狭山事件入門: 被害者の家族

被害者の長兄と次姉とぬこ毎日新聞昭和38年6月23日付より 被害者の長兄と次姉とぬこ

以下、被害者家族の情報です。生年で(?)がついているのは没年齢や事件当時の年齢などから推定したもので、1年くらいのズレがある可能性がありますがご容赦ください。

  • 父親。明治38年(1905年)生まれ。平成2年(1990年)没。
  • 母親。明治41年(1908年)生まれ(?)。昭和28年(1953年)没。享年45。死因は脳腫瘍。入院して10日前後で急死したこともあり、この死に疑問を感じる人もいる。1933年に嫁入りしてきた翌朝、庭に墓石が投げ込まれていたという話がある。
  • 長女。昭和9年(1934年)生まれ(?)。事件の8~9年ほど前に家を出て東京で働いていた。実家とはほとんど縁を切っており、その後結婚して子供が出来た時も実家に入れてもらえなかった。
  • 長男。昭和12年(1937年)生まれ(?)。ご存命。詳しくは下記。
  • 次女。昭和15年(1940年)生まれ(?)。昭和39年(1964年)没。享年24。自殺だった。詳細は下記。中学卒業後、高校に行かず家業を手伝っていた。さのヤに身代金(に見せかけた包み)を持っていった。
  • 三女。昭和16年(1941年)生まれ。昭和18年(1943年)没。享年3。
  • 次男。昭和19年(1944年)生まれ(?)。昭和52年(1977年)没。享年33。自殺だった。女言葉で書かれた奇妙な遺書を残している。
  • 四女。昭和22年(1947年)5月1日生まれ。昭和38年(1963年)5月1日(?)没。享年16。狭山事件の被害者。
  • 三男。昭和27年(1952年)生まれ(?)。後に他家に養子に出た。

被害者はもともと7人きょうだい(三男四女)でしたが、長兄以外のきょうだいは全員死去するか通常でない形で家を出るかしています。

そのことと、被害者宅が裕福な農家だった(「百万円様」とあだ名されていた。さらに、父親は地区の区長を務めていたこともある)ことから、「被害者の長兄が遺産相続で独り占めをするために他の兄弟を次々と排除していった、その手始めが狭山事件である」という「長兄犯人説」が唱えられています。この説は、もともとは亀井トム氏が提唱したもので、一時期はほとんど定説になっていました。また、石川さんの裁判においても弁護側が一時期、長兄とは名指ししていませんが身内犯人説(「両墓制」に関する議論など)を石川さん無罪の立証根拠に取り入れるなど、単なる推理にとどまらず社会的にも影響を与えた説になっています。

現在でも、殿岡駿星氏が「狭山事件の真犯人」の中で長兄犯人説(はっきりとそう書いてはいませんが、前後を読むとほぼその内容になっています)を採っています。ただし、例えば、亀井氏が何人かの共犯者(特にOG)を想定していたのに対して、殿岡氏は長兄のほぼ単独の犯行を想定しているなど、両者の説にはいくつかの差異があります。いずれにしても、「狭山事件の推理」の歴史の中で、長兄犯人説はいわば主流派として有力な見解と考えられてきたことは間違いありません。

長兄説の根拠は他にもいくつかあります。

  1. 脅迫状と自転車の発見の経緯が不自然。また、時間的にも長兄が被害者を捜しに行って戻ってからすぐ(10分以内)という絶妙のタイミングで脅迫状が差し込まれており、長兄の自作自演とでも考えないと説明がつかない。
  2. さのヤに犯人が現れた理由として、捕まらない自信があったからではなく、万一捕まってもその場にいておかしくない立場の人間であったからだと考えれば、被害者家族であり、さのヤ近くまで次姉を車で送ってきていた長兄はまさにその立場にある。
  3. 自転車が普段被害者が置いていたのと同じ場所に置かれていた。これは身内の犯行を示唆している。(2009年3月15日注:この点については伊吹本にて「普段は母屋に置いていて、たまに物置に置くこともあったという程度であり、『普段被害者が置いていたのと同じ場所に置かれていた』というのは正しくない」という指摘がありました)
  4. 石川さんの裁判において刑札に迎合し、石川さんを有罪に陥れるような証言をしていた。
  5. 事件発生当時からマスコミに対して聞かれてもいないのにいろいろな推理を披瀝したりなど、哀しみに沈むはずの被害者家族としては怪しい行動が多い
  6. 死体埋没の状況が、身内による犯行を示唆している。(「両墓制」の話、ならびに「頭の上に置かれた石は、掘り出す際にスコップ等で遺体の頭部が損傷するのを防ぐためのものであった。つまり、犯人は葬儀の際に遺体を見なくてはならない身内である」という議論)

