狭山事件: PTA会長の証言

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週刊文春昭和38年6月10日号(その1)

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週刊文春昭和38年6月10日号(その2)

このPTA会長の証言は、その内容の重大さにもかかわらずこれまで本ブログではとりあげてこなかったので、別のところで話題になっていた機会に引用しておきます。

私立探偵の活躍ぶり

 地元からは民間協力者も現れた。PTAの会長もやっているMさんという人だ。
「うちの子が(被害者)さんと同級で生徒会の会長、彼女が副会長をしていたという縁もあってね。二日の日に民間協力者に指定されてたちあがったんだ。わたしはもと中野学校の出身でね。憲兵をやっていたから張り込みなどはお手のものなんだ。だから警備計画のうちあわせにも最初から参加したんだ。そして二日の夜、金をもって佐野屋に行くのをいやがった姉の(次姉)さんにずっとそばについているからとなだめて、連れ出したのもわたしなんだ」
 (次姉)さんが二日の夜、出るのをいやがったのには訳がある。前の晩、もしや犯人が日を間違えて来るのではないか、と張り込みをした際、彼女は刑事におどかされて、すっかりおじけづいてしまったのだ。一日の張り込みは居合わせた四、五人の警官だけで行われた。(次姉)さんは一人、佐野屋の前に立っていた。だが、月あかりの影になって位置がどうもよくない。そこで近くにいた刑事がソッと近よって彼女のソデをひっぱった。おどろいたのは(次姉)さんだ。
「キャーッ」
 けたたましい悲鳴をあげたのも無理はない。もし犯人がこの晩来ていたとしても、これではまず逃げ出したろう。なんとも間の抜けたはなしである。
「そうなんだ。まったく間の抜けた警察だよ」
 とMさんは語る。
「二日の夜、わたしの時計が十二時十分を廻ったとき犯人が現れた。わたしは(次姉)さんからほんの一間ほどのところにかくれていたんだ。犯人との会話がはじまった。彼女はわたしがリードするままに犯人を引きとめるべくいろいろと努力したんだよ。十二分……この間、張り込みの連中がいつとび出すか、いつ出るか、と思っているのに一向にその気配もない。
 それで、犯人が怪しみだして後退をはじめるといきなりピッときたもんだ。まったくあきれかえったもんだよ。とり逃がしたあとで、張り込みの連中を見廻しておどろいたね。犯人に最も近い位置にいた警官が、メガネをかけたりした年配の人ばかりなんだ。あれでは飛び出そうにも身体がきかない。見つけようにも眼もきくまい。ひどいもんですよ。
 もしあの晩、うまく逮捕できていれば、民間協力者として表彰は間違いないところだった。村の人も残念がってくれましてね。“あそこまでいったならお前がとび出してつかまえればよかったのに”なんていってね」
 Mさんはこういうが、村のMさんに対する評判は必ずしも良いものばかりではない。
「警察が協力者として頼んだのは警察の自動車では目立って具合が悪いから、Mさんの車を使うつもりだったんでしょう。それが、彼はこういうことが好きだもんで、張り込みまで出かけちゃった。おかげで犯人が気付いて逃げ出したんだよ。警察もそんな具合で格好がわるいもんで、Mさんに頼んだなんてことは少しも発表しないじゃないですか」
 Mさんのほかにも、二日の夜張り込み現場にはもう一人の民間人がいた。それは(被害者)さんの担任だった中学校の()である。()は県道をへだてた向かい側の麦畑にしゃがんで、(次姉)さんと犯人のヤリトリをやきもきしながら聞いていたのである。
 ところで、Mさんと(A先生)の二人はその後、警察たのむにたらず、と見てとったのか、私立探偵を開始した。Mさんは語る。
「あの場合、熱血漢なら黙っておれない。村の事情にくわしいわたし達が活躍すれば、きっと役に立つと思ったからだ。そんな訳で、怪しいと思われる人間を都合五人しらべあげたよ。
 アリバイなどに関しても、刑事や記者におしかけられて口をつぐんでしまった村の衆も、わたし達にはしゃべってくれるからね。筆跡もずい分苦労して集めて照合してみた。その結果、みなシロ、と出たんだ」
 こうしたMさんたちの働きに対して、“出すぎたことを”と苦苦しく思う人も村には多い。ましてや、怪しい、とみられてひそかに調べられた連中はハラの虫がおさまらないのだ。

