この辺のエントリでも批判した山口編集長がまた面白いことを言っています。ちょっと旬は過ぎてしまいましたが、記録として書き留めておきます。
ブログ「ダメダメ編集長日記」より。「産経の記者が外務省の担当者を煽って週刊朝日に抗議させた」という内容の週刊朝日の記事に対して、産経新聞から事実に反するので訂正してほしいという申し入れがあったという件に関して、山口氏は下記のように書いています。
さらに、産経新聞からも「訂正文掲載の申し入れ」が届きました。
これについては、本誌(編集長の私と上杉さん)はまだ回答を出していないので、
表に出すべきではないと思っていましたが、
なぜか産経新聞記者のブログに申し入れの内容が出ていました。
交渉中のやりとりを相手に断らずに公表するのはルール違反ですが、
まあ、そんなことはどうでもいいでしょう(太っ腹!)。
産経新聞記者のブログは、
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/775624/です。
阿比留瑠比さんという方で、
どうやら、前回指摘した「誤報記事」を書いた張本人のようです。
「誤報」に対する言い訳がずらずら書いてあります。
しかし、いくら言い訳しても、事実に間違いがある事実は揺るぎません。詳しくはまた別の機会にゆずりますが、
阿比留さんのブログを見た、私と上杉さんの率直な感想は、
「ヒマな人だなぁ…」
まず、マスコミの報道に対して訂正・謝罪を求める申し入れをした場合に、それを公表するのはごく普通のことです。報道された内容が虚偽である(と本人が信じている)場合に対抗できる手段はこれくらいしかありませんし、沈黙していれば「やはり事実なのか」ということになって報道被害は広がる一方ですから。産経自身がマスコミであり、報道手段を持っているという点で多少の疑義はあるにしても、一方的に「ルール違反」と断罪すべき行為とは思えません。
一応補足しておくと、交渉に入った後で「相手がこんなことを言ってきた」というやりとりをいちいち公表するのは確かにルール違反でしょう(公表することについて相手の了承を取得した場合を除きます)。しかし、今回の場合、産経が公表したのは産経側からの最初の申し入れの部分です。にもかかわらずそれを「交渉中のやりとりを相手に断らずに公表」したと意図的に歪曲することによって非難する。見事な週刊朝日テクニック(私が今命名しました)ですね。
また、「事実に間違いがある事実は揺るぎません」の1行で済ませていますが、現時点で週刊朝日の記事と阿比留氏のブログ(上記リンク)を読み比べる限り、公平に見て阿比留氏の叙述の方に真実味があります。おそらく、山口氏・上杉氏としては
「発売前日、産経新聞のA記者が盛んに煽っていました。報道担当に断固として抗議すべきだと――」(記者)
という匿名の記者の証言を根拠に、「報道した内容が真実である」と主張するのでしょう。「ニュースソースの秘匿」を盾に、ネタ元の公表は拒否しながら。そうなれば真実は闇の中で、そのうちウヤムヤになっていくものと思われます。
そもそも、自分が先にケンカを仕掛けておいて、その相手が批判された内容について事実関係を説明したことに対して、「ヒマな人」呼ばわりはないでしょう。取材相手・論争相手とどんなに意見が食い違っても対等な人間として敬意を払うというのは、ジャーナリストとして、いや、民主主義国家に生きる人間として最低限必要なことだと思います。マジメに相手をしていることを小馬鹿にしたような態度で受け流すことによって、あたかも自分の方が正当で上に立っているように見せかける。そういう小細工をするから、ネット社会でバカにされるんですよ、山口様。いや、かなりマジな話で。
話は変わりますが、森達也氏の『下山事件(シモヤマ・ケース)』には、こんなエピソードが掲載されています。
書いたことそのものを咎めるつもりはない。でもならば、その決意が具体的になったとき、僕に一言知らせるべきだろう。何の連絡もなかった。一度だけ朝日新聞社正面玄関前でばったり会ったときも、世間話だけで本のことについては、彼はまったく触れなかった。時期からすれば、既に書き始めている頃のはずだ。
山口一臣に電話を入れた。もちろん彼は、諸永の本が刊行されることは既に知っていた。自宅に本が届くまで知らなかったことを僕が伝えると、電話口で数秒沈黙してから、それはまずいなあと山口は吐息をついた。一ヶ月ほど前にゲラを見せられたとき、森に連絡はしたのか?と山口は確認したという。(中略)
この件について、僕は諸永に二度手紙を書いた。返事は一度だけ来た。連絡しなかったことについては謝罪すると書かれていた。謝罪されてもどうなるものではない。それは僕にもわかっていた。
森氏も柴田氏との関係ではいろいろあったようですが、少なくとも週刊朝日にネタを持ち込んだのは森氏であり、森氏に無断で本を出版したことについて、当時担当デスクであった山口氏は責任を感じなかったのでしょうか。アマゾンの『葬られた夏』の書評にある下記の批判を、もう一度山口氏に贈ります。
山口様も森さんと直接の面識があったのですから、「森に連絡はしたのか?と確認したという」というのは明らかな責任逃れですよね。本来ならゲラの段階で直接森さんに確認するか、そうしなかったのであれば、森さんから問い合わせがあった段階で謝るべきところではないでしょうか?
他人には事実関係を歪曲してまでルール違反を糾弾し、ご自身のルール違反については他人事のように「まずいなあ」で済ませる。いずれにしても、取材対象・論争相手に対する敬意も何もなく、売れればおk、話題になればおkというその態度には、感服するしかありません。
アマゾンといえば、『葬られた夏』のハードカバー版には山口一臣さんご本人かどうかわかりませんが、「やまちゃん」という人が書評を書いていますね。なんともいえない味のある文章で。
あの書評の著者は当初、「山口一臣」というハンドルだったんですよ。その後、上の記事で紹介したような批判があってしばらくしてから「やまちゃん」に変更されました。
「山口一臣」「やまちゃん」の中の人が山口一臣氏本人であるという証拠はありませんけど、書いている内容や、批判されたら「やまちゃん」に変更したことを含めて、山口現編集長本人だと私は思っています。
ある意味で愉快な人だとは思います。