特に1.と2.が最も大きな根拠として従来指摘されてきました。しかし、1.に関しては公式に考えられているよりも実際の事件発覚は早かったと考えられるので、根拠になりえないと思います。ただし、自分が疑われる根拠にされているのを知っていたのにも関わらず、なぜ長兄が公式の時間経過を支持する証言を維持し続けたのか、は謎として残ります。

長兄説のこれ以上の詳細と反論については、例によって「狭山事件を推理する」サイトをご参照ください。私(管理人)としては長兄説には賛同していないことを申し添えます。一番の理由は、当時の農家における家父長の権威の大きさを考えると、遺産相続の問題は殺人に手を染めるには弱いと思うからです。当時の農村のしきたりからいって長兄(家父長権を相続する人)が田畑をすべて相続するのは常識でしたし、もし万一四女である被害者が何か言ったとしても状況が変わったとも思えません。また、遺産相続以外に、被害者が被害者宅の何らかの公にしたくない「秘密」(下記の不倫云々等)を体現しているので、それが他にバレないように殺したという説もありますが、こんな殺人事件になったら、それこそそのような「秘密」を勘ぐられるのは火を見るよりも明らかであり、秀才であった長兄がそれを考えないとも思えません。
また、伊吹本で、被害者宅の畑地はすべて市街化調整区域に指定されており、売り払って現金化することはほぼ不可能であったことも指摘されています。

被害者について。石川さんの裁判において「(被害者は)次姉とは腹違いの姉妹ではなかったか」という話が弁護士から出されています。根拠が示されておらず、前後の脈絡もなくいきなりそういう話が出てきているので、今となっては真偽はおろか質問の意図すらわかりません。ちなみに、被害者宅の兄弟の名前は、次男まで(長女、長男、次女、三女、次男の5人)は共通する文字が使われているのに、被害者(四女)と末弟(三男)だけ全く系統の違う名前がつけられています。末弟が後で他家に養子に出されていること、末弟が生まれた1年後に母親が急死していることと併せて、そのあたりに何らかの事情があったのではないかと勘ぐることは可能です。
2ちゃんねるなどでは、「被害者と三男は母親が不倫して出来た子供で、母親の「急死」はそれをとがめられてのこと。被害者が狭山事件で殺されたのは、その家族の秘密を守るためである」という推理もありました。ただし、それだと「種違い」という表現になるべきで、なぜ「腹違い」という話が裁判という公的な場所で出てきたのかは、今もって不明です。

次姉について。次姉は長兄の中学時代の同級生と婚約しており、事件の1年後に入籍していました。その数ヶ月後、石川さんに一審で死刑判決が出た直後からノイローゼになり(医師が正式にノイローゼと診断しています)、ほどなくして自殺しました。ただし、「となりのトトロ」の都市伝説で言われているような、「妹を捜して必死に歩き回っていた」とか「『猫のお化け』『大きな狸に会った』などの意味不明な証言ばかりしていた」という事実はありません。
自殺の理由は「次姉は佐野屋での会話等から真犯人を知っており、冤罪である石川さんに死刑判決が出たことを気に病んで自殺した」と推測されていることが多いのですが、本日掲載した写真(石川さん逮捕直後の写真)を見る限りではそういった屈託は感じられないことから、私(管理人)はその説には懐疑的です。
また、次姉の「夫」が石川さんの裁判で「妻」である次姉の葬式には呼ばれなかったと証言し、突っ込まれるとあやふやな証言を繰り返したあげくに「嘘はつけないから」と言って口をつぐんでしまったことから、次姉の死の背後にも何か隠されていることがあるのではないかという推測もあります。次姉のお墓はこの「夫」の姓になっていますが、なぜか実家(被害者宅)の墓所に建てられています。ただし、伊吹本によると、「夫」の家の墓所にも次姉の墓はあるようです。