PTA会長の証言を整理すると下記の通りです。

  1. PTA会長の息子(MHくん)は被害者と中学の同級生。MHくんが生徒会長、被害者が副会長だった
  2. PTA会長はもと中野学校で憲兵。張り込みなどはお手のものだった
  3. PTA会長は佐野屋の警備計画打ち合わせにも最初から参加していた
  4. 一日夜にも張り込みが行われた。場所は佐野屋前。居合わせた四、五人の警官だけで張り込みしたが、刑事がソデを引っ張った拍子に次姉が悲鳴を上げて失敗した
  5. 二日夜、犯人が現れたのは12:10頃。次姉が時間を稼いだが12分過ぎに犯人は逃げ出した
  6. 犯人近くの警官は年配で身体がきかなさそうな人ばかりだった
  7. PTA会長の行動を快く思っていない人もいた
  8. 二日夜にはA先生も張り込み現場にいた。県道をへだてた向かい側の麦畑にしゃがんでいた
  9. PTA会長とA先生の二人はその後、「私立探偵」を始めた
  10. 怪しいと思われる人間を5人調べ、アリバイや筆跡を集めて照合したが、みなシロだった

この証言を改めて読んで感じるのは、PTA会長の行動に反感を持っていた人も多かったというところです。「もしあの晩、うまく逮捕できていれば、民間協力者として表彰は間違いないところだった」という発言からも、PTA会長の目立ちたがりというか、功名心にはやった性格が推測できます。得てしてそういう人は敵が多いものではありますが、その早すぎる死にも、そういった周囲からの反感が影響していたのではないかとも妄想してしまいそうになります。


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6 件のコメント: “狭山事件: PTA会長の証言”

  1. PTA会長は刑札から事件の内容を聞かされたあと、すぐにH中に出向いて「Y枝と同期だった者たちの筆跡をみせてくれ」と頼んでいますし、彼が事件発生直後に被害者のH中時代同期生の犯行を疑っていたのはまず間違いないようです。A先生を張り込みに参加させたのも、おそらくは犯人の声や姿から「H中同期生の誰に似ているか」を確かめさせるためだったのだと思われます。

    しかし、考えてみると女子高生が誘拐されて身代金が要求され、「警察や近所の人間に話したら殺す」との内容の脅迫状が届いているのに、中学同期生の犯行を真っ先に疑う、というのもかなり異常な話です。A先生にしてもPTA会長の要請に対してすぐに応じているわけですし(彼は犯人逃走後の3日午後、教え子宅を訪問し、Y枝さんのことを尋ねたりもしています)、やはりその時2人には何らかの心当たりがあった、ということなのかもしれませんが。

    あと、上記記事で最も注目されるのは、PTA会長が「犯人に逃げられたのは、刑札に不手際があったため」としているのに対し、刑札は「PTA会長のせいで犯人に逃げられた」とみていることです。なお、これについては県警刑事部長・中勲氏も後日別のインタビューに対し、「(PTA会長が次姉に)『もっと前に出ろ、もっと前に出ろ』と言ったために犯人に気付かれ、逃げられた」とはっきり回答しています。

    私は、刑札がその後PTA会長の張り込み参加についてほとんど言及しなくなっている点からみても、「PTA会長原因説」の可能性の方が高い、とみています。
    これは想像でしかないのですが、犯人が次姉との会話の途中で言い出した「警察に言ったんべ。そこに2人いるじゃねえか」というのも、もしかしたら「PTA会長とA先生」のことを指していたのではないでしょうか?

