狭山事件: 被害者の日記 その3

「女性自身」昭和38年5月20日号「女性自身」昭和38年5月20日号

被害者の日記の話の続きです。

日記は事件の年の1月1日から書き始めたとのことで、それ以前のものは存在していないようです。この点について、上の記事中の写真で次姉が胸に抱いている日記帳に「記念」という文字が見えますので、何かの記念(中学の卒業記念等)で日記帳をもらったことをきっかけに書き始めたのではないかという推測も可能です。ただし、この写真で見えている日記の表紙は、別のところで日記の表紙として公開されているものと明らかに異なりますので、単純に写真撮影の時に適当な本を次姉に持ってもらって撮影したということも考えられます。

日記の内容としては、まず、中三~高一としては文章がしっかりしているという印象を受けます。「今日は○○のスィーッを食べに行ったょ。チョ→ぉぃしかった♥」みたいな文章はさすがに時代的にも書かないでしょうが、それにしても背伸びした中にもういういしさの残る、好感が持てる文章です。

「姉さんが、アルバムからはがしてくれた」という被害者の写真が右上にあります。これは学生証の写真と同じものだと思います。この時期(5月20日号=5月13日頃発行なので、取材時はおそらく5月10日前後)にはまだ学生証は刑札の管理下にあった可能性が高いので、学生証の写真そのものではなく、学生証の写真を撮りに行ったときに焼き増ししたものを、次姉がアルバムからはがして記者に提供したのではないかと思います。ただし、事件翌日には被害者の自転車が被害者宅に戻っていたことも明らかなので、確定ではありません。
また、これももうちょっと調べないと確定的には言えませんが、この写真はこの記事が初出かもしれません。事件直後に出回っていたのはもう少し幼い感じの写真(こちらの記事の上2つ)でした。

(2009年3月30日追記): この日記が掲載されていた「女性自身」を、当初「昭和38年6月10日号」と記載していましたが、「昭和38年5月20日号」の誤りでした。お詫びして訂正いたします。また、それに伴っていくつか本エントリの内容を書き直しました。

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2 件のコメント: “狭山事件: 被害者の日記 その3”

  1. 善枝さんの使用していた日記が、当時より市販されていた「当用日記」であったことは、弁護側の調査でも明らかにされています。それにもし「卒業記念品」であるのならば、卒業前年から生徒に配布されることは普通無いでしょう。堀兼中の卒業記念品としては、「卒業記念アルバム・卒業記念文集・卒業記念品目録(ビーチパラソル・携帯拡声器・植木)」が渡されているので、この「記念」の文字や体裁からいって、おそらくこれは「卒業記念アルバム」だと思います。まあ、事件とは直接関係ありませんし、どうでもいいと言えばどうでもいい話なのですが(笑)。

    それにしても、この日記の「夕飯のとき(中略)みんな大笑いした。楽しい生活をしみじみ感じる」なんて記述をみると、「家族関係の崩壊・家族間の憎悪・財産を巡る争い」などという亀井説がいかにデタラメであったかが分かりますね。亀井氏はこうした記事はまったく読んでいなかったのでしょうか??

  2. コメントありがとうございます。やはり、写真撮影のために卒業記念アルバムを胸に抱いてもらったというところでしょうね。

    家族関係については同意です。

    ちなみに、弟さんの発言についてはもう一つ、「百万円様」と言われた豪農の被害者宅でも、昭和38年当時は麦飯が当たり前だったんだな、という感想を持ちました。私が小さい頃(昭和40年代)には既に「減反」という言葉が当たり前にニュースに流れていて、麦を混ぜるとかえって高くつくくらいになっていましたが、ちょっと時代が違うだけで「麦飯」=「安いメシ」というのが常識だったというのが実感としてわかります。狭山事件とは何の関係もありませんがw

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