長女と次女は中学卒で家の手伝いに入り、長男と次男は高校卒でした。特に長男は中学時代学年トップの秀才だったにもかかわらず「百姓に学問はいらない」という父親の考えで大学に行かせてもらえなかったという話があります。それに対して四女(被害者)は高校(実際には専修学校扱いで高卒の資格は取得できない学校でしたが)に行かせてもらい、三男(末弟)は大学も出ています。それが時代の移り変わりによるものなのか、あるいはやはり被害者と末弟は家族の中でも別の扱いだったからなのかについては不明です。いずれにしても、一般論として昭和30~40年代に進学率が大幅にアップしたのは事実であり、これをもって四女と三男が家族の中で別扱いだったという根拠にすることは難しいと思います。参考として、文部科学省による大学進学率のデータを挙げておきます。

2009年3月15日追記:伊吹本の情報に基づいていくつかの点を書き直しました。いちいち書いていくと読みにくくなるので、変更点は明記していません。入門編ということでご容赦ください。

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23 thoughts on “狭山事件入門: 被害者の家族”

  1. 管理人様 バイトに明け暮れてご無沙汰で〜す。被害者の家族紹介、興味深く拝見です。以前にも管理人さん推薦サイトで家族の簡単なプロフを見ましたが、今回の記事には上のお姉さんの勘当みたいな状況や自殺した次姉の葬儀の件や、成績優秀な長兄の進学出来なかった事情など、私にとっては新情報満載でした。昔の農家の長男は同じ理由で進学させてもらえなかった人は大勢いるみたいですよ。下手に学歴つけてしまうと家を継いでくれなくなるからだそうです。お兄さん達は高校は出ているみたいですが、お姉さん達は高校に行っていませんよね。子供を差別したわけではなく、時代の流れと考えるのが自然だと思いますが、同居して毎日家族の世話や家事に明け暮れていた次姉は、悔しい思いもしたのではないかと思います。私も長兄説はほとんど脳裡にありませんけど、長兄も、自殺した次姉、次兄、何か言えない事があったのだと思います。皆で誰かを庇わなければならない立場にあった可能性もあるし、また、単に誰かに疑いを持っていたことも考えられます。気になるのは次姉の写真の表情です。屈託ない…なさ過ぎませんか?ニュースとかでも、身内を殺した犯人が捕まって、こんなにニコニコする家族って私見たことないです。普通は憎しみで胸一杯じゃないですか?まるでI氏が捕まってルンルンみたいですよね。それで判決が出たら自殺なんてドカ不思議です。自殺の原因が妹さんとは関係ない個人的な事という可能性はないのですか?たとえば、ご主人に他に女がいたとか…

  2. こんばんは。学歴については「時代の流れ」ということで当然と考えた方がよいような気が私もしています。例によって根拠はありません。ただ、被害者の日記に「帰りが遅くなって姉と口論した」ということが書いてあった件について、その時も書きましたが、次姉としては「私や長姉は中学卒で家のために働いたのに、この子だけ高校に行かせてもらった上に夜遊びして……」という気持ちはあったのではないかと思います。

    今回の写真について。ご指摘通り、私自身この写真を発見した時には違和感いっぱいでした。もうちょっとなんというか、「犯人が捕まっても被害者はもう帰ってこない……」みたいな沈んだ感情があってもよいのではないかと。

    「夫」が葬儀に呼ばれなかったとか、墓が実家に建っていることと併せて、「夫」が次姉の自殺に関係しているのではないかという見方ももちろんあります。2ちゃんの一説では、「『夫』は狭山事件の犯人だった。動機は次姉と被害者の両方と関係を持ってしまい、そのことが被害者にバレて問い詰められたからだった。次姉は(上の写真の後で)そのことを知り、石川さんが冤罪であるのに死刑になったことで二重のショックを受けて自殺した」という推理もありました。ただし、もしそういうストーリーであれば被害者の日記に何らかの記述が残っていると思われ、真っ先に疑われると思いますので、私としてはあまり賛同できません。