    それにしても不思議なのは、張り込みの失敗以降、刑札もPTA会長もA先生の存在自体を完全に〝消して〟しまっていることです。刑札は最も近くで犯人の声を聞き、逃げる姿もみていたであろうA先生に対し調書すら取っていませんし、PTA会長も裁判等で「張り込みに参加した民間人は私だけでした」「ほかにはいませんでした」などと答えています(PTA会長自身、自ら希望して半ば強引に張り込みに参加しているのですから、A先生の参加も彼が無理やり刑札に認めさせたと、みるのが妥当でしょう)。
    私は、その夜A先生に何らかの不手際があったため、PTA会長もバツが悪くなってその参加を隠してしまったのではないか・・・とも想像しています。

  2. 一応、5月2日~3日の両氏の行動について時系列でまとめておきます。

    6:00 PTA会長氏が警察から連絡を受け、事件の概要について知る。会長氏は近くに住む交通安全協会の会長M・T氏を協力者として推薦(M・T氏の経営する工場兼自宅は、その後捜査の前線基地として使用されることになる)。

    8;30 PTA会長氏が被害者の母校・H中に向かう。到着した会長氏は校長室でA先生ら3人(被害者の中1・中2・中3時の担任)の教師および校長に対して事件の概要についての説明を行う。また、会長氏は被害者同期生の犯行を疑い、「全員の筆跡を見せてくれ」と依頼するが、校長はこれを拒否。その後、PTA会長氏はA先生を連れ狭山署に出頭する。

    10時30分頃 PTA会長氏・A先生が狭山署で事情聴取を受ける。

    時刻不明(13時頃からか?) PTA会長とA先生が山林(薬研坂付近と思われる)で2時間に亘って、捜索を行う。

    時刻不明(15時過ぎ~16時頃からか?) PTA会長氏・A先生ともにM・T氏宅で行われた張り込みの打ち合わせに参加。PTA会長氏は離れの応接間で次姉に対し、昨日同様身代金受け渡しの現場に立つよう説得する。次姉は最初渋っていたが、最終的にはこれを承諾。

    時刻不明(午後) A先生がN家を訪問。

    23時15分 A先生が張り込みに参加(PTA会長氏と一緒だったと考えられる)。

    23時37分 長兄氏の運転する車で次姉+警察官1人がN家を出発。

    23時55分 次姉が佐野屋前に到着。PTA会長氏は佐野屋木戸の内側に立ち、A先生は県道を隔てた向かいの麦畑にしゃがんで待機していた。

    5月3日0時10分 犯人出現。

    0時22分 犯人がPTA会長の存在に気付き(?)、逃走。

    時刻不明(朝方?) PTA会長が警察から事情聴取を受ける。A先生はこの時以降、「最初からいなかった」ことにされる。

    時刻不明(午後) A先生が教え子の家を訪問し、Y枝さんのことを尋ねる(成果なし)。

    時刻不明(※該当記事の掲載が翌日朝刊になっていることから推測すれば、昼以降か?) A先生がPTA会長の息子・MH君とともにN家を訪れる。

    時刻不明(夜) PTA会長とA先生がN家を訪れる。

  3. M会長の張込み参加は、次女とセットということで、警察も渋々承諾せざるおえなかったのだろうけど、A先生もとなると、それは無理だったのではないかなあ~・・・多分ですけど。
    警察にとって、A先生を張込みに参加させるメリットが何かあったとも思えないし、素人を参加させたら足手まといになるだけじゃないですかね?。

    張込みの結果は、まんまと犯人に逃げられ、半世紀以上に亘り世間の笑いものになるのだけれど、次女に平気で偽札を持たせている位だから、事前の心意気だけは、この取引での犯人絶対逮捕っだったはずですよね。(笑
    そんな時、犯人逮捕失敗も想定して声の確認の為だけに、修羅場になる可能性の高い現金受け渡し現場近くに、張込み経験も無い民間人を潜ませておくなんて、さすがの刑札でも断るんじゃないですか。

    そもそも犯人がA先生の教え子と限られてるわけでも無いですし、常に何10人もの変声期の少年たちを受持ち、それが毎年毎年大幅に入れ替る生活を送っているだろうA先生が、暗闇の中で、犯人の声だけを聞いて、何年卒の○○と、後の捜査に有効に役立つような的確な手懸かりを掴める可能性は、A先生が警察(刑札ではなく)犬の嗅覚並みの特殊聴覚の持ち主でもなければ限りなく0%に近いものではないかと思うのですが・・・。

    勝手な想像なんですが、A先生は朝学校でM会長から事件のあらましを聞き、Yさんの事が心配になり、夕方N家を訪問。 中座する訳にもいかず、そのままN家で父、兄たちと一緒に事態の成り行きを見守っていただけなのではないでしょうか。
    「自らの危険も省みず、教え子のために果敢に張込にも参加した熱血教師」の伝説は、M会長が後にはじめる探偵ゴッコのパートナ-に箔を付ける為、自分の手柄話に併せて触れ回った法螺だったのではないかと・・・・。

