狭山事件: 曜日について

『無実の獄25年 狭山事件写真集』より『無実の獄25年 狭山事件写真集』

曜日について。コメント欄にいったん書いたものですが、ちょっと思うところがあってエントリとして再度採り上げさせていただきます。

コメントで禅公案さまにご指摘いただいたように、昭和38年のカレンダーでは下記のようになっています。

4月28日 (日)
29日 (月・祝) 天皇誕生日(当時)、群馬県南毛地区対埼玉県の交歓会
30日 (火) 統一地方選
5月1日 (水) 事件当日、の誕生日、メーデー
2日 (木) さのヤに犯人現る(夜12時=翌3日午前0時とも言える)
3日 (金・祝) 憲法記念日
4日 (土) 被害者の遺体が発見される
5日 (日・祝) こどもの日
6日 (月) が自殺、ちなみに当日は平日(下記参照)
7日 (火) OGの結婚式予定日

なお、

  • 振替休日の制度ができたのは1973年(昭和48年)で、事件当時(1963年・昭和38年)は5月5日のこどもの日が日曜日でも6日は平日です。
  • 4日が「国民の休日」になったのは1986年(昭和61年)で、1963年当時は休みではありませんでした。また、当時土曜日は半日だった(学校も仕事も)ので、5月4日(土)は半ドン(ググってください)です。
  • 6日は新聞休刊日で朝刊は各紙ともお休みでした。

「4月30日は選挙があった」「OGの結婚式は5月7日の予定だった」などの情報から30日や7日は日曜日だったように思ってしまいがちですが、実際には火曜日です。さらに、当時は「飛び石連休」という言い方が一般的だったことでわかるように、ゴールデンウイークといっても大型連休にはなりにくい構造でした。この辺、現在とは感覚が違う気がします。

の身代金受渡日は、当初「4月29日」となっていたのが「五月2日」に訂正されています。ところが、4月29日は学校が休みでした。つまり、が29日に被害者あるいは他の子供(「少時様」の子供?)を狙おうと思っていたとすると、実際に5月1日に起きたような、学校帰りに呼び出してあるいは捕まえてという形ではありえないということで、4月29日に計画していた誘拐の日付を単純に5月1日に変更したという推理は成立しないということになります。この点から、日付訂正は犯人の偽装であり、実際には29日に誘拐計画はなかったものと考えたいところですが、そうなると「なんのための偽装だ」という疑問が出てきます。この疑問に対するスッキリとした答えは今のところありません。

ちなみに、この日付訂正に関しては、当初は28日といわれていたのがその後の鑑定で29日だったことがわかった(にもかかわらず石川さんの「自白」では「28日」となっており、石川さんの「自白」がウソであるという証拠の一つとなっている)という経緯もあります。

8 thoughts on “狭山事件: 曜日について”

  1. 管理人様の以下のお考えにつきまして、コメントさせていただきます。

    ≫ ~(4月)29日は学校が休みでした。つまり、真犯人が29日に被害者あるいは他の子供(「少時様」の子供?)を狙おうと思っていたとすると、実際に5月1日に起きたような学校帰りに呼び出してあるいは捕まえてという形ではありえないということで、4月29日に計画していた誘拐の日付を単純に5月1日変更したという推理は成立しないということです。一般的に言われている、真犯人による攪乱の可能性が高いのではないかという説に同意します。

    前回の私のコメントの際、被害者の日記の日付の曜日について書きましたが、以前にわたしも「昭和38年」のカレンダーを調べたときに、「4月28日は日曜日」、「4月29日」も天皇誕生日で祝日なので、「4月28日と29日と2日間連続で学校はお休みだ」という発見にわたしは少し興奮したのでした。