  3. 管理人様 次姉の夫のアリバイは証明されていますか?血液型は判っているのでしょうか?その彼氏が真犯人とは思わないのですが、彼氏もどこかで絡んでいるとしたら…次姉を逆上させるような行動がなかったのかな〜?被害者の日記に書き込みがなくても、家族に見られてはマズイ事は書かない可能性もあるし、16歳ってワリと残忍な遊び心のある年代なので、気持ちが全然入ってなくても、面白半分に大人をからかったり、誘惑するくらいのことは有り得ます。

  4. 管理人様 久々に時間に余裕があり、ご推薦の関連サイトを流していましたが、N家の人達の書いた文章を読んで、I氏逮捕時の長兄の手記、次姉の遺書らしきもの、次兄の自殺後に発見された女言葉の文…どれを見ても全て抽象的な歌詞風で意味不明。文章力のない人間が無理にカッコつけてポエム風に書いたみたいに感じますが、当時の流行だったのでしょうか?特に次姉と次兄の文はソックリですが、カレンダー裏に書かれていたそうだから、次姉が死ぬ前に書いたものが、何年も経った後まで残っているのは有り得ないですね。次兄が書いたとしても、それは遺書とかではなく、作詞したとか、誰かの書いた文が気に入って書き留めたってことは有り得ませんか?ただ、次姉の遺書も見れば見る程謎々ですね。だって死ぬ理由が書いてないものね。書かなくても皆が分かっているという事でしょうか?自分がこんな人間なので良い子は生まれないとか…妊娠していたのですか?それとも単なる未来への恐怖?結婚してもY氏とは別居のままだったようですが、2人の仲に溝を作ったのは、やはりY枝さんの事件なのでしょうね?なのに何故早々と入籍したのかな〜?

  5. 次姉の夫のアリバイについて書かれた資料は記憶にありませんね。そういえば。今度改めて確認してみます。次姉と「夫」が正式に式を挙げる前に入籍したのは、入籍することで税金面で有利になるから、とのことです。私(管理人)も同じことをやったことがあります(笑)ので、この辺の理由付けは理解できます。「暮れのボーナスに間に合わせるため」と書いてある本もありますが、所得税の扶養控除は12月31日時点の扶養家族数で判断するので、年末に急いで入籍したということだと思います。

    被害者の日記について。公開されている部分だけでも姉とのけんかを含めて結構思ったことをそのまま書いているように思うので、次姉の「夫」と何かあったのであれば痕跡くらいはあったのではないかと思います。それはOG(と被害者には関係があって、事件当日呼び出したのもOGという説があります)にも言えることではありますが。その辺、日記を全部読んでみたいところではあります。しかし、16歳のおにゃのこの日記を読んでみたいと公言するのもアレですね……。

    被害者宅の人たちの文章については同感です。ポエム風というのは、言い換えればノストラダムスの大予言のように、取りようによってはどうとでも取れる文章とも言えますね。

  6. 事件は最初、女子高生の発案による狂言誘拐として始まった。
    少女は、「おこづかいが欲しい」ことを繰り返し日記に綴っている。
    小遣いをめぐって家族と争い、毎晩ふとんの中で涙を流すほど悔しい思いをしていた少女。
    うちは裕福なのになぜ私にはもっとお小遣いをくれないのか、私は粗末にされている、もっともっと大事にしてほしい、そう思っていたに違いない。

    この少女が、なんらかのきっかけで石川兄弟と知り合った。
    ちょうど「吉展ちゃん事件」が話題になっていたので、それにヒントを得て狂言誘拐を計画した。
    身代金の額が20万円と当時としても非常に少ないのは、もともと16歳の少女の金銭感覚で設定した額だからである。
    誘拐事件で悲劇のヒロインになれば、日ごろ冷たい姉さんたちも私のことを大事にしてくれるようになる、そういう計算もあったかもしれない。

    少女がガード下で立っていたのは、狂言誘拐の共犯者と落ち合うためであった。
    ガード下で教師に見られて困惑したのはそのためである。
    気が強く、運動神経も体格も良く、男に対してはっきりノーと言える性格の少女が「誘拐事件」の犠牲者になったのは、そもそもこれが狂言誘拐だったためである。
    共犯者と落ち合った少女は、ジョンソン基地払い下げのトマトで誕生祝いの食事をした。共犯者グループには、石田養豚場関係の別の人間も加わっていたかもしれない。

