筑波本に掲載されていた都井睦雄の写真は、報告書の写真をトリミングしたもののようです。元の写真を置いておきます。
鹽田末平検事の論文によると、睦雄は身長5尺5寸(約167cm)、体重16貫位(約60kg)とのことです。昭和22年の「国民栄養の現状」によれば、昭和22年時点で31~40歳の男性(睦雄と同年代)の平均身長は160.6cm、体重は54.35kgとのことですので、それと比較してもかなり大柄かつ恰幅の良い体格だったことがわかります。写真でも頬がふっくらとしており、肩幅も広く体格の良さを感じさせます。
この写真で睦雄が着用している服は詰め襟になっています。ぱっと見たときは国民服かと思いましたが、国民服は同じ詰め襟でも立折り襟なので違うようです。青年学校の制服ではないかという推測もできます。
いずれにしても、犯行当日の服装は「黒の詰襟」であることが報告書にも明記されていますので、この写真の服ではないと思われます。
青年学校の制服とゆう推察で間違いないと思います。国民服には、甲号と乙号の二種類があり、現存する国民服は、ほぼ国防色(カーキ色、陸軍色)です。茶褐色や緑がかりのカーキ等もありますが。
軍服、学生服に様式が近いものは、乙号となります。甲乙ともに、折襟もしくは開襟ですし。
犯行時の足元様相ですが、地下足袋は日本陸軍では軍制式の官給品ではありませんが、全国どこの歩兵連隊も部隊単位で購入され、下士官兵に支給されています。敵前での突撃前に編上靴から履き替え、防音効果や湿地帯歩行に効果があったと聞いています。
巻脚絆については、長時間行軍地に血液降下防止に大変優れていて、巻き始めはきつくて苦しいものの、時間の経過とともに太ももから爪先までが一本の棒のようか感覚になり、凄く楽になります。私自身、登山等で当時のゲートルを巻いていますが、非常に重宝しています。
当時の青年学校には、現役将校や在郷軍人による軍事教練が盛んで、睦雄も実体験から身支度を整えたんでしょうね。
コメントありがとうございます。
青年学校の制服であれば、この写真は少なくとも睦雄が青年学校に進学した昭和7年以降ということになるでしょうか。
ゲートルの効用については知りませんでした。参考にさせていただきます。
睦雄は青年学校にはあまりマジメに通わなかったようですが、こういうところだけはきっちり取り入れていたということでしょうか。あるいは、丙種合格(不合格)になっただけに、少しでも兵隊気分を味わいたかったのでしょうか。
当時の岡山の状況を考えてみますと、岡山歩兵10連隊は、事件前年の昭和12年支那事変初期から出征しており、地元紙では連日、郷土部隊の活躍が報じられおり、睦雄と同年代の青年は、現役兵入営後、満期除隊できずに派兵されたわけですから一層肩身が狭く感じたのではないでしょうか。
支那事変が長引くとともに、岡山県下では大がかりな動員下令があり、兵役にとられる事のない睦雄は、益々、周囲の目を気にしていたとも考えられます。
更に、津山事件直前の昭和13年3月〜5月の除州攻略戦では、岡山10連隊は1番貧乏クジを引いたのではと思われるほど、前哨戦の台児荘の戦いで、大損害を被っています。(津山出身で、後に著名な兵隊作家となる 棟田 博 もこの戦いで負傷)
戦死者だけでも数百人規模ですから、県下全体が深い悲しみに包まれていたことでしょう。
山奥の部落で、恐ろしい凄絶な事件があったらしいが、ウチもそれどころじゃあない といった家庭がたくさんあったと思われます。
睦雄の遺書に、日本国家に申し訳ないとか、この時局をのりきるために云々とか 記述があるように、当時の一般的な思想をもちあわせているようにも思います。
岡山でなく、出征部隊のない土地に睦雄が住んでいたとしたら、もしかすると多少は閉塞感が和らいでいたかもしれないですね。
コメントありがとうございます。
睦雄は昭和12年7月頃から出征兵士歓送に欠席するようになり、そのことで「本家のじいさん」から注意されたようですので、かなり頻繁に兵士の出征はあったようですね。津山事件を報じる新聞に同時に徐州陥落のニュースが掲載されていますが、その攻略に岡山連隊が参加していたとは知りませんでした。ご教示ありがとうございます。
30年?ほど前にも奈良県の田舎で、十人以上の虐殺(殺害十人以上が虐殺になる)があり、津山事件の再来か?と思いました。子供の頃のうる覚えなので、確かなことは解りません。十津川方面で、猟銃によるものだったと記憶しています。
津山事件ですが、被害者と自決した加害者、都井の遺体写真を見たことがあります。最近では長崎の事件(誤って自殺した犯人の遺体映像がニュースで流れた)等、悲惨な状態にただ絶句でした。
奈良県でそのような事件は起きていません
文庫版筑波本にも
【平凡で温和な顔だち】
とあるように、こちらの写真を見る限りでは、あのような恐ろしい事件を引き起こした張本人とはとても思えません。
睦雄は純粋で気が優し過ぎて、それだけに(仮名)内山のような悪い友人の甘い誘惑を断れなかったような感じすらします。
つくづくその人に課せられた宿命と言うか…残酷だと思います。
都井さんの、カラー解析された写真があれば、公開していただければ、幸いです。
絵に描きます。