下山事件: 「秋谷鑑定」 その7

週刊朝日 昭和44年9月19日号 週刊朝日 昭和44年9月19日号

の昭和44年9月19日号に、松本清張氏が「 幻の『謀略機関』をさぐる —ひとつの推理的結論—」という文章を寄せています。その中で、今回の画像のような文章を「」の内容として引用しています。時系列を確認すると、これは、昭和39年6月の衆議院法務委員会より後、昭和48年8月号(7月発売)の「文春秋谷鑑定」の発表より前、昭和44年8月の「資料・下山事件」の出版とほぼ同時期ということになります。

この中で印象的なのは、「以下は鑑定人の勝手な推理ではあるが、」以降の一文です。本来的に科学性を要求されるべき犯罪捜査における鑑定で「鑑定人の勝手な推理」を展開する神経のズ太さには恐れ入ります。

まあ、それはいいとして(いいのかよw)、面白いのは、ここで「引用」されている内容が「文春秋谷鑑定」にはほとんど出てこないという点です。前回のエントリで引用した衆議院法務委員会の議事録でも、この靴裏についた「アスファルト様物質」は「秋谷鑑定」のかなり重要な部分を占めているように言及されています。ところが、「文春秋谷鑑定」において「靴裏のアスファルト様物質」に言及しているのは下記の部分だけです。

文藝春秋 昭和48年8月号文藝春秋 昭和48年8月号

「”黒い汚点二つ”はスペクトル検査の結果、アスファルトらしく、下山氏が日常において街頭を歩いて付着したものか不明であるが、(中略)三越を中心とした付近のアスファルトのスペクトル分析と比較するのも興味あることである」という、よくわからない内容が簡単に記載されているだけです。

これでどうして、「文春秋谷鑑定」を「本誌編集部から見せられた本文は、いわゆる下山事件の捜査に当った東京地方検察庁関係記録の一部と思われる。」(こちらの画像)と断言できるんでしょうか?「『一部』だから、このアスファルト様物質の件は割愛されているのである」という反論もあるかもしれませんが、本日の最初の画像にあるようにこの話は「衆院法務委に配布された鑑定書の結論のプロセスをなす」のですから、その部分を割愛するというのは考えられません。少なくとも、普通に資料を読んでいれば「あれ?」となるところでしょう。本当に松本清張氏が「衆院法務委に配布された鑑定書」を見て、それに基づいて週刊朝日の記事を書いたのであれば。

また、この時点で松本氏が「秋谷鑑定」を見ているのであれば、こちらの画像における松本氏の舞い上がりっぷりも説明がつきません。既に一度見て手元にある資料であれば、「事件の時効が成立した昭和三十九年七月六日以後現在も捜査の全記録と鑑定書の一切は東京地検の倉庫に秘密裏に眠っているはずである」とは書かないでしょう。結論として、本日の最初の画像で出ている「秋谷鑑定」の内容は松本氏の捏造ではないか、と本ブログ管理人としては考えています。

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