    中田家に自転車で脅迫状を届けたのも少女自身だったかもしれない。
    とすれば、自転車がきちんと定位置に戻してあったのは、無意識にいつもの癖が出た結果だろう。

    本来は、実家から20万円をせしめた上でそれを山分けし、少女は無事に家へ戻るはずだった。
    しかし、なんらかの手違いで少女は命を落とすことになった。
    身代金の分け方をめぐって争いが生じたのかもしれない。
    結果として1円も取れなかったので仲間割れが始まったのかもしれない。
    気の強い少女から何か腹の立つことを言われた共犯者が、怒りのあまり発作的に殺したのかもしれない。
    あるいは、劣情を催した共犯者が「俺の取り分をよこさないなら体で払え」とばかりに少女を犯してしまい、口封じのために殺したのかもしれない。

    結果として石川一雄は逮捕されたが、本当の共犯者の存在を自白するわけにはいかなかった。
    兄まで逮捕されたら石川一家は破滅だからである。
    兄の関与を隠すために自供は「俺は知らない」「入間川や入曽の友人とやった」「やっぱり俺一人でやった」「実は何もやっていない」などと二転三転し、不自然な内容となった。共犯者しか知らないことまで無理やり自白させられたことや、手柄を焦った警察が証拠を捏造したことが、不自然さに輪をかけた。

    少女が狂言誘拐を企んでいたことを、中田家の長兄たちは薄々悟っていた。同じ屋根の下で暮らしていただけに、少女の企みを察知する機会があったのかもしれない。
    いずれにせよ、これだけ大きな騒ぎになったからには、妹の狂言誘拐が事件の発端だったと世間に知れたら、中田家もただではすまないという恐怖。
    それが法廷における長兄の挙動不審ぶりとなってあらわれた。
    長兄の不審な態度は、旧家の長男として身内の恥を隠そうとする努力のあらわれである。

  7. 権現橋様含め沢山の方の真摯な推理を読ませて頂けて有難く思います。
    ただ、途中から警察や検察、裁判官までが隠蔽や捏造にさえ協力している印象が払拭できないでおります。
    正直私は石川さんには何の思い入れもありません。
    ただし、石川さんは殺人などはしていないと思います。
    長兄さんの同級生で別居婚のYさん、初めジョンソン基地出入り日本人の人脈は私も気になります。
    私なりに国立歴史民俗博物館資料室に通い詰めて、現地を1人又は2〜3名で複数回歩いて見て、何度かきんじょの人にインターセプトをされました。怖かったですよ。一定の距離でついて来て振り返ると顔をそむける。また進むと付いてくる。雑木林に隠れたら探しておられました。ご遺体埋設からは農村に潜む儀式性、様式性を感じ、一方では高度経済成長に差し掛かる時期の利権と選挙にも関係していると感じています。
    私は毎回J党に投票してますが、赤坂地区のJ党員さんには真相の一旦を知る方もいらっしゃるのではないでしょうか?
    ただ、被害者さんには申し訳ないが、リークすることは地区の安定に不利益になるなどの事情も有りそうと感じております。
    Y枝さん日記と埋設の仕方を知らなければこんなに関心を持ちませんでした。もちろん次姉さんの遺書、長兄さん手記、次兄さんのまるで次姉さんの遺書の未公開箇所をダイイングメッセージにしたかのようなカレンダーの走り書きも同様です。
    それから今や狭山市駅は有料特急が止まる駅なのに荒神様〜ご遺体発見現場周辺は未だに道路整理がメチャクチャで通常の感覚で駅に向かうと所々で通せんぼになっています。
    未だに土地利権では揉め事でもあるのかと邪推してしまいました。
    ただ、Y枝さん方付近のE牧場の方は柔和で親切、戻しました看護学校付近で脱輪した際にも地元の方は親切でした。
    権現橋さんまたぜひ推理をお聞かせ下さい。人権問題にすり替えた論調が事件の本質解明を阻害し、あたかもY枝さんが、死して尚セカンドレイプにあっているようで胸が痛みます。
    亡くなった事件周辺の皆様に合掌。

