迫状(右)を比べてみると以下のようになります。かなり似ていると言っていいのではないでしょうか。
特に上段の中央はひらがなの「れ」ですが、書き方が極めて特徴的です。
http://24.media.tumblr.com/b5dd27eaaa3143d5210b0d7116761f38/tumblr_mm7r77MUWs1qg9sxko1_1280.jpg
石川さんは文字を書くことができませんでした。しかし、自供後、「脅迫状をお手本にして」文字の練習をし、ある程度の文字が書けるようになりました。その後、警察や検察に言われるがままにいろいろな文書を書きのこしています。従って、6月以降の石川さんの筆跡が脅迫状に似ているのは単に当然の結果で、それ以上でもそれ以下でもありません。
また、東ハト勤務時代の早退届に関して、石川さん自身は、文字が書けなかったので同僚に代筆してもらっていたと証言しています。この点について「今の時代に文字が書けないなんてことがあるのか」と疑義を呈する人もいるようですが、石川さんは後に文字が書けないことが理由で東ハトを退職しています。
早退届そのものに関してはどこかで見た気もするのですが、今思い出せません。ちょっとお時間をください。
そのような石川さんが「書いた」とされる早退届が証拠採用されて有罪の根拠の一つになってしまったことも、いろいろな意味で残念なところです。
お返事ありがとうございます。
逮捕翌日(1963年5月24日)の毎日新聞夕刊によると、脅迫状との筆跡の類似について、石川は「同じ日本語だから似ているのが当たり前だ」と発言していたそうです。すなわち、このとき既に自分の筆跡が脅迫状と似ているのを認めていたことになります。
脅迫状を手本に字を学んだので徐々に筆跡が似てきたとすると、この発言は説明がつかないのではないでしょうか。
その毎日新聞夕刊の記事を引用します。
つまり、当該の発言は、犯行を否定する中で警察を皮肉ったものであって、「自分の筆跡が脅迫状と似ているのを認めていた」趣旨ではないことが明らかです。
横からですみませんが
>筆跡も同じ日本語だから似ているのが当たり前だ
この発言がもう、石川さんが読み書きに関して完全に無知で天然な人物だったという証左になってると思うんですよね
つまり、ろくな教育を受けられず日常生活や仕事で読み書きということをほとんどしてこなかったが故に
石川さんの頭には「人間には固有の筆跡がある、それが一致すれば証拠になる」という発想や概念自体が存在していなかったのだと思います
自分自身の字を見たことがなければ、読めないのだから他人が書く字を見る機会もほとんどなかったでしょうし
「筆跡に個人差が存在する」なんて夢にも思っていなかったのでしょう、字なんて日本語なんだからみんな同じなもんなんじゃないの?と
きちんとした習字教育がある人物ならば、こんな発想は出てこないと思います
クラス中に一斉に字が張り出されて、あの子の字は綺麗、誰々は下手ってみんなに晒されて
子供の頃から優劣をつけられるので、嫌でも筆跡には個人差があり、指紋と同じ個人の特定の材料になると自ずと知っているはずです
彼は自分がなんでこんなに何度も執拗に書けない字を書かされるのか、その意味自体よく理解出来ていなくて
それが自分で自分自身にとって不利になる証拠を作り出す練習行為だ、ということ自体を全く理解出来ていなかったのでしょう
だからこそ警察に言葉巧みに誘導させられてしまったのだと思います
コメントをありがとうございます。
「筆跡も同じ日本語だから似ているのが当たり前だ」という石川発言について、管理人さんとまたたびさんで正反対の解釈をなさっているのが興味深いと思います。
1.管理人さんの解釈だと「当該の発言は、犯行を否定する中で警察を皮肉った」、つまり反語である。
2.またたびさんの解釈だと、筆跡に無知だったからこその天然発言だった、つまり反語ではない。
これに加えてもう一つ
3.「ヤケクソになって論理も条理も無視して強引に開き直った」という解釈も可能です。石川が真犯人であるにせよないにせよ、刑事に「お前なんか出たら殺してやる」と食って掛かったほどの錯乱ぶりからすると、3が真相だったのではありますまいか。