    いずれにしても、この文春の記事を拝見する限り、M会長という人物はアクが強くて興味が尽きませんね。
    自分勝手に色々なシーンを妄想して楽しんでおります。

    ・婦人警官登場となれば自らの出番がなくなる為、泣いて嫌がる次女を必死に説得するM会長。
    ・厄介な人物に民間協力を依頼してくれたものだと、頭を抱える県警刑事部長。
    ・何にでも出しゃばる父親が恥ずかしくてしょうがない、思春期のM君。
    ・卒業式でのM会長急死をうけて、沈痛な面持ちで、でも内心ホットしているH中教師陣。
                                                            など。

    伊吹様
    もしこの書き込みが目に留まり、お手隙の事があれば、以下の事についてご存知のことをお教えいただければと思っております。 よろしくお願いいたします。

    ・A先生の張込み参加を報じているのは、この時の文春1誌だけなのでしょうか?

    ・某サイトで一審二回でのM会長証言(全文)というのを拝見させていただいたのですが、それには「張込み に参加した民間人は自分だけ」という証言は無かったように記憶しているのですが、あれ以外にもM会長  の法廷証言があるのですか?

    ・事件当時M会長が経営していた会社?(店)というのは、その後親族(M君のお兄さん等)に継承されて、今 日でも存在しているのでしょうか?

    ・M会長主犯説という推理はどこかに存在しないのでしょうか?(A先生犯人説がが有なら、M会長も有って いいような気がするのですが)

     

  4. 確かに、警察とすればA先生を張込みに参加させてもほとんどメリットはありませんし、足手まといになるだけですから、それを認めることはまずないでしょう。ただ、PTA会長(当時、地元で一番〝顔がきく〟人間だったのは間違いないようです)にヘソを曲げられてしまうと、以後の捜査がやり辛くなるのは必至ですので、仕方なく彼の意見を採り入れて〝黙認〟した・・・というのが、本当のところだったかと思います。

    犯人がA先生の教え子と限られているわけではありませんが、少なくともPTA会長が初期の段階で、「Y枝さん同期生」の犯行を疑っていたことだけは確実です。

    A先生にしても、何年も前のOBの声であれば分からないと思いますが、Y枝さん同期の卒業生であれば、僅か1か月半前まで3年間一緒に過ごしている訳ですし、男子生徒は全部でも50人しかいなかったのですから、だいたいの見当ぐらいはついたのではないでしょうか?

    なお、「A先生の参加については、PTA会長が後にはじめる探偵ゴッコのパートナ-に箔を付ける為、自分の手柄話に併せて触れ回った法螺だったのではないか」というのは、誤った推測です。「張り込み参加」の件は、A先生自身が、同僚教師や弁護団、「狭山市民の会」のメンバー、荻原佑介らに直接語っています。

    あと、とりあえず上記のご質問にも簡単にお答えしておきたいと思います。

    ・A先生の張込み参加を報じているのは、この時の文春1誌だけなのでしょうか?

    雑誌は文春のみ、単行本では『狭山事件 第二集』(亀井トム・著)にも書かれてあります。

    ・某サイトで一審二回でのM会長証言(全文)というのを拝見させていただいたのですが、それには「張込み に参加した民間人は自分だけ」という証言は無かったように記憶しているのですが、あれ以外にもM会長の法廷証言があるのですか?

    PTA会長は翌年春に急死していますので、他に法廷証言はありません。

    ・事件当時M会長が経営していた会社?(店)というのは、その後親族(M君のお兄さん等)に継承されて、今日でも存在しているのでしょうか?