  8. 更に追伸です。
    もしも、真面目、快活、優等生の被害者さんが狂言誘拐まで決心するとしたら、グループ交際にせよ優等生、スポーツマンのM君の存在への思慕以外考えられません。
    もちろんM君の沈痛な表情から、M君自身が犯罪に関わっているとは全く思えません。
    でも、憲兵さんだったお父さんの権威は絶大で、戦後も田舎ならその名残はあったことでしょう。
    優秀で偉い人になっているであろうM君(さん)も何か知っていることはある筈。
    なんの力もない僕にはY枝さん地蔵にお参りするくらいしかできませんが、万が一宝くじが当たったら伊吹さん、管理人さん、そしてやや強面で悪質系にも食い込んで取材してくれそうな宮崎学氏に謝礼をお支払いして真相究明して頂きたいと思っております。
    ただ、素人なりの民俗学研究をしていると部落事情は関西と関東ではまるで事情が違います。更に東北になると半農半漁は当たり前で動物の解体や、半定住、半エグザイルの職能集団は殆ど差別されていません。それに関西の部落の方々ですとエセ被差別を収入源にしてる人も少なくないこと、隣国系の方も混ざっており、関東の様に鎌倉幕府とも親交のあつい極楽寺の非人面祭り、鎌倉から入間川までの交通の要で死馬の解体と弔い、下級官吏、下級宗教者の歴史とは大きく異なるとは思います。
    ただ上品、紳士な伊吹さんには気の引ける調査は宮崎学氏には向いてる気がするのです。
    ちなみに僕はくじ運が悪く宝くじ当たったことはありません。

  9. 〝いいとこのお坊っちゃん〟だったM君はH中時代、生徒会長で学業もスポーツも一番、 ハンサムで長身、野球部で活躍し、女生徒達の「憧れの的」であっただけでなく、「あまりに優秀なので、坊主頭にするのが決まりだった当時のH中で唯一、髪を伸ばすことが許されていた」という生徒でした。
    しかし、事件後は周囲との付き合いを一切断ち、同じ名門・K高校に通う同期生とすら話さなくなってしまっています。また、彼は50年間、一度もH中の同窓会にも出席していません。
    H中同期で同じK高校出身者たちは皆有名大学に進学し、現在も豪邸住まいの方ばかりですが、M君だけは中堅スーパーに就職し、今も小さな古びた家でひっそりと暮らし続けています。

    普通に考えれば、事件に対して彼が責任を感じることなど何もないはずですが、なぜかあの日以降、彼の生活は一変してしまったようです。その没落ぶりを見ていると、やはり彼は何らかの形で(犯人ではないとしても)事件に関わっていたのではないか、あるいは何かを知っていたのではないか、と思えてならないのですが・・・。果たして真相はどうなのでしょうか?

  10. そうなのですね。M君も誰かに話せれば楽になれたのかも知れませんね。
    賢いM君が誰にも話さないと判断されたのは伊吹様のおっしゃる通りか、「大人」
    たちの説得によるものなのでしょうか?
    高校進学後のそこまでの変わり様から、おまわりさんも励ましがてら話を聞いてあげていれば真犯人
    又は結果的に協力してしまった人物まで辿りついたかとも思います。
    こんなことを書くと都市伝説以下かも知れませんが、無理やり憲兵〜特務機関〜(ジョンソン基地)〜高度経済成長などと連想ゲームをすると国レベルで隠蔽しないと国益にさえ反する場合、なんらかねの真相に気づきつつあったPTA会長さんの亡くなり方も何か仕組まれていた可能性も妄想してしまいます。あと、事件後のある時期にPTA会長さんが不自然にトラックか何かに弾かれそうになったと言うのは事実なのでしょうか?