    「身代金受渡指定日」として脅迫状に書かれた「訂正前の日時」は、「4月29日の
    夜12時」ですので、「4月29日の夜12時」=「4月29日の午後12時」又は
    「4月28日の午後12時」の可能性がありますが、当初の「誘拐」を「4月28日」か「4月29日」のいずれに実行するとしても、両日とも「学校はお休み」で、通学路を狙うことができないので、犯人はどのような方法で誘拐をするつもりだったかを合理的に説明する必要があるはずだ、と思ったからです。

    ただし、純粋に「可能性」だけを考えれば、「身代金受渡指定日」と「誘拐実行日」は
    必ずしも同日ないし近接した日である必要はないので、たとえば、「4月27日(土曜)」までの通学日に誘拐を実行し、身代金受渡日を「4月29日」とするスキームも
    ありえないわけではないと思われますが。

    さらに、管理人様の記事で「被害者の日記」について書かれた内容をきっかけに、
    「4月29日」の被害者の日記の内容と、「脅迫状」の「訂正前の日付」との奇妙な符合を感じました。犯人は、何らかの理由により、誘拐の対象となる「子供」の「休日」における行動予定を知っていて、その「子供」が「4月29日」に確実に「外出」すると考え、その日を当初の誘拐予定日とした、ということも可能性としてはありうるのではないのでしょうか。

    そして、犯人は、「4月29日」の被害者の当初の予定の「狭山工業高校××××」を訪れることに狙いをつけていたが、急に、4月29日の被害者の訪問先が「伊勢崎工業高校」に変更になり、被害者が単独行動をとらず、友人と同行で移動することになるなど、誘拐に支障が生じたので、4月29日の誘拐をあきらめ、その結果、脅迫状の身代金受渡日も、「4月29日」の日付を訂正した、という考えも浮かんでしまいました。

    ところで、管理人様が書かれた、以下の内容について、お聞きしたいことがあります。

    ≫一方で、27日の誕生日おめでとうの話に出てくる友人の名前は見えています。しかし、公判で証言をした高校の同級生4人(ST、NT、KY、WY)とは違う名前(名字のイニシャルはN)です。なお、元画像がボケていて下の名前が読めません。この誕生日おめでとうの友人と29日の××××が同一人物という可能性もゼロではないと思います。だとすると29日の方だけ伏せ字にしているのがえらくマヌケですけど。

    上記で「元画像がボケて」とございますが、「元画像」は、解放出版社の「無実の獄 狭山事件写真集」の69ページではなく、別の資料なのでしょうか。
    わたしが持っております、上記の写真集では、「4月27日」の友人の下の名前は、
    「頭文字」が「S」で、カタカナで2文字の名前のように判読できるのですが。

    長くなりまして申し訳ございません。ご意見をお聞かせいただければ幸いでございます。

  2. そういえば、29日に狙われていたのはPTA会長の兄(下の名前が「しょうじ」さんだった)の子供だったのでは、という話もありましたね。OGについてならびに新聞記事をご参照ください。

    「元画像」はご指摘の通りです。確かにカタカナ2文字に読めます。名前だから漢字だろうという先入観があったので「読めない」と書いてしまいました。お詫びして訂正させていただきます。

  3. OG氏は、「しょうじ」の名前をもつ人物と面識があり、その内部事情についても知りうる立場にいた、ということですね。情報とご意見をありがとうございました。

    それにしましても、脅迫状に記載された「しょうじ」の文字は、謎めいていて、いつも頭から離れません。被害者の家への宛名は、被害者の父親のフルネームが書かれているのに(当て字を含みますが)、「しょうじ」のほうは、「少時 様」と、フルネームではなく、「姓」とも「名」ともどちらにも解釈できるように思え、「両義性」を意図的に狙ったのでは、と穿った見方までしてしまいます。
    また、脅迫状が入っていた封筒の「少時 様」は、数本の線の訂正線で「形だけ」消していると思えるのに、脅迫状の上端の余白の「少時」は、これでもか、というくらいに、簡単には判読できないように執拗に消している、と思え、その対比が、何とも不自然な気が
    してしまいます。