    PTA会長は当時材木商を営んでいましたが、巨額の負債を抱えていたため、その急死とともに家業は廃業に追い込まれたようです。一家はその後経済的にも困窮し、長男のH君は、優秀だったにも関わらず「大学進学を諦めざるをえなかった」との話も伝えられています。

    ・M会長主犯説という推理はどこかに存在しないのでしょうか?(A先生犯人説が有なら、M会長も有っていいような気がするのですが)

    それはさすがに私も聞いたことがありません。しかし、それが成り立つならば、それこそ「中刑事部長犯人説」でも「佐野屋店主犯人説」でも、何でも成り立つことになりますよね・・・(笑)。

  5. 伊吹様

    細かくご丁寧な解説を付けていただきありがとうございます。

    A先生の張込み参加の件は、私の考え方、感じ方に違いがあるということでご了承ください。(汗
    声の確認の為だけに特等席へ招待したA先生に、I.K氏の声を聞かせていないというのが、どう
    にも理解できなくて・・・・・・・・。

    A先生の件は別にして、次女とM会長が逮捕されたI.K氏の声を確認していますよね。
    その結果、、「似ている」との結論になっているのですが、同じ頃逮捕された豚屋の3人の声と聞き比べ
    させていれば、また違う答えが出ていたのでは?  
    別件逮捕だったので、そういうことが出来なかったのですかね?。

    他のエントリのコメントで、伊吹さんがM君のその後について触れておられたので、「多分・・・」
    「じゃないかな?」とは思っていたのですが、「やっぱり」だったんですね。
    学生時代の優秀だった友人と被ってしまい、なんだか切ないなぁ。

  6. 刑札はA先生にIK氏の声を聞かせていないどころか、調書すら取っていませんし、PTA会長も犯人逃走以降はA先生が参加していたことすら認めていません。A先生は「(一番近い距離で)犯人の声を聞いた」とはっきり証言していますし、当時の手帳にもそのことはきちんと書かれているのですが・・・。

    刑札がIK氏と養豚3兄弟の声の「聴き比べ」をさせなかったのは、とにかく余計な情報を混入させず、一刻も早く「IK氏=真犯人」ということで確定させたかったからだと思います。

    MH氏に関しては、最近元・同期生の某氏から当時の詳しい事情を伺っています。最新刊「狭山事件・現地インタビュー集Vol.2」にも掲載しましたが、その際のやりとり(一部)は以下のようなものでした。

    ―同窓会といえば、当時生徒会長だったMHさんも一度も出てきてないんですよね?
    ××さん「そう。この間の同窓会だって、電話かけたら『今度は出るよ』とか言っといて結局来なかった。もう、ありゃ全然出る気ないみたいなんだよな」
    ―どうしてなんでしょうか?
    ××さん「MHってさ、飛びぬけて勉強は出来るし、スポーツは出来るし、ハンサムで背は高いし、何やっても一番で、当時はいつも女生徒たちからキャーキャー騒がれてたような奴だったんだ。俺、思うんだけどさ、奴はそれなのにその後あんまパッとしなかったからさ・・・。それでいて、高校も行けなかったようなバカ連中はみんな出世してるわけじゃない? それでじゃないかって。だから、ほかの奴も、『あれは、自分が情けなくて来ないんじゃないか』なんて言ったりしてたよね」
    ―MHさんは川越高に進んでいますけど、その後大学には行かなかったんですか?
    ××さん「行かなかった。あれは、親父さん(PTA会長)が翌年亡くなっちゃってね・・・。それで、その親父さんってのが、その頃材木商やってたんだけどさ、学校のことに熱心過ぎて、仕事おろそかになっちゃってたんだ。最後亡くなった時にはかなりの借金も抱えてたから、それで経済的にも無理、ってことで進学は諦めたらしいんだよな」
    ―本人とすればきっと無念だったでしょうね・・・。

    少し前に偶然MH氏を見かけたことがあったのですが、今では彼も、ただの野球帽を被った「小太りのオジさん」と化していました(私も見た時は、「これが〝Y枝サン憧れの人〟の50年後!?」なんて思って、ビックリしてしまいました)。彼は今も古びた小さな家にいて、あの狭い地域内で周囲との付き合いを断ったまま、ひっそりと暮らし続けているようです。

    勝手な想像ですが、彼もそれだけ優秀だったなら、当時は将来に対して何か大きな夢などもあったのではないでしょうか?しかし、父親の突然の死と巨額の負債によって生活は一変してしまった・・・。別の知り合いの方も言っていたのですが、MH氏は結局、運命を呪うような気持ちが最後まで払拭できなかったのかもしれません。その姿はどこか侘しげで、とても幸せな老後を過ごしているようには見えませんでした。

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