一般論として皮肉を言うのは高度な知的作業ですから、よほど精神的に余裕がないと難しいと思います。それまで警察に逮捕されたことがなかった石川には到底そんな余裕はなかったのではないか、というのが私の考えです。
なお、石川は逮捕の2日前に自宅で上申書を書かされているので、さすがに「自分自身の字を見たことがな」かったということはありますまい。
ともあれ、判決によると、事件前に書かれた早退届等も脅迫状の筆跡や用字上の特徴と一致しているらしいので、私としては何とかしてそれを見てみたいという気持ちです。他人が代筆したという説もあるようですが、事件の容疑者に浮かび上がらなかった赤の他人の筆跡や用字上の特徴が脅迫状と似ているとすれば実に面妖な話です。
「一般論として皮肉を言うのは高度な知的作業」というのはどうでしょうね。「お前の筆跡は犯人と似ている」と言われて、「そりゃ日本語なんだから文字の形が似ているのは当たり前だ」と返すのは、売り言葉に買い言葉のタグイであって高度な知的作業とは思いません。
ただし、またたびさんがおっしゃる、皮肉でも何でもなくナチュラルにそう言ったという説も頷けます。おそらく当時の石川さんは「筆跡」という言葉は知らないでしょうから、「お前の文字の書き方(形)が犯人が書いたものと似ている」という説明の仕方をされれば、「そりゃ日本語なんだから文字の形が似ているのは当たり前だ」と返すのは、ある意味でごく自然な流れでしょう。
それと、この事件に関しては例えば例の万年筆など、「実に面妖な話」は他にもいくらでもありますので、別に驚くほどのことではありませんよ。
「そりゃ日本語なんだから文字の形が似ているのは当たり前だ」という返答を「皮肉」と分析なさったのは管理人さん、あなたです。「皮肉」と「売り言葉に買い言葉」では意味が全く違います。皮肉とは反語やほのめかしを使って遠まわしに当てこすること。売り言葉に買い言葉とは、脊髄反射的に言い返すこと。
「売り言葉に買い言葉」に該当するのは解釈3.「ヤケクソになって強引に開き直った」場合ですね。
例えば私が今ここで貴方に対して「ああそうですか。教えていただいてありがとうござんした」と言えば、それは「皮肉」でもあり、「売り言葉に買い言葉」でもあります。両者は確かに違うものですが、一つの発言が両方に該当することはありえます。
そして、もし私がそういう発言をしたとしても、「高度な知的作業」の結果の発言ではありません。たとえば、「ありません」という言葉を文法的に分析すれば、「ラ行五段活用動詞『ある』の連用形+助動詞『ます』の未然形+助動詞『ぬ(ん)』の終止形(撥音便)」となります。しかし、だからといって「ありません」と発言するのにいちいち文法を気にすることは(日本語の母語話者であれば)ありません。
それと同様に、相手の言葉に対して「売り言葉に買い言葉」で「皮肉」を言う程度のことは、普通の人が日常的に、無意識に行っていることです。
老婆心ながら申し添えておくと、事件当時の石川さんは、教育の機会を奪われていて文字が書けなかっただけで、知的に問題があったわけではありません。
初めまして。
色々な事件について、大変興味深く読ませて頂いております。
管理人様の鋭いご意見には感心させられるばかりです。
しかしながら石川さんの筆跡については、以下のページのまとめが最も正しく感じてしまいますが、いかがでしょうか?
http://matome.naver.jp/odai/2136782885376089801
先日このブログにたどり着いたばかりの初心者で、既にお話されているようでしたら申し訳ありません。
ご意見お聞かせ頂けると嬉しいです。よろしくお願い致します。
脅迫状と早退届の文字はどう見ても同一人物のものとしか思えません
今までは完全な冤罪と思っていましたが、警察の証拠捏造などの勇み足などを突きながら部落差別問題にすり替えていった感が拭えません
まるでOJシンプソン事件とそっくりな展開ですね
脅迫状を書いた人=真犯人とは言い切れませんが、石川さんは事件と無関係ではないと今の自分は思っています