狭山事件: 被害者の胃の内容物

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あちこち話が飛んですいません。コメントで被害者の胃の内容についての話をいただいたので、胃の内容物の写真です。被害者の遺体を解剖した結果、

  1. 茄子
  2. トマト
  3. 玉葱
  4. 馬鈴薯
  5. 人参
  6. 米粒
  7. 小豆

の8種類の食材が胃の内容物として確認されています。しかも、写真でご覧いただけるようにほぼ咀嚼したままの、皮の原型をとどめたままの状態です。

この、胃の内容物に関する論点は大きく分けて2つあります。

  • 「時間」に関するもの:通常、法医学的に、食べたものは食後2~3時間程度で胃から腸に送られて胃は空になると言われています。確定判決の認定では、被害者は昼12時頃調理実習のカレーライスを食べた後は特に食事をすることもなく午後4時30分頃に殺されたことになっていますが、このような未消化物が胃に残っていたことと明らかに矛盾しています。
  • 「内容」に関するもの:上述の調理実習のカレーライスに入っていたものは、「肉、馬鈴薯、人参、玉葱、福神漬」+ごはん(米)でした。明らかに「茄子、トマト、小豆、葉」はカレーライスには含まれていなかったものです。また、自宅で食べた朝食には赤飯が出たとのことですが、最後に被害者が確実に目撃されたと思われる3時23分の時点ですでに朝食からは7時間以上が経過しており、朝食の赤飯の小豆が胃の中に残留していた可能性はほとんどありません。

このあたりの議論の詳細は、「狭山事件を推理する」サイト内「法医学的考察2」ならびに「法医学的問題の決着」をご参照ください。
結局、上記の2点を考慮すると、「被害者は1日の夕方以降にどこかで茄子、トマト、小豆、葉、おそらくはそれにプラスして玉葱、馬鈴薯、人参、米を含む食事をとり、その直後、長くても2時間以内に殺害された」というのがもっとも妥当な推論となるという、「狭山事件を推理する」サイトさんの結論に全面的に同意します。

1日夕方以降に、いつ、どこで、誰と、何を食べたのか。これがわかれば、狭山事件自体を解決したも同然でしょう。

特に、茄子とトマトは本来夏の野菜であり、5月初旬にはハウス栽培ものしかありません。現在ではハウス栽培ものは一年中安価に出回っていますが、当時は高級品でおいそれと手に入るようなシロモノではなかったと思われます。また、現在でも狭山市周辺の農業の中心は狭山茶などで、トマト栽培のビニールハウスを狭山市内で見ることはほとんどありません。茄子については漬物だった可能性もありますがトマトについてはその可能性は薄い(ただし、コメントで青トマトの塩漬けのようなものが当時あの地方でも食べられていたというご指摘をいただきました)こともあり、刑札にはこの点をもっと突っ込んで捜査していただきたかった、さらには2審の寺尾裁判長も「カレーの付け合わせとして同級生の誰かが持ってきた可能性もある」などという証言も証拠もない全くの憶測で済ませるようなことをしてほしくなかったところです。

また、現在のようにコンビニ弁当やファミレスもなかった当時のことですから、これだけ多様な食材を一度に食べられる食事がどのようなものであったかという点も疑問が残るところです。当時の農村では若者は結婚するまで親と同居していることが多かったようで、自宅でこういう食事をするとすればまず家族と顔を合わせることになったのではないかと思います。ただし、この点で、OGにはまたしても「新居を使える」というアドバンテージがあります。また、飲食店については刑札でもそれなりに調べたが、当日被害者のような女子高生が食事をした飲食店を見つけることはできなかったというような話をどこかで読んだ気がします(すいません今ソースが見つかりませんので、この点不確かです)。被害者は当日セーラー服のまま出歩いており、その格好で「誰か」と飲食店に入ったのであれば、これだけ話題になった事件でもありますし何かしらの目撃証言が出てくるでしょう。