  4. 身代金受け渡し日は銀行が営業している日の方が都合がいいなんて事は?また、身代金受け渡し当日、現場に現れた人間はYさんがすでに殺されている…または間もなく殺される…ことを知らない人なのかも知れないと漠然と考えた私です。現場に行ったお姉さんと会話したとの記述を読んだ覚えがあるのですが、警察が張り込んでいることを既に気付いている内容でした。「そこに(警察が)2人いる」というような話だったと思いますが、これが事実だとしたら、人を殺しておいて、警察が来ていることまで分かっていながら声をかけるようなバカ…と言うか大胆、無神経な人がいるでしょうか?まんまと逃げおおせたからいいようなものの、その場で捕まってもおかしくないのに。フツー黙って立ち去ると思いませんか? ただ、警察に言われた事を知って逆上し、現場から逃げ帰ってから慌てて殺した…というなら理解できますが。

  5. 犯人が本当に身代金目当てだったのであれば銀行営業日の方が都合が良かったと思いますが、実際には身代金を取るつもりはなかったと思うのでその辺は正直どちらでもよかったのではないかとも思います。ただし、身代金目当てを「装っている」という立場では、例えば銀行休業日にほとんど時間も与えず身代金20万円(大卒初任給が2万円行かなかった時代の身代金20万円ですから、現在の感覚で言えば200万円くらいでしょうか)を用意しろという、明らかにムリな要求はするべきでないという考え方もできます。

    さのヤに現れた人間が誰か、そして何のために現れたのかは、この事件の最大のナゾであり山場です。明らかに捕まらない自信があってやっているということから、被害者の身内説、刑札官関与説、果ては「劇団おまわり」説などにもつながっています。個人的には刑札官関与説が一番無理なく説明できるかなあ、と考えています。さすがに「劇団おまわり」は刑札にとってリスクが大きすぎると思いますが、「そこに二人いる」と言い切り、包囲を突破して悠々と逃げ切ったということは刑札側の配置までわかっているということで、何らかの形で刑官が犯人グループに関与している可能性は高いと思います。

  6. 管理人様  最初、私は真犯人が(子供)かと思っていました。ハッキリ言って杜撰で無謀、お粗末な犯罪だと思いますが、まんまと逃げたところを見ると、すごく幸運な偶然が味方したか、周囲がバカすぎたのか、行く先々で煙幕を張って捜査の手から護ってくれる保護者がいたか…。 私個人としては脅迫状の誤字、当て字は犯人の工作ではなく、本人そのものを表しているような気がします。これは近くで育った私の母や叔父達からのエピソードが参考になっていますが、叔父などは従兄弟達が勉強をしないと、中学の友達からの寄書きを見せ「こんな恥ずかしい文章が一生残るんだぞ!」と言ったそうです。また、数年前、家をリフォームした時に人から紹介された狭山の内装屋さん、ファックスでやり取りした文章が絶妙です。年齢的に不可能ですが、そうでなければ(この人が真犯人では?)と思いたくなるような誤字、当て字でした。「見本は女母(女房)が伝車(電車)で行くので後々(午後)行きます。」という具合で、父はこの人が知的障害ではないかと疑っていたようでしたが、会話は普通で内装の腕も良かったそうです。昭和30年代の狭山は本当に江戸時代のようなド僻地で、読み書きが出来るかどうかなんて大した問題ではなかったような地域でした。被害者Yさんのお兄さんやPTA会長やA先生は当時の堀兼ではトップインテリジェントではないでしょうか?

  7. 掲載画像について。

    この訂正された「五月2日」ですが、

    1、 うノ 2
    2、 うノ12 
    3、 うノ21
    4、 うノ 2日
    5、 うノ12日
    6、 う月2日
    7、 う月21
    8、 う月2日

    のどれかだったように見えません・・・か?

  8. 1237について、 日の前段階として「ヒ」を想定、 元々の二画目を書き足したとする、 1’ 、2’ 、3’ 、7’ としたいと思います。

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