その他: 女子プロ野球と東京生命球場

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東京生命球場で練習するレッドソックスの選手たち(桑原稲敏著『女たちのプレーボール』より)

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東京生命球場で行われた紅梅ミルクキャラメル入団テスト(打席に立っているのは特別審査員の別所毅彦)(桑原稲敏著『女たちのプレーボール』より)

先日、ネットをうろうろしていたら「川俣晶の縁側」というサイトに「解決編・1951年5月に完成した新宿西口にあった東京生命球場の位置と理由を(ほぼ)確定!!」という記事を見つけました。

この記事の冒頭に出ているWikipediaの「」の項を書いたのは私(本ブログ管理人)です。そのため、以前からこの東京生命球場については興味があり、関連記事も含めて大変興味深く読ませていただきました。なお、Wikipediaの「女子プロ野球」の項目は、最近(2010年)発足した日本女子プロ野球との関係で、現在は「日本女子野球連盟」に移動(名称変更)されています。

特に、東京生命球場の場所の特定やニュートーキョーとの関係、航空写真のあたりは読んでいて興奮させられました。この辺に興味がある方(少ないかもしれませんが……)は、是非とも関連記事を含めてご覧になることをお勧めします。

ただし、女子(プロ)野球との関連ではちょっと気になるところがありますので、念のため当時の資料を添えて指摘しておきます。

nikkansports19510513日刊スポーツ 昭和26年5月13日付

これは、東京生命球場の発足に関して当時の日刊スポーツが掲載した社説です。

球場の広さは後楽園にも劣らぬものであるが、ただ外野のフェンスが低いのと、観客収容量が十分でないために、プロ野球の球場としては本塁打が乱発のおそれがあるかも知れない。女子野球、高校野球、実業団には適当な球場となるであろう。

本日のエントリの一番上に掲載した2枚の写真を見ていただければわかるように、バックネット裏にはスタンドがなく林で、観客席も仮設スタンドレベルですので、観客収容能力は社説の指摘通り低かったでしょう。『女たちのプレーボール』にも

初日には二千人以上の観客を集めている。スタンドに入り切れないファンは、近くにある火の見櫓に上って選手達に声援を送った

という記述があり、2千人で超満員という状況であったことが伺えます。

したがって、川俣晶氏の以下の仮説はおそらく当たっていません。

新宿西口に作られねばならない理由の考察 §
 女子プロ野球が「見せ物」であるとすれば、地域ぐるみで女性を歓楽の手段として提供する土地に本拠地を建設することは、非常に妥当な考えです。それを求める客が集まってくるわけですから。

(中略)

 とすれば、実は女子プロ野球の本拠地の求心力は「新宿」ではなく「十二社」にあったと考えられます。そのように考えると、何もない新宿西口から、さらに遠く離れた位置に球場が存在する根拠があり得ることが分かります。それは「遠く離れた位置」なのではなく、十二社という基準に対して極めて近い場所と解釈しうるのです。

見世物を目指したプロ時代(1950年)には、節目の大会などでは後楽園球場が使用されていました。1万人以上の観客を動員したこともあるようです。見世物として十二社の集客力を目当てに球場を建設したのであれば、1万人レベルの収容力がないとそもそも事業として成立しないでしょう。

なお、見世物として女子プロ野球を推進しようとした小泉吾郎は、前年の1950年に日本女子野球連盟を離れて全日本女子野球連盟を設立、その全日本連盟もすぐに解散してしまいました。1951年の東京生命球場の竣工時点ではすでに、日本女子野球連盟はノンプロとして、親会社の宣伝のために健全スポーツとして女子野球を推進する方向性になっていました。その点からも、お色気目当ての観客を動員する目的で球場を歓楽街のそばに作ったという可能性は否定できると思います。

日刊スポーツ社説にも

新宿十二社に設けられた東京生命の球場が、女子野球の大会に利用されることになった。

とあります。あくまでも東京生命の福利厚生施設として建設された球場を、手頃な大きさであるので女子野球にも利用したということで、だからこそ貧弱な観客収容能力も問題にならなかったのでしょう。
ただし、汗を流した後歓楽街で一杯、という目的で東京生命がこの地(十二社)を球場建設地として選定した可能性はあると思います。

ちなみに、後楽園球場は1958年の改修工事の前は両翼78mだった(工事後は両翼公称90m・実測87.8m)とのことです。日刊スポーツ社説の記述から考えると、東京生命球場も同じような広さだったものと思われます。その広さで、女子プロ・ノンプロ野球は20年やって1本もサク越えのホームランは出なかった(ランニングホームランはあった)と言われています。このことは、筋力や瞬発力の面で女子野球が抱えているハンデを如実に表すものではないかと思います。HRが野球の醍醐味のすべてではありませんが、HRの可能性が全然ない野球というのも興ざめでしょう。その意味で、お色気抜きの健全スポーツの見世物として女子プロ野球が存続することはかなり難しいのではないかとも思います。
今年(2010年)発足した女子プロ野球もその点では厳しいでしょう。しかし、いいプレーをする選手もいるようですので是非とも根付いていってほしいと思います。

  

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4 thoughts on “その他: 女子プロ野球と東京生命球場”

  1. 淀橋を検索していて、このサイトに辿り着きました。私は昭和23年生まれの淀橋育ち。小学校入学後にソフトボールや軟式球で小学校の仲間と熊野神社境内や東京生命跡地で試合をやっていました。そこは、十二社通りに面し、淀橋浄水場の取水口に近いところにあり、コニシロクフィルム工場の隣にありました。ただこの球場がいつ無くなったのか思い出せません。小学校高学年になってからは、ただの荒れた草むらになって、有刺鉄線が張られていたように思います。

  2. なるほど。昭和30年代前半には既に荒れた草むらになってしまっていたということでしょうか。

    ただ、こちらの記述だと、昭和30年代までは運動場あるいは野球場として機能していたとなっています。また、国土地理院の空中写真アーカイブでも、昭和38年(1963年)に撮影された空中写真に、淀橋浄水場の西側に野球場らしき物が写っています。

    実際のところ東京生命球場がいつごろ廃止されたのか、一度時間ができたら本腰を入れて調べてみたいところです。

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