そうすると、何らかの弁当のようなもの可能性の方が高いのではないかと思います。「狭山事件を推理する」サイトの管理人さんは「赤飯入り」「折詰め弁当のようなもの」ではないかと推理していらっしゃいますが、私(管理人)の小さい頃(昭和40年代……年齢がバレますねw。ちなみに生まれ育ったのは狭山市と方向は違いますが、やはり東京から電車で1時間くらいの小都市です)の実感としては、「弁当」というのは

  • 家で作って持って出る昼飯用弁当
  • 慶弔ごとの時に取る、あるいは会社などでまとめて取る仕出し弁当
  • 駅弁

の3種類くらいで、「折詰め弁当」のようなご飯の入った弁当をお店で気軽に買って食べるという習慣はなかったような覚えがあります(この点は多分に個人的偏見ですので、異論があればお願いします)。

そう考えると、弁当方面では下記のような可能性に絞られてくるのではないでしょうか。

  • 慶弔ごとといえば思い出される、結婚式を間近に控えていたOG。結婚式用の仕出し弁当であれば赤飯も入っていたでしょう。ただし、5月7日に予定されていた結婚式の仕出しの準備を1日に始めていたというのも考えにくいのですけど。
  • 前日が選挙(統一地方選)だったので、選挙用の仕出し弁当の残り。あるいは、当選祝いの赤飯弁当の残り
  • 当日がメーデーだったので、何かのメーデーイベントに参加した人向けに用意された弁当の残り

ただし、昔はそういう仕出し弁当や駅弁にはトマトは入っていなかったと思います。大きいトマトを切って弁当に入れるとベチャベチャになりますし、トマトが弁当の具としてメジャーになるのは、80年代以降にいわゆるプチトマト(写真集ではない方)が多く出回るようになって以降だったのではないかと。そうなると、トマトはどうやって食べたのか、がまた別の問題として出てきます。

いずれにしても、こういった可能性を一つずつ刑札が本気で捜査していれば、真犯人にたどり着くことはできたのではないかと思います。

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コメント / トラックバック 11 件

  1. モカ より:

    とても詳しい説明をして頂いてありがとうございます。サイトの方も今までかかって読みました。この内容の食材で、当時の一般家庭で食べていたようなお料理を想像すると、玉葱&ジャガ芋&人参は煮物、茄子と葉は漬物(葉は汁物かも)、それにご飯、デザートにぜんざいなどの豆、又はお赤飯…誰かが家庭での食事の残りを持って来た可能性もありますね。OGさんは当日、実家で夕食を摂ったようですがメニューに興味ありますね。でも、これくらいの物はどこの家庭でもありそうなので特定は難しいですね。やはりネックはトマトになってしまいますが、そのいい加減な鑑識がトマトだと分かったのはやはり赤い色だったからではないでしょうか?そうなるとやはり、出荷用でなくても自宅用に栽培されたトマトがあるか、他家から貰うかしたのでしょうか…。運送会社勤務のOGさん数日間の積み荷は何だったのかしら?こんなに何十年も経ってからでは、分かっても証明出来ない事も沢山あるでしょうね。

  2. モカ より:

    今日もメニューについて考えていたのですが、バイト先のオバチャンに食材を言って、どんなメニューが思いつくか聞いてみたところ(ポテトサラダ)という意見が出ました。私の知っているポテトサラダはジャガ芋、ニンジン、玉葱の他にキュウリやハムなども入っていますが、季節的にキュウリがなければキャベツなども使うことがあるし、ハムがなければ入れないで作ることもあるそうです。メニューがひとつ増えました。それから今、思い付いた事は、OGさんはもしかすると同性愛者だった可能性が示されていましたが、周囲の人から見ても女性的なタイプという事は、お料理も作ったりしたのかも知れません。そして、遺書には「病気に負けた」と書いてあったらしいのですが、私の推測では、その病気が性癖の事だったにしても、それを苦にしたり、結婚生活への絶望感ではなく、たとえば同性愛相手に頼まれ手を貸した事への絶望だったのではないかと考えています。