    蛇足ながら、大津市はじめ虐め事件(強盗や自死強唆に近い気もしますが)への多くの学校の対応を見ていますと、Y枝さんの高校の先生の供述はしっくりと腑に落ちるのに対して、PTA会長に筆跡を見せなかったり、後々のA先生及び他の中学校の先生たちのお話も嘘や何らかのバイアスがかかったものであった可能性は高いと思います。

    人権問題にすり替えられる以前であっても中学校の先生たちのお話はどうもすっきりしません。
    更に伊吹さんのインタビュー集に記載されたA先生に対する怒りに満ちた証言の中に「出自」などの
    言葉を見ると中々時系列と周辺情報の整理ができないでいます。

  11. 伊吹様、管理人様。
    最近また、某巨大掲示板スレを読んでいるのですが以下の書き込みの信憑性がきになっいます。是非ご意見お聞かせ頂けたら有り難いです。

    281 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/05/24(日) 10:26:06.11 ID:J6uKXGaL0
    >217
    >247
    >その後の少時氏の活躍ぶりも考慮せよ。

    少時がだれのことか分かった。
    http://wwwinfo.city.sayama.saitama.jp/gijiroku/g08v_search.asp
    「堀兼村大字堀兼」で検索

  12. 私は既にコメントを書き入れた木村眞也と申す老人です。狭山事件に関心を持ち現地調査をしたり関連図書などを読み漁っておりますが、どうも納得がいくものに巡り会えません。もちろん石川一雄さんの冤罪は確信しておりますが、それでは誰がやったのかということになるとなかなか得心を得られるものに出会えないのです。ただ、伊吹隼人さんの「狭山事件」が私にとっては最も真摯な推理を重ねているように思えます。そこで,この本のまえがきに書いてある「あるインターネットの狭山事件関係サイトの存在を知り、そこにアクセスしたことにより同じ興味を持つ複数の方たちと知り合い新たな情報を得た。」との記述を頼りに私も同じ狭山事件関係サイトにアクセスして情報や意見を賜りたいと思ったわけでございます。果たしてこのサイトがそうしたものであるのか、IT音痴の私にはさっぱりわかっりません。そうしたサイトの存在を教えて頂きたいと思います。よろしくお願いいたします。

    1. その狭山事件サイトは当サイトと別のものですが、残念ながらある事情により、その管理者とは10年以上前に「今後は直接お互い関わり合わない」との申し合わせが出来ています。そのため、私も以降はアクセスしておらず、どのような状況になっているかは全く分からないままです。
      なお、私の真犯人についての推理は今もほぼ変わっていません。N家に恨みを持っていた某政党員(主犯)+主犯と親しかった養豚場従業員2~3名(実行犯)+養豚場従業員、善枝さん両方と付き合いのあった不良少年Yということで、OG氏は知らずに事件に巻き込まれ、結果的に「ごく一部犯行に加担してしまった人物」と考えています。

  13. 私は昨年11月にこのサイトに投稿した木村眞也という老人です。この事件については随分たくさんの本を読みましたが、石川さんが真犯人ではないということは、よく分かるにせよ、それでは誰が犯人なのかという点になるとどうもフに落ちない推理が横行しておりますね。この点、伊吹さんの推理の方がはるかに説得力があるように思えます。
     ただ、(私のような初心者が意見を述べるのは僭越かとも思いますが、)伊吹さんのお考えに私なりの一抹の疑念があるとしたら、この事件が、主犯以下、多数の犯人によるものではないかとする点です。複数の人間が関わったことは分かりますが、もし3,4人にせよ多数の人間が関わったとすると(伊吹さんは人数を特定していませんが、)長い間には必ず何らかの足がつくのではないかという思いです。殺人という凶悪な事件を起こすような者は、まじめに正業に励むことなど出来ず、どこかで警察のご厄介になるであろう可能性は高いし、その際は余罪を追求されて、自ずと狭山の事件との関連性が浮かびあがってくるのではないかという考えです。それ際、警察が既に一件落着としたものとしてそれらを無視ないしは隠蔽しようとすれば、これは又、警察の闇ということになりますね。
    以上、初心者として私なりの疑問を述べさせていただきました。
     
    その他、主犯の政党関係者とはどういった筋の方か、いろいろな疑問が次から次へと湧いてきます。このサイトで伊吹さんを初めいろいろな方々のお知恵を授かることもいいのですが、もしこのようなことを話題に集まる機会がありましたら教えてください。又現地調査の予定も是非教えてほしいと思います。
     よろしくお願いします。

