狭山事件: 死体発見者2人 その2

週刊朝日 昭和45年12月18日号週刊朝日 昭和45年12月18日号

広○さんが第一発見者として採用されなかった理由は、広○さんが死体と共に「あるもの」を発見したからではないか、とされています。

ここで重要な証言として、ご本人が、(イモ穴の)「中をのぞくと一目瞭然(被害者)ちゃんの所持品と思われる ものが見えた。だからこの近くが怪しいと思って探したんだ」と言っています。事件から7年経っていることもあってか、その「一目瞭然所持品とわかるもの」が何だったかについては「カバンだったか上着だったか…」とあやふやになっていますが、いずれにしても、すぐ近くのイモ穴にのぞいてすぐわかるような状態でそういったものを捨てていたということは、犯人は死体を隠すつもりがなかった(ある意味では早く発見してほしかった)ものと考えられます。

また、これがルポライターの栗崎氏が言うようにカバンだったとすると、どこへ行ってしまったのでしょうか?刑札で保管されていて、後に「三大物証」の一つとして「自白」に基づいて「発見」されたカバン(このカバンについてもいろいろ疑惑が持たれたりしていますが、それはまた別の機会に)になったんでしょうか。

4 thoughts on “狭山事件: 死体発見者2人 その2”

  1. 司法解剖結果にトマト出て来ますね。トマトが春に普通に売られるようになったのって一体いつ頃でしょう?現在48歳のうちの親は小学校3年生くらいまではトマトは夏の野菜で、春にあるとすれば温室で作ったすごく高いトマトだったというのですが…。喫茶店やレストランのサラダには1切れくらい付いていたとか…。被害者の胃にあったトマトは完熟トマトだったのでしょうか?それともまだ塾しきっていない若いトマトだったのでしょうか?農村地帯だからどんなトマトがあってもおかしくはないけれど、完熟トマトとなるとハウスのある家の人とか、他人のハウスから盗んだとか、あるいは喫茶店のような所に行ったとか…

  2. コメントありがとうございます。
    公判調書に被害者の胃の内容物の写真が出ていますが、白黒なので緑なのか赤なのか色がわかりません。寺尾裁判長のように脳天気に、「同級生の誰かが付け合わせに持ってきた可能性もある」という根拠の全くない推測で済ませるような粗雑な推理をしない限り、当日の昼食の調理実習のカレーにはトマトがなかったというのはほぼ確実なようです。そうなると、被害者がどこでトマトを食べたかというのは、真犯人の推理上非常に重要な意味を持っていると思います。ちなみに、被害者の胃の中から発見された食材で、明らかに昼食のカレーに入っていなかったものには、ほかに茄子と菜っ葉があります。
    被害者が殺害当日、何時頃にどこで誰とトマトを食べたか…それがわかれば、狭山事件の謎自体が解けたも同然ではないかと思います。当然ですが私(管理人)自体もまだ「これだ!」という推理に出会っていません。

  3. 管理人様 コメントありがとうございました。OGさんのページにコメントしたのも私です。4月から大学生になり、受験前に気になっていた疑問を一度にぶつけてしまって済みません。トマトの件ですが、昭和38年当時、私の祖父母は新所沢に住んでいました。大きな団地がありスーパーもありましたが、4月や5月初めにトマトが店頭に並ぶことはなかったと言います。祖母の実家は狭山の農家で比較的裕福でしたが、ハウスでトマト栽培をすることはなかったようです。またピューレなどオシャレな食品は都心の飲食店でしか使われていなかったとの事。友達が持って来たと言っても同級生の中から証言は取れていないのですよね?そんないい加減な捜査なんですか?!茄子と菜っ葉は漬物の可能性が高いですね。当時の農村の人達はおやつにも漬物を食べていたみたいですから。それから、飯能や日高の一部では青い未熟トマトを塩漬にして食べる習慣もあったそうです。今のような高度な科学捜査が出来ない時代とは言え、私のような素人の女の子でも疑問に感じる事を何故キチンと調べなかったのでしょう?

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