  3. 管理人 より:

    OGの当日の夕食については、親類が実家に酒を持ってきてそれで宴会をしていたとのことで、基本的に酒のツマミ系の食べ物だったと思われます。その残りを持って行ったと仮定した場合、小豆がちょっと引っかかりますね。小豆が入った食べ物でツマミになるものが思いつきません。(想像するだけでちょっと気持ち悪くなってきました(笑))

    なお、OGは少なくともその宴会が始まった5時頃から7時頃までは実家にいたと、酒を持ってきたOGのイトコが証言しています。7時過ぎまで被害者を建築中の新居に待たせておいて、それから残り物を持って行ってトマトパーティーというのも、今の都会ならいざ知らず当時の田舎の村では時間が遅すぎる気がします。それなりの内容の食事をさせているくらいですから、待たせる間縛り付けて監禁していたというわけでもないでしょうし。

  4. Ӷ より:

    管理人様 確かに時間的にも無理がありますね。私もY枝さんを殺したのがOGさんとは思いませんが、誘い出しや食事を提供したのはOGさんが一番身近で自然な相手だったような気がするので…。何より、OGさんの自殺は事件に関与したことが原因だと思うので。ところで、その時代には今のようにコンビニで手軽にお惣菜を買うわけには行かないのは分かるのですが、お肉屋さんや小さな食料店でも簡単なお惣菜は売られていたらしいのです。また、赤飯のおにぎりは和菓子屋さんに売っていたと聞くので、地域の商店や狭山市駅付近にもあったかも知れません。トマトは出所が別の可能性が高いですが…近頃はトマトを見るたびにムカついて来ます。

  5. しま より:

    随分前の話題に書き込みすみません。

    茄子→生食でも浅漬けでもないとしたら→古漬け(壺漬け)
    トマト→生食ではないとしたら→ドライトマト(米軍関係者?!)
    玉ねぎ馬鈴薯人参→ポテトサラダor煮物
    米粒(餅米?)小豆→おはぎ(ボタモチ)
    葉→お新香(田舎@北関東ですが、今でも農家の人はお茶請けにします)

    暇にあかせてつい考えてしまいました。
    話は飛びますが、今ではGW前の土日に殆ど田植えを済ませてしまいますが、昔は機械もなく何人かで協力しあって田植えをしたそうです。
    5月1日はちょうど田植えの時期にあたりますし、農家は繁忙期で陽が落ちるまで外で作業に勤しんでいた…。
    上記の食べ物は畦に座っておやつ代わりに、又は縁側で地下足袋を履いたまま座って食べる物に近いんです。
    もしも複数犯だとしたら、農家の人、米軍関係者にもたどり着くと思うのですが。
    米軍関係者は調べたのか気になります。
    どうなんでしょうか?

  6. 管理人 より:

    放置が長くてすいません。

    被害者宅の周辺は、台地なので農家といっても畑ばかりで水田はほとんどありません。被害者宅でもゴボウや山東菜などが主力作物で、米は作っていませんでした。水田は、入間川沿いの地域(西武線の西の方)まで行かないとないと思います。とは言っても、5月はじめには畑作農家も農繁期なのは、「石川さんの『自供』通りの経路で被害者と犯人が歩いたとすると両側の畑で働いていた農家の人で目撃者が出ないのはおかしい」という文脈でも出てきますね。

    私は寡聞にして、この事件で米軍関係者を調べたかどうかについては知りません。ただ、かなり早い時期から被差別部落に絞り込んだ見込み捜査が行われたことは明らかなので、おそらく調べたとしてもおざなりなものだったと思われます。

  7. しま より:

    農作業については当日は夕方前から天候が崩れていたんですよね、また荒神様のお祭りもあったり。
    そんな日は働いても半日で切り上げる人も多かったかも知れません。
    脅迫状の日付改竄が計画的なら、5月1日しかチャンスはなかったかも。
    トマトについて、米軍関係者=出入りの日本人との想像です。懇意になれば珍しい物の入手出来るでしょうし。
    また全く違う方向ですと、西武新宿線を利用して東京方面で入手したとも考えられます。
    本当に知れば知るほどおざなりな捜査に失望しますね。
    それとも2mの資料の山の中にはあるんだろうか?(笑)

  8. 管理人 より:

    当日の雨の状況についてはこちらのエントリにまとめましたのでご参照ください。
    本降りになったのは4時20分頃で、それまでは降ったりやんだりでした。その天気の中で農家の人がどの程度働いていたかについては、有名な小名木証言があります。石川さんの裁判の中で、「殺害現場」のすぐそばで農作業(農薬散布)をしていたが、そのような2人連れは見なかったし悲鳴も聞かなかったと証言している人です。その方が午後2時頃作業を始めて4時30分頃に雨が強くなったので作業をやめた、と証言していますので、それまでの雨は農作業を切り上げなくてはならないほどの強いものではなかったと考えられます。

    このことは、被害者が3時40分頃に東中学で目撃された後、もし畑の中を徒歩で歩いたのであれば農作業をしていた人たちの目撃証言が出てしかるべきであり、どこかで車など周囲から見られないような移動手段に移行したということにもつながってきます。

    米軍関係について。私(管理人)の父が自衛官でよく米軍基地に出入りしていましたが、もらってくるのはSPAM缶など(しょっぱくてえらい不味かった記憶があります)が多く、ドライトマトなどの食品原料はありませんでした。一度「ステーキ肉」をもらってきたことがあって、「牛肉だぞー」と言われて期待して食べたところ固くて固くて歯が立たず、「ステーキというのは固くてマズいものだ」という記憶をすり込まれました。
    閑話休題。そもそも、当時の日本(私が知っているのは昭和40年代ですが)では、せいぜいミートソースやナポリタンでトマトケチャップを使う程度で、ドライトマトを使った本格イタリアンな料理は一般的でなかったように思います。被害者の胃の内容物からもイタリアン系食材(シーフードなど)は見つかっておらず、その系統の料理であった可能性は低いと思います。

  9. 米子 より:

    この食材を一まとめにして、「ミネストローネ」ができますね?

  10. より:

    〉米子様
    昭和30~40年代にミネステローネは一般家庭には普及してなかったのでは?
    多分、洋食屋、レストラン等、外食限定メニューだと思います。
    当時の狭山近郊に該当するお店はあったのでしょうか?
    それ依然に聴きこみ捜査で「事件当日、制服姿で食堂等に立ち寄った少女は居なかった」と判明していたと記憶してます。

    それに、ミネステローネにするとトマトは煮溶けますし消化時間も考えると皮しか残らないように思います。
    それに、消化の遅いベーコンや肉類が残ってませんから、
    やはり最後の食事は「野菜の煮物」=じゃがいも、人参、玉葱。
    「お浸しor漬物」=茄子、菜。
    「赤飯」or「和菓子」=小豆、米。
    「おむすび」or「米飯」=米
    「味噌汁」or「吸い物」の具として=茄子は季節外れのため、それ以外の上記の野菜全てが候補。

    時代背景や被害者の年齢や限られた時間を考えると、こんなメニューが妥当かと想像しました。

    トマトは完熟ではない限り5月の気候なら日持ちしたのではないでしょうか。
    当時、季節外れの高価なトマトを前もって用意していたのか、偶然置いてあったのかはわかりませんが、
    珍しい物なので、誕生日プレゼントとして被害者に提供したのでは?と想像しています。

  11. snownob より:

    昭和のトマトは砂糖をつけて食した。
    聞いたことがあるし、某居酒屋のメニューにもそう書いてあります。
    料理ではなく、デザートでは?

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