  14. 複数の犯行であっても、迷宮入りとなった事件はたくさんあります。この事件も、あの作業量から考えれば、やはり単独犯の可能性は極めて低いのではないでしょうか? しかも、場面場面で色々な立場、性格の人間が現れていて、「すべてがバラバラ」という印象もありますし…。少なくとも、「被害者と親しく、信頼もされており、一緒に誕生祝いを行うような(誕生日も知っている)人物」+「少女を残虐な方法で殺す血も涙もないような凶悪な人物」+「何も知らず食事(トマト等)を与えるような人物(※これから殺害する相手にわざわざ食事を与える必要など何もないはずです。ただ体内に不利な証拠を残してしまうだけですので…)」の「計3人」は関与しているものと考えるべきでしょう。ただ、警察が早い段階で「石川氏の単独犯行」と決め付けてしまったため、結果的に彼らは網に引っ掛からなかったのだと思います。
    なお、もう少し暖かくなりましたら(木村さんお1人の場合でも)、現地のご案内はさせて頂きます。
    3月~GWくらいになると思いますが、このブログにも候補日をいくつか出させて頂きますので、宜しければその節はぜひご検討ください。

  15. 佐野屋主人(木村眞也という80歳の老人ですが,以後このペンネームとさせていただきます。)
    伊吹隼人さんからこのような誠意あふれる返信をいたきまして感激しております。私自身、単独犯であるとは思っておりませんが、多数の、特に養豚場関係者が含まれることについて一抹の疑念を抱いたに過ぎなく、それも今回の伊吹さんのお話でほぼ払拭されました。
     ただ、私が当初その様な思いを抱いたのは、私自身の一寸した原体験がありそのために浮かんだ思いに過ぎないのですが、それについて綴らせていただきます。
    私は事件当時、ある新聞社の国会記者クラブでアルバイトをしておりましたが、そこでこの事件での警察の体たらくぶりに内閣が右往左往している様子が手に取るように分かりました。
    どんなことをしてもホシを挙げねばという焦りから、当時不良のたまり場であり,且つ、被害者の家にも近く、被害者の姿を日常的に見ていたと思われる養豚場関係者を徹底的に調べ上げる、そしてその線から石川一雄さんを容疑者としたわけですが、指紋など決定的な証拠もなく、しかも一か月近くも否認し続けていることからして(一か月は信じられないほど長い。)他の養豚場関係者についても更に更に並行して調べが進んだのではないかと思います。養豚場関係者の中には、石川さんの”犯歴”などよりはるかに重い、例えば強姦などを犯した者もいた訳ですから、彼らに対しては、それこそ、徹頭徹尾調べ尽くしたのではないかと思われてなりません。と、言うわけであまり論理的ではありませんが(というのは警察はその焦りとメンツのために石川さん犯人説にこだわり、他の養豚場関係者の捜査を辞めてしまった可能性もありますから。)私の頭に浮かんだ疑念を一端をを綴らせていただきました。
     コロナが下火になって伊吹さんとお目にかかれる日をそれこそ、一日千秋の思いでお待ち申し上げております。有難うございました。

  16. 木村眞也様
    とりあえず、来月1日(事件発生日=善枝さんの命日:今年で59年目)に、事件現場の撮影(定点記録用)を行う予定です。もし、当日ご都合宜しいようでしたら、是非ご同行ください(木村さん以外でも、このブログを見ている方で興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、どなたでもお気軽にご参加ください)。正式な見学会ではありませんが、一応資料も何部かご用意しておくつもりです。雨天の場合は中止、またその他止むを得ない事情で中止の場合は、出来る限り早くにこのブログで告知をさせて頂きます。
    なお、当日は13時に西武新宿線狭山市駅橋上改札前で狭山事件の本を持って立っておりますので、見かけ次第お声掛け頂ければ、と思います。
    もし木村様がその日ご無理な場合には、5月中ほかでご都合のつく日などお教えください。私の方では、他の日程でもう一度撮影に行くことも検討中ですので…。色々とお手数で恐縮ですが、どうぞ宜しくお願い致します。

  17. 残念ですが、本日は午後から雨とのことなので、現地見学は中止と致します。5月中にはまた改めて現地撮影を行う予定です。
    しかし、今日は午後から雨がぱらついて、16時頃からはそれが強まるということで、事件の日とソックリの天気になりそうですね…(昭和59年にも、「午後から雨が降ったり止んだりで、16時から豪雨」という、まったく同じ天気になったことがありました)。

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